いにしえ夢語り蜀錦の庭言の葉つづり



古 国




(一)


晋の泰始五年(269年)のこと。

すでに魏より禅譲を受けて四年。
漢から魏へのそれと同様に、曹氏から司馬氏への政権交代も大きな混乱もなく無事に完了していた。

そして蜀が滅びてからは、六年が経っていた。
後主・劉禅は安楽公として身を安堵され、旧臣らの一部も新王朝に仕え始めていた。




男も、そのような内の一人であった。
旧蜀人でありながら、現在は晋朝の臣として忙しく立ち働く日々が続いている。

この日、男は洛陽城下のショウ周の家を訪ねていた。
ショウ周は蜀の地を代表する学者であり、男の師でもある。
かつては蜀漢の太学を主管し多くの優秀な人材を育てた彼も、今は病の淵にあった。

「・・・仕事の方はどうかね」

枕辺に座る男に、師が尋ねる。
男は、威儀を正して答えた。

「非才の身ではありますが、推挙してくださった先生や先輩方のお顔を汚さないよう努めております」
「しかし、何かと大変だろう・・・」
「いいえ。この程度、どうということはありません」

昨年来、男は巴西郡中正としての仕事に追われていた。
すなわち、旧蜀領であり男の故郷でもある巴西郡の出身者達について人物を評定し内申書を作成する。
晋朝が旧蜀人をすくい上げ、官品を与え、優秀な人材を確保するための仕事である。

当然ながら簡単な仕事ではないが、男は持てる限りの力を尽くして取り組んできた。
己の働きが、国を喪った旧蜀人達の、新王朝での道を切り開くと信じてのことだ。

「おかげさまで、中正の方はひと段落がつきました。ようやく著作郎の仕事に戻ることができそうです」

男の言を聞いた師は、嬉しそうに顔を綻ばせた。
著作郎とは、中書令の下、国史に関することがらを職務とする。
目の前の弟子が史書を好み、史家たらんことを志していることを、師はよく知っていた。

「それは良かった」
「はい。手始めに“諸葛亮”の言辞や文書等の整理を命じられました」
「おお。なんと、丞相の・・・」

病床にあるとは思えないほどに、師の目が爛々と輝く。
そのさまを見た男も、かすかに頬をゆるめた。

古今東西、“丞相”と呼ばれた人物は多くいる。
しかし蜀人にとっての丞相は、ただ、諸葛亮ひとりだけだ。
漢王朝の血を引く英雄・劉備の晩年を支え、ついには三国鼎立の一端を担うまでに飛躍させた彼の人。
民を慰撫し、進むべき道を示し、公正と真心をもって政治に当たった不世出の才人。

「それはまた、うってつけの仕事を任されたものだな」
「はい。これも、先生や先輩方のお引き立てがあってのことで・・・」
「・・・なんとも大変な仕事だ。私の弟子が、丞相の、」

言葉を詰まらせ、師がそっと目を閉じる。
男は頬に朱を走らせながら、ふたたび威儀を正した。

「良い仕事をしようと思います。先生にも、蜀人にも、恥ずかしくないような仕事を」
「ああ。おまえならきっとやれる。やれるとも・・・」

こみ上げる涙を抑えながら、ひたすら男は師に礼を取った。




師の家を辞去する間際に、男はあらためて挨拶をした。

「本格的に著作郎の仕事に戻る前に、と実はこのたび休暇を許されました。この機会に巴西に帰り、雑事を済ませてこようと思います」
「ほう・・・巴西だけか? 成都には?」

“巴西”は師や男の故郷であり、“成都”は言わずと知れた蜀漢の都である。
師の問いに、男は曖昧に首を振った。

「巴西だけでも遠いものを、成都にまで上るとなると大変ですから・・・」
「いや、ぜひ寄ってくるようにしなさい。おまえに紹介したい方がいる」

枕辺で筆を取り、師がさらさらと書簡を認める。
そのさまを、男は興味深そうな様子で見つめていた。
師が、今になって、己に紹介したい成都の人物とはいったい・・・?

「この書簡を持ってお訪ねするといい。きっと、これからのおまえの力になってくださる」
「は・・・。あの、この方はいったい・・・?」
「詳しい話はご本人に聞きなさい。もっとも、どこまで心を開いてくださるかはおまえ次第だが・・・」
「気難しい方なのですか?」

男は、ふっと眉を寄せた。
社交の類は苦手で、あまり人好きしない質であることは十分に自覚している。

しかし師は笑みを浮かべて、弟子を励ますように言った。

「なに、心配することはないよ。おまえ達はきっと気が合うようにも思うがね」
「しかし・・・」
「この変遷する時代に生まれたのも何かの縁だろう。いい仕事をしなさい。その為の努力は、惜しんではならん」

男は頭を下げ、師の家を後にした。









故郷での庶事を終えた男は、早々に洛陽へと戻りたいと願っていた。
しかしながら、師よりの課題が残っている。
重い足を引きずりながら、仕方なく男はかつての蜀漢の都へと向かった。

巴西より成都への短くない旅路の合間にも、さまざまな思いが錯綜する。
これから己が会おうとする人物は、はたしていったい何者なのか。




連なる大小の山々と、その合間を流れる無数の河川。そして雨。
靄の切れ目にようやく見える四川の大地。
懐かしい故郷の風景に、どうしても感傷的な気分が呼び起こされる。
そんな己の感情を持て余し、男は苦虫を噛みつぶしたような気持ちになる。

男とて、故郷を恋しく思わないわけではない。
ただ、己の感傷に溺れるあまりに、史家としての目が曇るのが嫌なのだ。

このたび任された諸葛亮の言行録をまとめる仕事は、己にとっての試金石となるだろう。
新王朝にへつらうことはせず。かといって、亡国をいたずらに崇めることもなく。
与えられた立場で出来うる限りを尽くし、真実を後世に伝える。
それが、彼が史家として目指す姿勢であった。




やがて男は、成都の町へとたどりついた。
城下を囲う壁の至るところが崩れ落ち、いまだ彼の戦いの傷跡を残している。




魏の景元四年・・・蜀の暦での炎興元年、蜀漢は魏に降伏した。
男は前年より官職を辞して巴西へと戻っており、幸か不幸か国が滅びる瞬間というものに立ち会うことはなかった。

緜竹を抜けて成都に侵攻した魏の大将軍トウ艾の前に、宮城の群臣らは恐れおののいた。
同盟国である呉へと逃げるよう主張する者もあり、南蛮へ逃走するよう勧める向きもあったと言う。
しかし男の師であるショウ周は、後主・劉禅に道理を説いて魏への降伏を勧めた。

男は、師を誇りに思っていた。
彼の勧めに従ったおかげで、実際に劉禅は現在も安穏と洛陽にて暮らしている。
そして成都の人々もそのおかげをこうむり、そのまま穏やかに事は運ばれるはずだった。




・・・そう。
あの愚かな姜伯約が、破れかぶれになって宮城を血の海へと化すことさえしなければ。




2005年1月18日 たまよさん作成


古国(前書き)へ     古国(二)へ