いにしえ夢語り蜀錦の庭言の葉つづり




――子の心 親は知らず


「平!そなた、まさかその年で、本当に女を知らんのか?」
関羽はまじまじと息子の顔を眺めていたが、急に素っ頓狂な声をあげた。
「父上と親子の契りを結びましてより、平はただ、父上のお役に立たんと、それのみに心を砕いてまいりましたゆえ」
「女子などにかまけている暇はなかったと申すか」
「はい」
今日まで、無我夢中で駆けてきた。女に目を留める暇などなかった。
それは、嘘ではない。が、言い足りない言葉がある。

(ただ、父上を、父上の姿だけを見つめてきましたから――)

その言葉を、しかし関平は、そっと胸の中に押しとどめた。
突然父に呼ばれて来てみれば、縁談の話だという。好きな女子はいないのかと聞かれ、さっきの問答になったのだ。
「これは、この父が不明であった。すぐによい縁談を決めねばならぬな。いやそれよりも、まずは実戦じゃ。今夜早速、父がよい所へ連れていってやろう」
真剣に心配しているらしい父の顔が、憎らしく見えてくる。
「そのようなお心遣いは、ご無用です」
関平は、席を蹴るようにして、父の部屋を辞した。
なにに苛立っているのか、自分でも持て余してしまうようなもどかしさが、歯がゆくてならない。
(はあ……)
思わずため息がもれた。

――父上は、何も分かってはおられぬ。

いや、関平自身でさえ、今の今まで、これほどの気持ちとは気付かなかったのだ。父を責めるのは、お門違いというものだろう。
分かっている。分かってはいるのだが……。

「まったく雲長どのにも、困ったものだなあ」
廊下を曲がった先で、ふいに声をかけられて、関平は飛び上がった。
「子龍さま!」
壁に上半身をもたせ掛けて、じっとこちらを見つめているのは、趙雲だった。
「き、聞いておられたのですか?」
「いやあ、盗み聞きするつもりはなかったんだが、何しろ雲長どのの声が大きくてな。すまん」
趙雲は、大きな手で前髪をかきあげると、意味ありげな視線を関平に投げた。
「しかし、驚いた。関平はほんとに女子を知らんのか?」
「………」
真剣に突っ込まれては、返事のしようがないではないか。関平は、ふてくされた顔でうなずいた。
「純情一徹もいいが、雲長どのに知れた以上、ただではすまんぞ」
確かに――。あの父の行動力なら、明日といわず、すぐにでも花嫁を連れてきそうである。
「子龍さま、どう……しましょう」
「おとなしく父上の言うとおりにするしかあるまい」
「そんな……。第一、相手の方に失礼です。犬猫じゃあるまいし」
困惑しきった顔で救いを求める関平の額を、人差し指で軽くつついた趙雲は、片目をつぶってみせた。
「純情だねえ、関平ちゃんは」

――だめだ。この人にまともに取り合ってもらおうなんて。

「そういう趙雲さまこそ、どうして妻帯されないのですか」
さりげなく話題を変えてみる。
「ふ……ん。まあ、お前さんとおんなじだ」
「はあ?」
ほんの少し、言いよどんで、趙雲は染み透るような笑みを浮かべた。
「忘れられないひとがいるのさ。そのひとと離れ離れになったとき、生涯、妻は娶らぬと決めたんだ」
そのときの趙雲の表情を、なんと表現したらよいか。
「知りませんでした。子龍さまにそんな女性がいたなんて……って、ちょっと待ってください。私とおんなじって、どういう意味ですか!」
「どういう意味って、そりゃあ、そういう意味だよ、関平くん」
噛み付きそうな勢いの関平をそこに残して、趙雲は鼻歌を歌いながら行ってしまった。

(はあ……)
また、ため息。
趙雲は勘がいい。あるいは関平自身よりも、かれの心の真実(なか)を知っているのかもしれない。
そして。
一番知ってもらいたい人は、一番鈍いのだった。

                                  ――了

関平LOVE!

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