※関平の字はどこにも記されておらず、不明であるが、ここでは便宜上作者の勝手で「子良」とさせていただく。 ――眸子(ひとみ) 「子良――?」 小さな手が、そうっと後ろから伸びて、私の目をふさいだ。 振り返ると、すぐ間近に、好奇心にあふれた眸子。 「阿斗さま」 ふんわりと柔らかい頬が、ぱっと輝く。 「お昼寝はおすみになられたのですか」 「子良、遊ぼ!」 返事をする暇もなく、私の袖は、ぐいぐいと和子に引っ張られていく。 「あ、阿斗さま、分かりましたから。そんなに引っ張られては袖が破れてしまいます」 陽だまりの中の静かな午後は、いつもこうして破られる。 和子はようやく三歳。 呉から嫁いでこられた新しい母上(孫夫人)にも慣れて、荊州にはおだやかな日々が流れている。 奥向きはいつも賑やかだ。 おおまかなことは趙雲どのが取り仕切っておられるが、孫夫人はもちろん、張飛どのの奥方や孔明軍師の奥方などが、入れ替わり立ち替わり和子の相手をしに来られる。 私も暇を見つけては、遊び相手を務めているのだが。 「何をして遊びます?」 「んーとねえ……竹馬!」 和子の笑顔を見ていると、私も自然に顔がほころぶ。 長坂の敗戦で母上を亡くされた後は、昼も夜も、泣いてばかりおられた。 あのときの惨憺たる状況を思えば、この平和なひとときは夢のようだ。 ――こんな日が、ずっと続けばいいのに……。 まぶしい日差しは、もう夏の色である。 「阿斗さま!また、こんなところで。お勉強の時間でございますよ」 館から出てきた女官の声に、私と和子のささやかな幸せは終わりを告げた。 「関平さま。あまり阿斗さまを甘やかさないでください。毎日きちんとやることが決まっておりますのよ」 女官は、きつい目で私を睨み、和子を連れていってしまった。 子良、きっとまた遊んでね。 約束だよ――。 小さな手を、もみじのように精一杯広げて、 ちぎれるほど一生懸命に振って……。 和子は西へと旅立っていかれた。 劉備さまの益州攻略が成り、ついに成都が落ちたのだ。 荊州の守備は父上に任され、劉備さまや孔明さまのご家族をはじめ、主だった人々は益州へと移られることになった。 ただ、孫夫人はこのときすでに、呉へ帰ってしまわれていた。 荊州の領有をめぐって、呉との関係が悪くなってしまったからだ。 難しいことはいろいろとあるのだろう。 しかし、幼い和子にとっては、ようやく慣れ親しんだ「母」がいなくなってしまったことだけが、深い悲しみだったにちがいない。 成都では、誰が和子と遊ぶのだろう。 きらきらと輝いていた眸子は、今も曇ることなくあるだろうか。 そして、私は再び、和子の相手をしてさしあげることができるのだろうか。 この後、関平は、再び阿斗と会うことはなかった。 二百十九年、魏と呉に攻められた関羽は、荊州を失う。 父とともに呉に捕えられた関平は、臨沮で首を斬られ、その生涯を終える。三十五歳であった。 ――了 |
関平LOVE!
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