平助くんと私の六十日間 |
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私、山村花梨、21歳。新選組大好きな女子大生。 今、私は、突然140年も過去の世界からタイムスリップしてきた御陵衛士(元新選組隊士)の藤堂平助くんと一緒に暮らしている。……という嘘のようなホントの話。 ◆◇◆ いつかくる別れの日――。 胸の底でその時を予感しながら、それでも平助くんと私の日々はおだやかに過ぎていった。 1月も下旬になると、街はバレンタインデーの広告であふれ出す。 「なあ、花梨。ばれんたいんでーって何だ?」 二人でスーパーに買い物に行った帰り道、予想通り、平助くんが私に尋ねてきた。 「うーん。……チョコレートを食べる日、かな」 「ちょこれーとって、これか?」 平助くんがポケットから取り出したのは、スーパーの店頭で配られていた試食品のチョコレートだ。彼は、見かけによらず甘党で、特にチョコレートがお気に入りだった。 「そう、それ。でも、ただ単に食べるだけじゃなくてねえ。2月14日は、女の子が好きな男の子にチョコレートを渡す日なの」 「ふうん……」 好奇心にあふれた眸子が、じっと私を見つめている。 「じゃあ、花梨も誰かにチョコレートを渡したりするのか?」 「え? 私? ……あ、うん。まあね」 私はわざと無表情な顔で答えた。 「なあ、それって、もしかして――」 ――俺? と、自分の顔を指差す平助くんの表情は、期待半分、不安が半分。そんな彼の無邪気な様子がかわいくて、私は思わずふきだしてしまった。 「そんなの、平助くんに決まってるじゃん」 「ほんとかっ? やったぁ!」 ――平助くんったら。私がチョコレートを渡すのは、平助くんしかいないでしょ。 うれしそうに笑う彼の顔を見ながら、私はほんわかとした幸せを噛み締める。 (こんなに喜んでもらえるなんて、ちょっと感激。どんなチョコレートがいいかなあ。今までやったことないけど、今年はがんばって手作りしてみようかな……) こんな毎日が、いつまでも続いてくれたらいいのに。 それは、願いというより、すでに私にとっては未来そのものといっていい。平助くんと暮らす穏やかな日常に慣れて、私は、いつしか現実から目をそむけていた。 もちろん、いつも心の片隅に小さな不安が引っかかっていなかった、といえば嘘になる。 この幸せな日々は、かりそめなのだということ。本当は、藤堂平助という人はこの時空に存在していてはいけないのだということ――。 それは、友人である麻美に言われてから、ずっと澱のように私の胸に沈んでいる恐怖だった。 油小路での顛末を、本当のことを、いつかは平助くんに話さなければならない。それはたぶん、平助くんとの別れを意味するだろう。 なかなかその決心がつかないまま、私はずるずると彼との日々を重ねていた。 そして、もうすぐバレンタインデーというある日。 私は、夢のような甘い世界から、突然引き戻されることになる。 「ああ、寒いっ。平助くん、ヒーター入れてないの?」 ゼミから帰ってきた私は、冷え冷えとした部屋の隅でじっと座り込んでいる平助くんに声をかけた。 「どうしたの? 元気ないけど……。風邪でも引いた?」 「いいや。そうじゃないけど」 「だったら、どうしたん? 平助くんらしくないよ」 コートを脱ごうとしていた私は、突然、平助くんに背中から抱き締められた。 「え? 急になに……?」 振り向こうとしても、平助くんの腕ががっしりと私を捉えて離さない。そのままの姿勢で、彼が耳元で小さくささやいた。 「なあ、花梨。俺、やっぱりあの夜、あそこで死ぬんだな」 「え?」 「前に聞いたとき、教えてくれなかったろ? たぶん、いい話じゃないんだとは思ってたよ」 「平助くん……!」 ようやく彼の腕を振りほどいた私は、呆然と彼を見つめ、そして、あっと声をあげた。 平助くんが手に持っていたもの。 それは、私が大学のゼミで書いたレポートだった。タイトルは「幕末史の中における御陵衛士の一考察」。御陵衛士の成立から壊滅までを、尊皇攘夷論の変遷と絡めて考察したものだ。当然、油小路事件の顛末も詳細に記してある。 来週、ゼミの口頭試問があるため、昨夜プリントアウトしたまま、うっかり机の上に置き忘れていたらしい。 「平助くん、それ、読んじゃったんだ?」 「悪ぃ。御陵衛士っていう字が見えたもんだから、つい、さ。