都会(まち)の喧騒を離れた裏通りに、その店はある。 バー「ピーチ・ハート」。気配り抜群でしっかり者の美形マスター趙雲氏と、ちょっぴり気の弱い天然癒し系のアルバイト姜維くんが切り盛りする、小さなカウンターバー。 今夜も、ちょっと疲れた男たちが羽根を安めにやってくる……。 PART.5 ロック・ユー! 11月も半ばを過ぎると、さすがに朝晩はぐっと冷え込んでくる。 今年最初の木枯らしが吹いた金曜日の夜。 ぼく(姜維)がアルバイトをしているバー・ピーチハートは、外界の寒さから逃れてほっと一息つきたいという客たちで、めずらしくにぎわっていた。 9時をまわって、ようやく客がひき始めた頃、ひとりの若い男が入ってきた。 真っ赤な革ジャンにライダーブーツ。赤く染めた短い髪をツンツンに立たせ、片方の耳には派手なピアス。 最初に見たときは、どこの暴走族が来たのかとびびってしまったぼくだったけど。その正体が、実は近くにある西涼寺の跡継ぎで、この界隈でも有名なヤンキー坊主だと知って、もっとびっくりしたものだ。 「いらっしゃいませ、馬超さん」 「おう、姜維。今日もがんばってるか?」(←本人はシャレのつもりらしい) 「あはは……(汗)」 カウンターの真ん中に陣取った馬超さんは、人懐こそうな笑顔をぼくに向けると、 「いつものやつな」 と親指を立てた。 「姜維くん。奥の冷蔵庫から出してきて」 趙雲マスターに言われて、ぼくは裏の貯蔵庫へ馬超さんの『いつもの』を取りに行った。お目当てのものを抱えて店内に戻ると、カウンターにはすでに、ちゃんと皿にのった枡が用意されている。 そう。馬超さんの「いつもの」は、飲みごろに冷えた日本酒なのだ。 『純米大吟醸 男山』 一升瓶に、豪快な文字が躍っている。 「そうそう、それそれ。日本男児なら、やっぱり日本酒だよな」 マスターは、黙って枡になみなみと男山をついだ。あふれた酒が皿にこぼれる。それを見て、馬超さんがにやりと笑う。 「いいねえ。この皿にこぼれたやつを先にすするのが、またうまいんだ」 「馬超さん、今夜はご機嫌ですね。何かいいことでもあったんですか?」 愛想のつもりで言ったぼくに、マスターが恐い顔で目配せした。 (あれ? 何かまずいこと言ったかなあ……?) とたんに、馬超さんが暗い顔になって黙り込んでしまったものだから、ぼくはますます困惑してしまった。 「だめだろ、姜維くん」 とまどっているぼくに注意したのは、奥の席に座っていた張飛さんだ。 「馬超さんが必要以上におしゃべりになるのは、嫌なことがあって腹の中じゃムシャクシャしてる時だってのは、俺でも知ってるぜ」 「あ……!」 そうだった。いつもはあまり余計なことは言わないのだ、この人は。何か胸につかえていることがある時だけ、饒舌になる。ちょっと間が空いていたので、すっかり忘れてしまっていた。 「すみません。気がつかなくて」 あわてて頭を下げると、馬超さんは、かえってすまなさそうな顔になり、 「いいって、いいって。そういう素直な姜維が好きなんだ、オレは」 と、らしからぬ優しい目でぼくを見た。 (……やっぱり、いつもとは様子が違うんだけど) 「で、どうしたんだい? また檀家の年寄り連中に何か言われたのか?」 「………」 馬超さんは、張飛さんの質問にしばらくじっと考えていたが、思い切って口を開いた。 「実はさ、今度のクリスマスに、寺の本堂でロックコンサートやるって言ったら、檀家のお偉いさんたちが血相変えて飛んできやがってよぉ」 「ロックコンサート? 西涼寺の本堂で?」 「まったく、じじいは頭固えよなあ」 「あは……あはは……(汗)」 ぼくも張飛さんも、もう笑うしかない。 本堂でヘビメタなんてやられた日には、ご本尊の阿弥陀様だって腰を抜かしてしまうことだろう。ましてクリスマスなんて、お寺さんには何の関係もないんだもの。あわてふためいて、このヤンキー住職見習いを止めにきた人たちの様が見えるようだ。 「で、結局取り止めるのかい、ロックコンサートは?」 「まあ、しゃあないさ。親父の病気もこれ以上悪くしたくねえからな」 馬超さんは、苦虫を噛み潰したような顔で、男山の入った枡を口に運んだ。 