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姜維立志伝
第二章 母の悲しみ



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房事の余韻にひたりながら、しばらく二人で故郷(くに)の話をした。
荊州隆中での日々、懐かしい家族のことや、学友たちとの思い出。そして、話題が孔明の旧友である徐庶のことになったとき、桂華のふくよかな頬にかすかな影がさした。
「徐元直――か。懐かしい名を聞くものだ。母御を質に捕られ、やむなく曹操の下に奔ってから何年になるか……。今ごろどうしておるかなあ」
「元直さまも、どこぞで今宵の月を見ておられましょうか」
平静を装いながらも、微妙に揺れ動く心の陰影を、桂華は隠すことができない。
(正直な女だ。思ったことはすぐ口に出る。顔にも表れてしまう――)
孔明と徐庶元直は、かつて襄陽の石韜という儒学者の下で共に学んだ同門である。お互いに認め合い、解り合える、数少ない友人の一人でもあった。
そしてその頃、徐庶と桂華は、将来を契り合った仲であったのだ。
今もなお妻の心に、かつての恋人が占める位置があることを、孔明は別に不快にも感じていない。人には誰でも、忘れられぬことのひとつやふたつはあるものだ。何よりも徐庶は、それほどの男だったと思う。
やがて徐庶は、劉備軍の軍師として迎えられ、軍の編成と調練に手腕を発揮することになる。だがそれも束の間、徐庶の才能を恐れた曹操の謀略によって、かれは劉備と引き離され、魏へと去ってしまう。せめてもの置き土産にと、自分に替わる軍師に孔明を推挙して――。
徐庶が劉備の帷幕に加わり、その後荊州を辞して魏へ奔ったことで、結果的に桂華は捨てられたという格好になった。
気丈な彼女は、家族やかつての恋人の友人たちの前では涙も見せなかった。二人をよく知る者にすれば、かえって痛々しく思われたものである。
その桂華に求婚したのが、孔明だった。父親に押し付けられたのだ、というもっぱらの噂だったが、当人たちの間にはそんな感情は微塵もなかったといっていい。
「元直さまは、わたくしよりも己の夢を選ばれたのです……あの時。そしてあなたは、わたくしのために自分の夢を捨ててくださった。わたくしはそう思っていましたわ」
「夢など……」
孔明は、端正な顔に、拗ねたような孤独な笑みを浮かべた。
「あの頃の私には、そんなもののかけらさえ残ってはいなかった。学問への熱も、家族への思いも打ち砕かれ、生きることすら無意味だった」

石韜門下の秀才として将来を嘱望されていた孔明が、突然世間との交わりを断って隆中の田舎に引きこもってしまったのは、かれが十九歳のときのことだ。
晴耕雨読といえば聞こえがいいが、荒れた土地を開墾し、水を引き、日がな土と格闘する毎日である。諸葛亮の名は、やがて襄陽の人々の記憶からも消えていき、たまにかれの草庵を訪れるのは、ごく限られた友人たちだけになっていた。
孔明が、それまでの生活を引きちぎるように捨て去って、隆中での閑居を選んだのには訳がある。自分の出生に関して、拭い難い疑惑を抱いたからだった。
幼くして父母を亡くした孔明たち兄弟は、伯父である諸葛玄の庇護を受けることになるが、孔明は、その玄こそが自分の本当の父親ではないかと疑ったのである。
(私の父は、伯父上か……?)
だとすれば、二人の関係は、父諸葛珪が生きていたときからということになる。
母は父を裏切っていたのか。自分は罪の子なのか――。
確たる証拠があるわけではない。だが、思い当たる節は多々あった。
父が死んで一家が郷里を離れることになったとき、伯父の玄は任官地である荊州に珪の遺児たちを伴って行こうとした。だが長兄の瑾は同行せず、継母(孔明の母は弟の均を生んで間もなく病死していた)だけを伴って東呉に赴いたのだ。
むろん、戦国乱世に何とかして一族の血脈を残さんがための苦渋の決断でもあっただろう。あるいは、瑾がすでに身内の庇護など必要としないほどに成長していたからだとも考えられる。
しかし――。
と、孔明は思うのだ。兄は自分に対してどこかよそよそしかった。
諸葛瑾は、母と伯父の関係に気づいていたのではあるまいか。だからこそ、父を裏切った伯父の援助を拒否したのではないだろうか。
荊州に来て、伯父玄と身近に接する日を重ねれば重ねるほど、孔明の疑念は確信に近いものになっていった。
母と伯父への不信は、やがて人間そのものに対する不信へと変容していく。何よりも自分自身の存在に対して、耐え難い嫌悪感が渦巻いた。
ちょうどそんな時に伯父が病死した。そうなれば、姉と弟、自分たち兄弟三人のたつきも立てていかねばならない。安閑と、ただ学問だけをしていればよいという状況ではなくなったのだ。助力を申し出てくれた知人も幾人かはあったが、孔明は、他人の好意に甘えるだけの生活を潔しとはしなかった。

