いにしえ夢語り浅葱色の庭言の葉しずく



帰 郷  Episode 4


家族の風景


「平助くん」
明日は京都に帰る、という日の夜になって、父が真面目な顔で切り出した。
「よかったら、帰る前に一度、儂と手合わせしてくれんかね」
――え? という顔で平助くんが私を見る。
私はあわてて二人の間に割って入った。
「お父ちゃん、何言ってんの! 平助くん、こう見えてめちゃくちゃ強いんよ。怪我でもしたらどうすんの。絶対に、ダメやからね!」
必死に止めようとする私に向かって、父は涼しい顔で言った。
「何を言うてるんや。お父ちゃんかて、県大会で2位に入ったことあるんやで。まだまだ若い者には負けてへん」
「そんなん大昔の話やないの」
平助くんのことを知りもしないで、まったくなんてことを言うんだろう、このオヤジは。
県大会とかそういうレベルじゃない。平助くんは、常に生きるか死ぬかの瀬戸際で剣を振るってきた。もちろん、実際に、人を斬ったこともある(と思う)。高校の部活の剣道などとは、そもそも生きている世界が違うのだということを、父は知らない。
私があきれ果てて口をつぐんでしまったのをいいことに、父は強引に平助くんに詰め寄った。
「なあ、平助くん、どうや。いっぺんくらいええやろ?」
平助くんは、真剣な目をして考えていたが、やがて顔をあげるとにっこりと微笑んだ。
「分かりました。お父さんがそこまでおっしゃるのなら」
「平助くんったら! お父ちゃんも、あかんって!」
泣きそうな顔をしていたのかもしれない。
私の気持ちを察してか、
「大丈夫」
――うまくやるから、と平助くんは私だけに聞こえる声でささやいた。


次の日の朝早く。
母と私が見守る中、父と平助くんは、竹刀を手に裏庭で向かい合った。
きん、と冷え切った空気が頬に痛い。
えらそうなことを言っても、実際に平助くんが剣を構えるのを見たのはこれが始めてだ。
いつもの平助くんとは明らかに違うその気迫に、私は思わず息をのむ。
近寄るのがためらわれるほどの張り詰めた闘志。不用意に近づいたら、一刀両断にされそうな殺気。
ジャージにトレーナーのラフな格好でも、そこに立っているのは、間違いなく幕末のサムライだった。
「平助くん。流派は?」
父の問いに、凛とした声が答える。
「北辰一刀流です」
「ほお。それはまた――」
古風やな、と父は感嘆した。
再び、静寂があたりを支配する。
打ち込む隙が見つからないのか、しだいに父の顔が紅潮するのがわかる。
父の焦りを誘うように、正眼に構えた平助くんの剣先が、かすかに揺れた。
「たあああああっ!」
吸い込まれるように、父の体が前へと踏み込む。
上段からの一撃をするりとかわした平助くんの竹刀が、次の瞬間、残像も残さない速さで父の胴を襲う。
勝負は、一瞬で決まった。


「お父ちゃん!」
私と母が駆け寄るよりも早く、胴をしたたかに打たれてうずくまる父に、平助くんが手を差し伸べた。
「大丈夫ですか?」
――ああ、大丈夫や、と強がる父だったが、実際には相当こたえたらしい。
平助くんに助け起こされながら、苦笑いをこぼした。
「ほんまに、年は取りとうないわ。けど、平助くん、見事な腕前やな。年のせいなんかやない、儂の完敗や」
「恐れ入ります」
神妙に頭を下げる平助くんと私をそこ残して、父は脇腹をさすりながら、母に抱えられるようにして家に入っていった。
「平助くん……」
青ざめた顔で立ち尽くす私に、平助くんはにっこり笑って言った。
「ああ、心配しなくていい。あんまり痛くないように打ったからさ。だけどおやじさんには、俺が手ぇ抜いたの、ばれちまったかな?」
(へええ、そうなんだ――)
そんなふうに手加減してるなんて、見ている私には全然分からなかったけれど、彼の心遣いがうれしくて、私は思わず平助くんの手を握り締めていた。
「平助くん、ありがと。お父ちゃんのわがままに付き合ってくれて」
「いや、俺の方こそ、さ。久しぶりに竹刀握れて、うれしかったしな」


そして、その夜のこと。
平助くんがお風呂に入っている間に、そっと両親のご機嫌伺いに行ってみた。私の顔を見るなり、父は目を輝かせて口を開いた。
「なあ、花梨。平助くんの剣の腕は、相当なもんやな。正直、びっくりしたわ」
「うん」
思いのほか父が上機嫌だったので、私もつられてにこにこしてしまう。
――せやけど、と父の視線が鋭くなった。
「よっぽど実戦を重んじる道場で学んだんやろか。竹刀を構えたときの気迫が怖いくらいでなあ、言うならば『殺気』に近いんや。あんなものすごい気合は、今の剣道ではあり得へんな」
「………」
意外に鋭い指摘に、私は一瞬体を硬くしたが、父は相変わらず上機嫌のまま言葉を続ける。
「しかしまあ、平助くんの心根がまっすぐで曇りがない、というのも分かった」
「へええ。竹刀で向き合っただけで、そんなことまで分かるの?」
「当たり前や。お父ちゃんかて、昔は県大会で……」
「はいはい。その話はもう何回も聞いたから」
話をさえぎって部屋を出ようとする私に、父が温かいまなざしを向ける。
「けどまあ、これで、安心してお前のことを彼に任せられるな」
「お父ちゃん? 突然、何?」
私は、思わずどきりとして父を見つめた。そんなこと、私の方からは少しも言わなかったのに。
とまどう私に、母がみかんを手渡しながら微笑みかけた。
「平助さんって、ほんまにええ人やねえ。花梨、わがまま言って困らせたりしたらあかんよ」
「もう、お母ちゃんまで」
父と母の笑顔を見ていると、何だか鼻の奥がつんとしてくる。
とにかくこれで、平助くんに「家族」というものを作ってあげることができたのだろうか。
もちろん、これから先のことは分からないけれど――。
私は、少しおどけて敬礼の真似をした。
「――花梨、了解であります!」


短かったけれど、いろいろあった里帰り。
かばんには入りきらない土産を手に、私と平助くんは、再び鈍行列車に乗り、故郷を後にした。
「平助くん」
窓の外を走り去っていく冬の日本海の景色を、めずらしそうに眺めている平助くんに、私はそっと声をかけた。
「疲れたでしょ」
「まあな。けど、花梨のおやじさんやおふくろさんに会えて、楽しかったよ」
「うん。いろいろ、ありがと」
なんだか、胸の奥がほっこりと温かい。
少し強引だったけど、平助くんを引っ張ってきてよかった、と心から思う。

この一週間の思い出が、いつまでも二人の心に残りますように。
幸せな時間が、少しでも長く続きますように。

祈るような思いを込めて、私はそっと平助くんの肩に自分の頭を持たせかけた。
彼との距離の近さを、確かめるように――。


2009/12/11

前回、一旦打ち止め宣言をした里帰りエピソードですが、どうしてももう一回だけ書いておきたくて、無理やりこの話を押し込めました(笑)。
これで本当に「帰郷」シリーズは終わりです。とりとめのない話を、ここまで読んでくださってありがとうございました。
後は本編ですね〜。最初はすぐに終わるつもりで書き始めたのですが、いつの間にやら1年近くたってしまいました。それでも未だに終着点が見えないという…。(^_^;)
もうすぐ平助くんイベントも終わってしまいますね。期間中に何とか完結したい、と気持ちは焦っても筆は一向に進まず…。どうしよう〜〜。困ったなあ。


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