I LOVE 三国志

姜維さまへ……愛をこめて(なんとゆータイトル!)

姜維伯約というひとの生涯、ことに後半生を思うとき、私はやりきれない気持ちになる。
あまりにも一途で、あまりにも健気で……。
もう立派な熟年男性(孔明が死んだとき、姜維はすでに三十代半ばだったはず)に対して、これは失礼な言葉かもしれないが、本当にじわっと目蓋が熱くなるような感覚を、まず抱いてしまうのだ。

もともと魏の武将だったかれが、母や妻子を捨てて敵国である蜀に降ったのには、それなりの訳があったのだろう。
吉川英治の「三国志」では、姜維の才能に惚れ込んだ蜀の丞相諸葛亮孔明が、さまざまな策をめぐらして何とかかれを蜀の軍門に降らせようと苦心する様が描かれている。
実際には、そんなドラマチックな駆け引きがあったわけではなく、孤立した姜維が部下とともに孔明の下に降参してきただけだったらしい。

ただ、おそらくはこのとき初対面だった二人の間に、通常では考えられないような感情の起伏というか、精神的な共感があったと想像するのは、あながち無理ではあるまい。そうでなくては、これ以降かれが、文字通り全身全霊で孔明に仕えた理由が分からないのだ。
どれほど長い間つきあっても、理解しあえない相手もいる。かと思えば、ほんの少し言葉を交わしただけで、まるで数十年来の知己のような親しさを覚えるひともいる。
姜維と孔明の出会いは、おそらく後者であり、むしろ一目惚れに近いものではなかったかと思われてならない。

当時姜維は、魏の中郎将として冀城を守っていた。ところが「蜀軍攻め来る」の報に浮き足立った太守の馬遵は、部下の動揺を抑えられないばかりか、疑心暗鬼に捉われ、ついに部下を見捨てて逃亡してしまう。残された姜維は、部下とともに蜀軍の中に孤立してしまうのである。
万に一つも勝てる望みはない。一戦も交えることなく、降伏しなければならない口惜しさ。だが、こんなところで部下たちを犬死にさせるわけにはいかない……。
苦渋の末に、姜維は投降を決意したのだろう。むろん、部下の助命のためなら、何のためらいもなく己の首を差し出す覚悟だったにちがいない。

一方の孔明はというと、そのころすでに先帝の劉備は亡く、跡を継いだ劉禅を守って孤軍奮闘していた。
劉備を支えた諸将たちも、いつか櫛の歯の抜けるように鬼籍に入っており、蜀の人材不足は誰の眼にも明らかだった。
劉備亡き後の蜀で、孔明はひとり聳える孤独な巨人だったといっていい。

片や信頼していた上司に裏切られて失望している若者。
片や自分の後継者と成り得る有能な人材を捜し求める指揮官。
まさに天の配剤というべきではないか。この運命的ともいえる幸福なめぐり会いが、その後の姜維の生き方を決定づけたにちがいないのだ。
晩年の姜維の、魏に対する執拗な攻勢は、狂気とも見えるほどだ。まるで孔明の魂が姜維に乗り移ったとしか思えない。
姜維が孔明とともに過ごしたのはわずか6年あまりにすぎないが、その間かれは師の悲願、志を、痛いほどその身と魂に浴び続けたのだろう。

孔明の死後、後を継いだ蒋エン、費イは、一貫して専守防衛に徹した。そして驚くべきことに、孔明の遺徳と天然の要害に守られてか、蜀はその後三十年にわたって命脈を保ちえたのである。
しかし一方で、劉備が理想を掲げ、孔明が引き継いだ蜀漢は、常に曹操の魏と対極の位置にあることで、その存在理由があったといえるのではあるまいか。孔明亡き後、蜀は次第にこの存在理由を失っていくことになる。

そんな蜀の行く末を、姜維は誰よりも激しく、歯噛みするような思いで案じていたはずだ。
今の蜀は、魏に滅ぼされるのを待っているようなもの。このままでは、劉備の理想、孔明の悲願が雲散霧消してしまう。崇高な建国の理念なくして、たとえ百年千年永らえようと、何の意味があろうか、と。
かれの選択肢は、戦うこと以外にはありえなかったのである。たとえそれが、蜀漢の命脈を縮めることになろうとも。

後年、度重なる出兵が国力を疲弊させ、蜀の滅亡を早めることになったとして、姜維を非難する声も多い。だが、最後まで劉備や孔明の掲げた理想を守り抜き、夢に殉じたかれこそが、三国志の終焉を飾る最後の英雄であったと思いたい。

姜維伯約。
誇り高き武人の孤独。
あなたは最期の瞬間、笑っていましたか――?



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