◇◆◇

隆中での日々を、かれは憑かれたように土を耕し、古今の書を読み漁って過ごした。かと思うと、惚けたように一日中壁に向かって座っていたり、日がな畑に穿った穴を眺めてみたり、あるいは何カ月も各地を放浪して帰らぬこともしばしばだった。
隠棲というにはほど遠い、猛り狂う嵐を胸の底に押さえ込むような毎日――。
そうして何度目の春が過ぎただろう。
孔明は、いつしか学問に対してさえ懐疑的になっていた。荒れ狂う大河のように巨大な歴史の潮流の中で、人ひとりの存在がどれほど無力で小さなものであるか。まして学問など、どれほどの役に立つというのか。
(学問などで、この乱れきった世が救えるものか――!)
幼いころから、理不尽な天災や戦乱に泣く民衆の悲惨さを見てきた。力も知恵もなく、平凡であるがゆえに、ただ怒涛の中に呑み込まれ朽ちてゆくしかない弱き人々。
あのころ、民草の不幸を学問の力で救いたいと願った。己の力でこの世を変えてみせると誓った。そんな若き日の情熱が、今はすでに色褪せた抜け殻になってしまっている。
生きていくことすらおっくうになり、気晴らしに訪れた襄陽の街で、たまたま出会った知人から桂華と徐庶の話を聞いた。
「いくら才媛でも、疵物と分かっている女に手を出す物好きもいまい?」
「深窓の令嬢に対してそれは失礼だよ」
適当に受け流しつつ、孔明は桂華の顔を思い浮かべていた。
徐庶を挟んで何度か会ったことがある。勝ち気で、真っすぐで、笑顔が印象的な娘だった。二人が時折見せる仲睦まじさに、我知らず嫉妬心のようなものを覚えて狼狽したこともあった。
(桂華――。どうしているだろう?)
たまらなく、その人に会いたくなった。何もできないかもしれないが、側にいてやりたい。あるいは、側にいてほしいのは自分の方だったろうか。

襄陽に住んでいた頃は、学友たちとともに幾度となく、黄承彦の屋敷へ足を運んだものだ。黄承彦は、当時荊州に集まっていた若き知識人たちの兄貴分ともいうべき存在で、孔明や徐庶のよき相談役でもあったのだ。
久しぶりに会う黄大人は、随分と年老いて見えた。桂華に会わせてほしいと伝えると、老人はひどく驚いたようだったが、深い皺の刻まれた顔はすぐに駘蕩とした表情になり、白く長い髭に隠れた唇には穏やかな笑みが浮かんだ。
「好々――。しばらくお待ち下され」
黄承彦が奥に入ってから暫時の後、孔明は家人の案内で屋敷の奥庭へ通された。
泉水の脇を縁取って、ひときわ鮮やかに咲き誇る一群れの木立がある。
雪かと見紛う満開の梨花の陰に隠れるように、その人は立っていた。心細げに、唇をかみしめ、少し青ざめた顔で――。
「桂華どの。お久しゅうございます」
「孔……明さま」
「まったく、元直は大うつけです。あなたにこんな顔をさせるなんて」
大きな眸子が、瞬きもせずにこちらを見つめ返してきた。白い花びらが風花のように舞い、桂華の髪に、肩に散りかかる。
「わたくし今日まで、人前では決して泣くまいと自分で自分を叱咤してまいりましたの。でも孔明さまの前でなら、本当のわたくしを曝しても……、泣いてもよろしいですか」
耐え忍んできた思いをこらえきれなくなったのか、桂華は孔明の胸に抱きすがると、声を殺して泣いた。しまいにしまい込んでおいた涙が、嗚咽とともにあふれ出て、孔明の衿を濡らしていく。
「桂華――」
全身に相手の身体の温もりと重みを受け止めながら、孔明は、乾いてささくれた己の魂が静かに癒されていくのを感じていた。
桂華が隆中の孔明のもとに嫁いだのは、その一カ月後のことだ。孔明二十六歳、桂華十八歳の夏であった。

それからおよそ半年の後、孔明は劉備の三度に及ぶ招聘を請け、徐庶に替わる軍師として、その帷幕に加わることになる。
以来十年余の年月を、夫婦として重ねてきた。あのとき桂華に出会えたからこそ、今こうして自分は生きているのだ、と孔明は思う。
「私の方こそ、そなたに救われたのだ」
「あなた……」
桂華の双眸に喜びの涙があふれた。
にしても――。
関わった男が二人とも同じ主君に仕えることになるとは、桂華はよほど劉備と因縁があるといわねばなるまい。




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