I LOVE 三国志
姜維命日によせて |
今日1月18日は、姜維の命日なのだそうです。
実は私って、あまり歴史上の人物の命日とか誕生日とか覚えていなくて、すごく好きな人でも、知らなかったり忘れちゃってたりします。 姜維の命日というのも全然知らなくて、お邪魔しているサイトさんの情報で初めて知りました。 旧暦なので、今の暦になおしたら3月3日くらいになるようです。その季節、成都ではどんな花が咲いているのでしょうか。 それにしても不思議。1700年以上も昔の人なのに、今でもその吐息とかうめき声とか涙とか血の色とか、鮮やかに目に浮かんでくるんですね。 死ぬときはどんな思いだったんだろうとか、孔明への気持ちとか、故郷への思いとか。とても身近にかんじることができるような……。もちろん、本当のところは分かるはずもないのですが。 姜維については、後世の評価はさまざまで、度重なる北伐の強行が国力を疲弊させ、蜀滅亡の原因になったという批判もあります。 それは、確かにそうかもしれません。 でも、姜維にそれ以外の道があったでしょうか。 故郷を捨て、不孝不忠のそしりを受け、それでもかつての己の故国に攻め入り続けた彼。まるで孔明の遺志が乗り移ってしまったかのような彼の生き様に、私はやはり、熱い涙を注がずにはいられません。 正史の姜維伝に、郤正(げきせい)という人の論文が載っています。 それによると、「姜伯約は上将の位置を占め、群臣の上に位置していたが、粗末な家に住み、余分な財産を持たず、別棟に妾を置く不潔さもなく、奥の間で音楽を奏させる楽しみももたず、あてがわれた衣服をまとい、備えつけの車と馬を使用し、飲食を節制して、ぜいたくもせず倹約もせず、お上より支給された俸禄の類を右から左へと使い果たした。彼がそうした理由を推察すると、それによって貪欲な者や不潔な者を激励しようとしたり、自己の欲望を抑制し断ち切ろうとしたのではない。ただそれだけで充分であり、多くを求める必要はないと考えたからであった」と姜維の暮らしぶりを記しています。 さらに「姜維のように学問を楽しんで倦むことなく、清潔で質素、自己を抑制した人物は、当然その時代の模範なのである」とも。 姜維が好きなひとにとっては、こたえられない名文ですよね。もう、郤正えらい! よくぞ言ってくれました!っていう感じです。 ここに書かれている姜維の生き様は、本当に、師である諸葛孔明の生き様にそっくりそのまま重なります。 富貴を求めず、栄達も望まず、贅沢もせず、楽しみももたず、ただただ戦うことだけを目指した男の姿。一言の言い訳をすることもなく、己の信念を貫き通した彼の生涯。それは、あまりにもストイックな……。 せめて今日一日は、心静かに姜維の冥福を祈りたいと思います。 切なくて……胸がいっぱいだから。 |