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諸葛喬のこと |
今連載している「姜維と香蓮」シリーズに登場する諸葛喬という人を、みなさんご存知でしょうか?
諸葛喬は、諸葛瑾の次男で、子どものいなかった叔父 諸葛亮の養子になった人です。北伐の始めあたりで病気で死んでしまうのですが(しかも25歳という若さで!)、劉禅の姉を娶ったという説もあって、孔明さんもこの息子にはずいぶん期待していたらしいんですよ。 実子の瞻が生まれてからも、「跡継ぎはお前だから気にするな」とわざわざ喬に言ってみたり。(この「わざわざ」っていうのが何となく引っかかる気もするけど?) まあとにかく、それなりによくできた息子ではあったようです。 重複しますが、ウィキペディアによると、 「諸葛喬(しょかつきょう 204年−228年)は呉の将諸葛瑾の次男。蜀漢の武将。字は初め仲慎、後に叔父の諸葛亮の養子となった時に伯松と改めた。諸葛攀の父で、諸葛顕の祖父。やがて、父の命で叔父・諸葛亮の養子となり、将来を期待される。後に劉禅の姉を娶ったと言われ、蜀漢の[馬付]馬都尉に任じられた。諸葛亮に諸葛瞻が誕生した後も変わらず期待されていた。だが、その才能を発揮することは無く、漢中にて病死した。享年25。長兄の諸葛恪よりは才能が劣っていたが、性格は父譲りで遥かに上であると評された。」 とあります。 やはり、孔明さんちの跡継ぎという「親の七光り的要素」を差し引いても、人柄もよく、それなりに周りから期待されていた人だったのでしょう。 ところが不思議なことに、この人、養子とはいえ諸葛孔明の子というとってもおいしいポストにいながら、なぜか史実でも演義でも創作でも、ほとんど出てこないんですよね〜〜。 先日までシャカリキになってやっていたゲーム「三国志孔明伝」でも、諸葛瞻はちゃんと登場して大活躍するのに、「喬」の字も出てこない…。 私自身これまであまり関心もなかったし、詳しく調べたこともなかったんですけれども、今ちょっと興味がわいてきているところです。 それというのも、前述の「姜維と香蓮」シリーズを書くにあたり、当サイトのオリジナル設定である姜維の妻香蓮について、いろいろとああでもない、こうでもないといじくり回していたんです。 彼女は、実は趙雲の娘なのですが、正式に親子の名乗りを上げることができない事情がありまして、孔明に引き取られて、喬とは家族として何年かをともに過ごしている、という設定になっています。 そんな中で、喬が香蓮のことを愛しく想うようになっていったとしても、決して不自然じゃありませんよね。もちろん、香蓮が喬に想いを寄せるというのもありなのですが、悲しいかな、香蓮は孔明を慕っているということになっておりまして、喬の恋はあえなく失恋ということになってしまうのですが…。 もっとも、私の創作世界では香蓮の方が重要な役どころでして(笑)、その周辺をさぐっているうちに、喬という人に行き当たった、という感じでしょうか。 諸葛喬については、まだまだ、漠然としたイメージしか浮かびませんし、資料的にもあまり詳しくは分からないんですが、いつかまた違った角度から喬と香蓮の関係を書けたらいいなあと思っています。 それにしても、関平くんといい諸葛喬くんといい、なぜか養子の出現率が高い拙サイトだったりします…(笑)。 |