過去の企画もの
平成17年6月11日〜11月30日
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関平(かんぺい) ?〜219年 カ行変格活用さま作 りりしい関平ちゃん! |
■当サイトでの設定 うちの関平くんは、まじめでまっすぐな好青年。武将として、男性として、ひたすら父上を尊敬し、少しでも近づきたいと日々精進しています。また、女性に対しては非常にシャイでして、これは父上に対する想いの裏返しととれなくもありません。もちろん、あくまでもプラトニックです。 なお、関平の字は不明ですが、当サイトでは便宜上、一部「子良」という字を勝手にあてております。ご了承ください。年齢についてもよくわかっていないのですが、演義では関羽の養子になったとき18歳だったとされています。当サイトではもう少し若く、16歳で養子になったことにしています。ちなみにこの設定だと、35歳で死んだということになりますね(泣)。 |
KONTENTU 小説 ●空を舞う鳥のように とっても長〜いあとがき ●冬の蝶 ●言えなかった言葉 関平アラモード 100%関平!なSS ●子の心 親は知らず ●埋み火 ●眸子(ひとみ) ●春の嵐 あとがきのようなもの エッセー ●全開!関平モード 詩 ●父の背中 関平賓館 いただきもの饗宴 ●SS 私は関平 (李白さん) ●詩 感謝 (李白さん) ●CG 父の背中 (よもぎさん) ●CG 関平 (とばたさん) ●CG おまつり関平 (いわいわしさん) ●CG 関平と星彩 (かなこさん) ●CG 旅立ちの朝 (リオンさん) |
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■実際の関平ってどんな人? 「三国志演義」では、蜀の勇将関羽の養子として登場するが、正史には「関羽の子」とあるのみで、兄弟順などもよくわからない。 正史に見られる関平の記述はごく少なく、父関羽の付属として名前が散見されるのみである。 それによると、「219年、荊州にあった関平は、父関羽とともに魏の曹仁を樊城に囲んだが、なかなか落せなかった。曹操は徐晃を救援に差し向ける一方、呉の孫権に使者を送り、荊州の領土の割愛を条件に、関羽を背後から攻めるように求める。こうして、関羽が徐晃に敗れたときには、江陵はすでに孫権の手に落ちており、関羽に従う兵士の妻子も捕らわれていた。孫権はさらに、朱然、藩璋の二人を派遣して関羽の退路を断たせたため、関羽・関平の父子は、臨沮で捕らえられ、処刑された」とある。 一方「演義」では、河北の国境沿いに住んでいた関定という人の息子で、劉備を迎えに行った関羽に宿を提供したのが縁で、関羽の養子になった、と記されている。その後は、一時劉備に従って益州攻略に従軍した以外は、常に父関羽の傍らで奮闘した。劉備が蜀に移ってからは、関羽とともによく荊州を守ったが、最期は呉軍に捕らえられ、父とともに首を刎ねられている。 |
関平ちゃんへの熱い想いを語り合いましょう! | |
おまつり企画は終わりましたが、あなたの関平への想いの丈を、ぜひお聞かせください。 掲示板(TEA ROOM)に書き込んでくだされば、語り部がその想いをしっかと受け止めさせていただきます(笑)。関平に限らず、三国志好きのみなさんの交流の場になればと思っています。 |