その時、勢いよく店のドアが開いた。 顔をのぞかせたのは、馬超さんのバンド仲間の馬岱さんだった。 「あ、やっぱりここでしたね」 「おう、馬岱か。よく分かったな」 「寺の方へ顔を出したら、出かけたっていうもんだから。多分ここじゃないかと」 馬岱さんは、軽い足取りで馬超さんの横の席に腰を下ろした。 「マスター、俺にもその『男山』一杯!」 「承知しました」 注文を受けるより早く、馬岱さんの分の枡がカウンターに用意されている。さすが趙雲マスターだね。 「ところで――」 縁なし眼鏡の奥で、マスターの目がきらりと光った。 「馬岱さん、今日はバイクで来たりしておられないでしょうね?」 「もちろんさ。この前なんてチャリで来たのに、それでもマスターに大目玉喰っちまったんだから」 馬岱さんは、わざと渋い顔をしてみせたが、目が笑っている。 「自転車でも飲酒運転で捕まるんですかぁ?」 と間の抜けた声を出したぼくに、 「当たり前です」 マスターは恐ろしく冷静な口調で、ぴしゃりと言った。 「おいおい、姜維くん。マスターの前で、飲酒運転の話はタブーだぜ」 「あ……」 そうだった。マスターのお父さんは、飲酒運転のトラックにはねられて亡くなったのだという話を、以前に張飛さんから聞いたことがある。だから、こういう商売をしていながら、マスターはかたくなに飲酒運転を認めない。たとえお客様と喧嘩になっても、これだけは絶対に譲らないのだ。 どうも今日のぼくは、自分でも嫌になるくらい気がまわらないなあ。 疲れているのか。気持ちがたるんでいるのか。こんなことではバーテンダー失格だ。 「親父さんが亡くなってから何年になるの?」 枡をなめながら馬岱さんが尋ねる。 「もう14年になります。一昨年、十三回忌を済ませましたから」 「おう、あの法事が俺の坊主デビューだったっけな」 「その節は、いろいろお世話をおかけしました」 あらたまって礼をいうマスターに向かって、馬超さんは、恥ずかしそうにツンツンに立った髪の毛をなぜた。 「よせやい。マスターにそんな風に言われると、冷や汗が出るぜ」 隣の馬岱さんが愉快そうに笑う。 「あはは。兄貴の武勇伝の第一号ですもんね」 「武勇伝か。確かにあれはびっくりしたな」 趙雲マスターのお父さんの法事のとき、脳溢血で倒れた先代に変わって、初めて馬超さんが急遽導師を務めることになったという話を、張飛さんが話していたっけ。 そのときの逸話がふるっていたらしい。 ナナハンに彼女と二人乗りで来たとか、サングラスをしたまま読経をしたとか、途中でお経を忘れてイーグルスの歌になっていた(笑)とか……。 そんな思い出話で盛り上がっているうちに、馬超さんも馬岱さんもすっかり出来上がってきたようだ。 空になった枡に『男山』を注ぎながら、マスターがぽつりと言った。 「お父さんを大事にしてあげてくださいね」 「ああ?」 「親孝行は、できるときにやっておかなくちゃ」 「うん、そうだな……」 マスターの言葉に、しばらくじっと考え込んでいた馬超さんが、ふと顔を上げた。 「なあ、馬岱。例のコンサートの話なんだけどよぉ……」 言いよどむ馬超さんに、馬岱さんは軽くウインクしてみせた。 「また周りからこっぴどく叱られたんでしょ。分かってますよ。そうでなきゃ、ここで一人男山なんか飲んでやしないもの」 「やっぱり、無茶だったかなあ。我ながらいいアイデアだと思ったんだけどよ」 馬超さんは、ため息と同時に所在なさげに頬杖をついた。強面の印象がちょっとだけ緩んで、ぼくより少し年上(だと思う)の若者の素顔がのぞく。 「だいたい兄貴の発想はユニークすぎるんですよ」 「西涼寺の本堂くらい思うようにできなくてどうするんだ。俺の夢は、東京ドームをいっぱいにすることなんだぜ!」 「はいはい。分かってますって」 馬超さんに合わせるようにうなずいてから、馬岱さんは少しほろ苦い笑顔で、枡に残っていた男山を飲み干した。 「残念だけど、今年のクリスマスはあきらめて、また来年考えましょ」 黙り込んでしまった二人に、趙雲マスターが思い切った提案をした。 「ねえ、馬超さん。相談なんですが」 「あん?」 