盗み見するつもりはなかったんだけど」 「ごめん。私……私……いつかきちんと、自分の口から平助くんに、話したいって……話さなくちゃだめだって、思ってたのに」 とうとう彼は知ってしまったのだ。自分があの夜、油小路で斬られて死んでしまうことを。 いつかこの日がくることは分かっていた。町にあふれる書物や映像。そんな情報すべてから、いつまでも彼を隔離しておくことなんて、できるはずもない。 だから、麻美に言われたとき、覚悟したはずだったのに――。 こともあろうに、自分の書いたレポートが平助くんの目に留まってしまうなんて。 最悪だ。 もっときちんとした形で、彼に伝えたかったのに。 ショックのあまり、私はうつむいたまま、固まってしまっていた。 言葉も、涙も、出てこない。頭の中が空っぽだ。 「自分でも、何となく分かってたんだけどさ。やっぱり、はっきり突きつけられると、結構こたえンな」 無理に笑おうとする平助くんの笑顔が痛々しい。 「左之さんや新八っつぁんが、逃がしてくれようとしたのに、俺は逃げずに戦って、そして死んだんだよな」 (もう、やめて!) 突然、真っ白だった頭に感情が戻ってきた。 「平助くんは死んでなんかいないよ。こうして、ここにいるじゃない。生きてるじゃない!」 そう。 誰が何と言おうと、平助くんは、今、ここにいる。私の傍で、生きて、動いて、しゃべっている。 これは絶対に、夢や幻なんかじゃない。そうでしょ? 「俺はあのとき、まだ迷ってたんだ。一度は同じ釜の飯を食った仲間を、この手で斬れるのか、俺の進む道は、本当にこれでよかったのか、って」 「もう、いい。もう、いいよ」 今度は私が、平助くんにしがみついていた。 「もう迷わなくていい。悩まなくていいの。あなたは、油小路へは行かないんだもの。こうして、私とこの世界で生きるんだもの!」 涙がどっとあふれてくる。悲しくて、やりきれなくて――。 「もうすぐバレンタインデーなんだよ。私、がんばってめちゃくちゃおいしいチョコ作るから。どうしても、平助くんに私のチョコ食べてほしいの! だから……だから」 ――行かないで、という言葉は声にはならず、私はただ、平助くんの胸にすがりついて泣くことしかできなかった。 平助くんは、そんな私の肩をそっと抱きしめると、今までに見せたことがないくらい優しい笑顔で私を見つめた。 「花梨、ごめんな。俺、やっぱり行かなくちゃ」 「………!」 「俺さ――。もしかしたら、ここで、ずっと花梨と一緒に暮らしていけるかも、って心のどっかで思ってたんだ。だけど、やっぱり、ここは俺の世界じゃないんだよな」 どうして、そんな悲しいこと言うの? いつまでも私の傍にいるって、約束してくれたじゃない。 命を懸けて守ってやるって、言ってくれたじゃない。 「ごめん」 と、もう一度、平助くんは固くこわばっている私の体を抱きしめる。 「お前との約束、守れなくなっちまった。おやじさんとおふくろさんにも申し訳ねえし。俺って、サイテーだよな」 子どもをあやすみたいに、彼の言葉は温かかった。 ――そんなことないよ。 ――平助くんは、世界で一番かっこよくて、ステキだよ。 「俺の生きる世界はあそこしかないんだって、やっと分かったんだ。もう迷わない。何があっても後悔しない。試衛館の仲間が待ってるあの場所に、戻るよ」 新選組でも御陵衛士でもなく、試衛館の仲間。 その言葉を聞いたとき、私の胸の中で何かがはじけた。 そうなんだ。彼はやっと、自分の進むべき道を見つけたのだ。迷って、悩んで、苦しんで……。ようやくたどり着いた、それが答。 平助くんは、もう迷わないだろう。 自分の意志で油小路に立ち、笑顔で試衛館の仲間と対峙し、そして、最後まで武士としての誇りと矜持を失うことなく――。 その瞬間、私の頭の上で、時間が軋んだような気がした。 あの夜、この部屋に開いたタイムワープの扉が、もう一度開こうとしているのだろうか。 夢は、いつか醒める。神様の気まぐれは、いつまでも続かない。 最初から分かっていたはずだった。 それでも。 うたかたのように儚い奇跡を永遠に、と願うのは私のわがままですか、神様――。 |
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<9 に続く> |
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