Bar ピーチ・ハート ( 年 越 し 編 ) |
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都会(まち)の喧騒を離れた裏通りに、その店はある。バー「ピーチ・ハート」。 気配り抜群でしっかり者の美形マスター趙雲氏と、ちょっぴり気の弱い天然癒し系のアルバイト姜維くんが切り盛りする、小さなカウンターバー。 さて今夜は、どんな客が訪れるのだろうか……。 |
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ゆく年くる年 あわただしい年の瀬。今日はもう十二月三十日。 毎年毎年この時期はうんざりする。 友人たちの中には、すでに仕事納めで、もうのんびりお正月の準備をしていたり、海外旅行に出かけたりしている人もいるっていうのに……。 私の職場はサービス業なので、クリスマスもお正月も関係ない。それでも三年ほど前までは、元日だけはお休みだったのだが、今は年中無休だ。なにしろ、世間様がのんびりしている時の方がかえって忙しいというのが、この業界の常なのだもの。 そんな年末年始にももう慣れっこになってしまったが、やっぱり少し寂しい。 「ねえ、帰りにちょっと寄っていかない? この間偶然、いいお店見つけたんだ」 ロッカールームで一緒になった同僚のクミコが、グラスを空けるジェスチャーをした。 「年末年始の修羅場を乗り切るためには、充電も必要だよ」 「そうねえ。じゃ、行こうか」 身体はくたくただったけれど、今夜くらいはちょっぴり羽目をはずしたい気分。ばっちり化粧直しもして、クミコと二人、夜の街に繰り出した。 行きつけのイタリアンレストランで、軽く食事をした後、お目当ての「店」に向かう。 その店は、ちょっとさびれた裏通りにあった。地下鉄の駅を降りてから、十分くらいしか歩いていないのに、師走の都会(まち)の喧騒とはまるで別世界。「Bar.ピーチ・ハート」の看板も、少々うらぶれて見える。 「ねえ、ほんとにここなの?」 「そうよ。すごく感じのいいマスターと、かわいいウエイターくんがいるの」 「ふうん……。でも、何気に入りにくい雰囲気だけど」 「平気、平気。ささ、キョウコお姉さま、どうぞ」 クミコはちょっとおどけてドアを開けた。 「いらっしゃいませ!」 お店の中は、思ったより広くて明るい。 私たちは、笑顔のかわいいウエイターくんにコートを預け、カウンターの隅っこの方に遠慮がちに腰を下ろした。 「お客さま、よろしければ、もっとこちらへいらっしゃいませんか」 カウンターの中に立っていた男性が、おしぼりを準備しながら声をかけてくれた。ふむふむ、これがクミコの言ってた「感じのいいマスター」ね。 「そんなに遠くては、お客さまのすてきなお顔がよく見えませんし」 マスターのさわやかな笑顔につられて、私たちも思わず笑ってしまった。お客に対するリップサービスだとわかっていても、悪い気はしない。 勧められるままにカウンターの真ん中に移動してから、あらためて店内を見回してみた。 飾り気はないけれど、趣味のいい調度品。磨きこまれた一枚板のカウンター。ピカピカに光っているグラス。そして、壁いっぱいに作り付けられた棚には、聞いたこともないようなめずらしいお酒がずらりと並んでいる。 心地よいジャズが静かに流れる店内は、私たちのほかはお客さんが一人いるだけだ。 目の前には、生真面目で優しそうなマスターと、ジャニーズ系のハンサムなウエイターくん。 私もクミコも、仕事の疲れもどこへやら、これから何かとてもステキなことが起こりそうで、なんだかウキウキしてきた。 「ね? いいお店でしょ」 クミコが自慢げにささやいた。 「うん。いいね」 「ピーチ・ハート」かぁ。こんなにステキなお店が会社の近くにあるなんて、知らなかった――。 「お客さま。何にいたしましょう?」 注文を聞くマスターの、縁無し眼鏡の奥の目が笑っている。 「え〜〜、クミコ、何にする?」 「ここまで来てビールなんて言えないよね。憤死だわ」 「ワインっていっても、よくわかんないし。どうしよう?」 たいしてお酒の知識もない私たちは、こんな時、最初に何を注文したらいいのかわからない。不用意にとんでもない注文をして、かっこいいマスターやかわいいウエイターくんに笑われたらいやだし。 「お客さま、もし悩んでいらっしゃるなら、一杯目は私がお選びしましょう。よろしいですか?」 「……あ、ええ。お願いします」 なんて絶妙のタイミングの助け舟だろう! しかも、客に恥をかかせないようにという心遣いがよくわかる。私はマスターのさりげない気配りに感激してしまった。 自分たちだってお客さま相手の仕事をしているんだもの。ほんとに見習わなくっちゃ。 マスターが私たちに選んでくれたのは、きれいな色をした二種類のカクテルだった。 「こちらはクミコさまに。ミモザです」 「そしてこちらはキョウコさまに。キールロワイヤルです」 ミモザはオレンジ色、キールロワイヤルはカシス色。 マスターによると、どちらもシャンパンをベースにした飲みやすいカクテルで、クリスマスやお正月などのお祝いの席にふさわしい華やかなお酒なんだって。 細長いシャンパングラスが優雅で、女性の魅力を引き立ててくれる効果もあるそうだ(笑)。 「デートのときに注文されるといいですよ。そう、キスするように、優しく唇を当てて飲んでくださいね」 マスターの冗談に、思わず頬がゆるんでしまう。 「いかがですか?」 「おいし〜〜い!」 ほんとに美味しかった。すっきりと上品な甘みとさわやかな飲み口で、これなら何杯でもいけそうだ。 それから私たちは思いっきり飲んで食べて、めずらしいお酒を教えてもらったり、アルバイトのイケメンウエイターくんをくどいたりして(笑)、楽しい夜を過ごしたのだった。 「きゃあ、もうこんな時間!」 「大変。明日も朝早いのに」 大慌てでお勘定を済ませた私たちに、マスターがお土産をくれた。 「年末年始もお仕事ご苦労さまです。これはささやかですが、今年最後のお客さまに私からのプレゼントです。どうぞお受け取りください」 それは、ピンクのハートがついたマドラーだった。透明の袋に入り、ピンクのリボンが結んである。お店で使っているものを、急遽ラッピングしてくれたのだろう。 「ありがとうございます。マスター、来年もちょくちょく来させてもらっていいですか?」 「もちろんですよ。今年の営業は今日で終わりですが、新年は五日からやっておりますので、またいつでもいらしてください。お待ちしております」 今年最後のお客さまかぁ。そう言ってもらえると、なんだかうれしい。マスターにとって私たちは「いい客」だったんだろうか。 急ごしらえのプレゼントもおしゃれで、一足早いお年玉をもらった気分。 店の外に出ると、冴え冴えとした空にオリオンが輝いていた。 今夜はいい夢が見られそうだ。 |
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了 2007/1/1 |
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【あとがき】 みなさま、新年明けましておめでとうございます。 この話、実は年末年始限定のWeb拍手お礼用に考えたものです。でも、拍手お礼だと人目につく機会も少ないので(笑)、新年ごあいさつ用にすることにしました。 いつもは姜維くん視点で書いている「ピーチ・ハート」シリーズですが、たまにはこういうのも雰囲気が変わっていいかなと。相変わらず天然の姜維くん…は今までどおりですが、趙雲マスターってば、若い女の子が相手だとけっこうハイテンションなジョークを飛ばしたりするんですね(笑)。 どうぞ今年も「ピーチ・ハート」のゆかいな仲間たちをよろしくお願いいたします。 |