「そのコンサート、ここでやるっていうのはどうですか」 マスターったら、突然、何を言い出すかと思えば。 張飛さんもぼくも、思わず耳をそばだてる。 「ちょっと狭いですけど……。防音はしっかりしてますから、どんな大きな音で演奏しても、近所から苦情がくることはありませんし」 「マスター、ほんとにいいの? クリスマスっていやあ、かき入れどきだろ」 「大丈夫ですよ。去年のイブは孔明さんの貸切だったし(笑)。まあうちは、クリスマスといってもそんなものですから」 確かに……。イブの夜に、たった一人の常連客のために店を貸切にすることぐらい、このマスターは何とも思っちゃいないのだ。 「場所代はいりません。皆さんが飲んだり食べたりした分の代金さえいただければ」 「イェイ!やったぜ!」 「兄貴、よかったっすね」 「おう。これで、他のメンバーにも言い訳が立つな」 二人とも、思いがけないマスターからの申し出に、心の鬱屈が晴れたのだろう。思いっきり声がはしゃいでいる。 「よおっし! 元気が湧いてきたぜえっ! 姜維も張飛さんも覚悟しとけよ! 今年のイブは、夜通しおれたちのスーパーライブを聞かせてやるからなっ」 「わ〜〜い。夜通しですかぁ。うれしいなぁ……」 顔ではにっこり笑いながら、内心、さっそく耳栓を買いに行く算段をしているぼくだった。 「そうと決まれば、今夜は前祝だ! コンサートの成功を願って、ぱあっとやろうぜ。マスター、『男山』一升瓶でおかわり!」 こうして今日も、ピーチハートの夜はにぎやかに更けてゆく――。 |
了 2006/12/20 |
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【あとがき】 17000と17777を、見事に2つ続けて自爆してしまい、これは何か書かねばなるまいと思って大慌てで書いた作品です。 もっと早くアップしたかったんですが、最後の詰めに手間取りまして、ちょっと季節が遅くなっちゃっいましたね。でもまあ、何とかクリスマスまでには間に合って、ホッとしています。 実は、ピーチ・ハートのシリーズには、まだまだ出したい人がいっぱいいますし(キャラを考えている時が楽しいんですよね♪)、頭の中で温めている小ネタもいくつかあるのですが、なかなか形になってくれません。 そんな中、ヤンキー坊主の馬超というキャラクターは、結構以前から私の中ではできていて、それが今回ようやく陽の目を見たというわけです。馬岱くんは「オマケ」みたいな感じで、突然思いついたんですけど…(笑)。 タイトルの「ロック・ユー!」は、ご存じクイーンの名曲。そして、ヒース・レジャーが主演した映画のタイトルでもあります。この映画、中世ヨーロッパを舞台に、貴族しか参加できない馬上槍試合に、身分を偽って参加する若者の恋と栄光を描いたサクセスストーリーで、なかなか面白かったですよ。 さてさて、我らが馬超さんのサクセスストーリーは、今後どう展開していくのでしょうか。 【純米大吟醸 男山】 日本酒が好きです。元来、燗酒はあまり好きじゃなかったんですが、冷酒のおいしさに目覚めてからは大好きになりました。 よく冷えた吟醸酒は、フルーティで飲み口が良くて、いくらでもするすると入ってしまいます。気をつけないと、飲みすぎて後でえらい目にあうんですけどね…(笑)。 『男山』は飲み口が爽快で、(ナイショだけど)息子が好きなお酒です。去年北海道へ旅行したときには、旭川にある蔵元へ見学に行きました。この純米大吟醸は、さすがに高級すぎて手が出ませんでしたが、資料によると「酒造好適米『山田錦』を38%に磨き上げ、昔ながらの"甑"(蒸米)、麹蓋(製麹)、"槽"(圧搾)等を使った手造りの酒。アルコール分16度、日本酒度プラス5と辛口で、フルーティーな香りと、スッキリしたのど越しは、まさに日本酒の"芸術品"」なのだそうです。 馬超さんのごひいきにしたのは、ただ単に名前が男っぽくていいなと思ったからで、特に深い意味はありません。とはいえ、純米大吟醸を枡酒で飲むロッカーっていうのも、面白いですね。 |
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