いにしえ夢語り浅葱色の庭言の葉しずく



空が何処までも青いのは



高い空に、真っ白な入道雲が頭をもたげている。
降るような蝉時雨。
夏の昼下がり、壬生寺の境内はしんと静まり返っている。
いつもは鬼ごっこやかくれんぼに興じている子どもたちの姿も、今日は見えない。
あまりの暑さに、家で昼寝でもしているのだろう。
藤堂平助は、寺の縁側に座って、白く輝く雲の峰を眺めていた。
頭には暑苦しいほど包帯が巻かれている。
池田屋へ斬り込んだときに受けた傷だった。
額に受けた一撃は思いのほか深手で、彼は三日三晩死の淵をさまよい、ようやく蘇生した。
それから十日あまり。やっと屯所の外まで出られるようになったのだ。


突然、平助の視界を横切ったものがある。
(あ。竹とんぼか――)
竹とんぼは、空高く舞い上がり、青空の色ににじんだかと思うと、すいっと元の場所に戻ってくる。
その影が、平助の後ろに近寄ってきた男の手元に吸い寄せられた。
「平さん」
「なんだ、総ちゃんか」
手元に落ちてきた竹とんぼを見事に捕らえたのは、沖田総司だった。
「もう、起きていいの?」
「ああ、やっと医者の許可が出たんだ。寝てるしかない、っていうのは退屈で死にそうだからな」
「そう、よかったね」
沖田は、彼らしい透明な笑顔で平助を見た。日陰に立っているせいか、ひどく顔色が悪い。
「総ちゃんの方は、もうすっかりいいのかい?」
「私なら、大丈夫。元々体調が悪かっただけで、怪我したわけじゃないんだから」
「そうだったな」
あの夜、沖田も池田屋での戦闘中に倒れたのだ。
本人は、風邪を引いて体調が悪かったせいだと言っているが、実際には、大量の血を吐いて昏倒したのだということを、平助は知っている。
(この、陽気でよく笑う総司が労咳だなんて、とても信じられねえ)
自分の怪我は、日がたてば癒える。幸いにも、剣を振るうのには支障のない怪我だった。
だが、沖田は――。
労咳は不治の病だ。血を吐く、ということは、死を宣告されたに等しい。


ふたたび。
竹とんぼが空高く舞い上がる。
沖田の視線は、無邪気にその軌跡を追いかけている。
風に乗る竹とんぼを追って、日差しの中へ進み出た沖田が、つと振り向いて言った。
「池田屋で傷を負ったとき、平さんは何を考えてた?」
「え?」
「私は……。気を失う寸前にね、ああ、もうこれで死ぬんだ、と思うとさ、次は、自分が死んだら誰が泣いてくれるんだろう、なんて考えてたんだ」
平助の心臓が、どきんと音をたてた。
「まあ、少なくとも姉さん、それに近藤先生や土方さんも泣いてくれるかなって。そう思うと、なんだか安心して死ねるような気がした。おかしいね」
まぶしそうに目を細める沖田の手の中に、まるで魔法のように竹とんぼが滑り込んでくる。
手にした竹とんぼをくるくる回しながら、彼は平助の横に腰を下ろした。薬湯の匂いが、つんと鼻をつく。
「俺もさ、同じことを考えてたよ」
ひざを抱えたままで、平助がぽつりとつぶやいた。
「真っ暗な部屋の隅に転がって、意識が薄れていって……。だけど俺の場合は、俺がここで死んでも、誰も泣いてくれねえだろうなぁ、って思ったんだ。そういう人を残してこなかった自分の人生がひどく寂しいものに思えて、なんか悲しかったな」
しんみりと声を落とすと、急に沖田がはじけるように笑い出した。
「まさか。近藤先生や山南さん、それに新八っつぁんだって絶対泣くよ。土方さんはちょっとわかんないけどね」
――うん、と平助は素直にうなずいていた。
そうだ。きっと、試衛館の仲間たちが泣いてくれる。
親も兄弟もいない。ずっと孤独の中で生きてきた。そんなモノトーンの自分の人生の中で、試衛館で過ごした何年かだけが、鮮やかに彩られた月日だった。


「俺、ここにいてもいいんだよな?」
自分なりの思想や夢があったわけではない。ただ、みんなと離れるのが怖くて、京へついてきた。
足手まといになりたくなくて、いつもがむしゃらに前に向って突き進んだ。
そんな自分は、本当に他の仲間から必要とされているのだろうか。
「平さん」
沖田が、いつになく真剣なまなざしで平助の顔をのぞき込んできた。
「私は、平さんが死んだら泣くよ。他の誰が泣かなくても、私だけは絶対に泣くから」
「―――」
言葉が出ない。
代わりに、涙がこぼれた。
恥ずかしさに、思わず目をそらす。遠くに投げた視界の中に、抜けるような空の青が飛び込んできた。
(新選組の青だ――)
浅葱色の隊服。新選組の青は、誠忠の青だ。
この空が何処までも青いように、新選組は何処までもまっすぐにその誠を貫くのだ。
そして、自分もまた、この空のようでありたい。
遥か遠くを見つめる平助の視線の先を、もう一度、竹とんぼが飛んだ。



2009/7/15



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