いにしえ夢語り浅葱色の庭言の葉しずく




がこんなにもしいのは



さっき、こいつにぶっ叩かれたとき、正直、目がくらむかと思った――。

千鶴に叩かれた頬が、熱い。
その熱はいつまでも冷めずに、俺の凍え切った心の深淵までしみ込んでいくかのように思われた。


俺は、新選組羅刹隊、藤堂平助。
いや、正確には『藤堂平助だったもの』か。
今の俺は、すでに人ですらない。
昼間は日の光を避けてじっと息を潜め、夜の闇の中、血に狂った己をもてあます化け物だった。
この身に穿たれた禍々しい刻印は、日ごと夜ごと、俺から人としての誇りを奪っていく。そればかりか、俺の命の灯火さえ消耗させていくのだった。
羅刹になった者は、人とは思えないほどの驚異的な身体能力と再生力を得る変わりに、理性を失い血に狂う化け物になってしまう。さらに、羅刹の力の源はもともと自分が持っていた生命力であるため、その力を使えば使うほど、己の寿命も削られていくのだという。
(汚らわしい力を使い果たした羅刹は、その瞬間、体が塵になって崩れてしまう、か――)
後には何も残らない。そいつが生きていた、という一片の痕跡さえも。
それもまた、意気地なしの俺には、ふさわしい末路かもしれない。


あのとき。
俺は油小路で、千鶴を助けようとして瀕死の重傷を負った。
もう、助からない。このまま死んでしまうんだ……。
暗黒の中に沈んでいく意識の底で、たったひとつの灯りのように、お前の顔が浮かんだ。
試衛館の仲間と袂を別ち、新選組を離れて、御陵衛士として生きるという道を選んだ俺。
屯所を出て行く朝、俺を気遣ったお前は、精一杯の笑顔で言った。
「平助くん。新選組のみんなと別れて、これから先いろいろと大変だろうけど、何があっても無茶したり自棄(やけ)になったりしないでね。どんなことがあっても、死んだりしないって約束して。私のために――」
「分かってるって。心配すんなよ。お前のためにも、俺は絶対死なねえから」
そうだ。
死なないと約束した。最後まで、俺がお前を守ってやると誓ったんだ。
だから、こんなところで死ぬわけにはいかない。
そうして、俺は、変若水(おちみず)に手を伸ばした。
(ああ。だけど、本当は――)
何をどう取り繕っても、言い訳にすぎないとわかっている。
ただ、死ぬのが怖かった。お前を残して逝きたくなかった。
その気持ちだけで、俺は変若水を飲んだんだ。
その先にあるものを深く考えもせず、少しでも命を永らえたいという一縷の望みにすがって。
俺は、自ら人であることを捨てた。
あの日から、『藤堂平助』の時間は止まったままだ。


「平助くん」
顔を上げると、今にも涙がこぼれそうな張りつめた表情で、俺を見つめる千鶴がいた。
「千鶴……」
「ごめんね、私……」
声がふるえて、途切れる。
「平助くんが羅刹になったのは私のせいなのに。私に平助くんを責める資格なんてないのに。それなのにぶったりして……。ごめんなさい」
「馬鹿! 何言ってんだよ! 俺が変若水を飲んだのは俺が決めたことで、お前のせいなんかじゃないって、何度言ったら分かるんだ」
「………」
大きく見開かれた彼女の目から、ぽろぽろっと涙がこぼれた……と見る間に堰を切ったように大粒の涙があふれて頬を濡らした。

――何て顔するんだよ。俺のために泣いたりするなよ。

自分でもどうしていいのか分からなくなって、俺は千鶴の細い体を抱きしめた。
俺の腕の中で、かわいそうなほど身をふるわせ、声を殺して泣いている――愛しいひと。
お前にそんな顔をさせるために、(命を投げ出して)助けたんじゃない。
お前を泣かせるために、(羅刹になって)生きながらえたんじゃない。
それなのに。
情けない俺は、今もこうしてお前を苦しめている。


「俺、自分でもどうしていいのか分からないんだ。お前のために生きるって決めたのに、俺がいることでお前に辛い思いをさせてる。そんな自分が情けなくてさ」
自嘲に似た笑みが俺の頬をゆがめる。
「そんなことない!」
強い口調でつぶやいた千鶴が、顔を上げた。澄んだまなざしが、まっすぐに俺の胸に突き刺さる。
「平助くんが傍にいてくれるだけで、私は幸せだよ。羅刹でもなんでも、平助くんが生きていてくれるだけでうれしいの。だからこそ、平助くんのそんな投げやりな姿、見たくない……」
嗚咽の中から、切れ切れに紡がれる千鶴の言葉は、まるで清らかな水のように俺の胸にしみわたり、乾いてささくれた魂を静かに癒していく。
「分かったよ。もう、弱音は吐かない。大丈夫だ」
「ほんと?」
ああ、とうなずいて、俺はちょっと強引な笑顔を浮かべた。
「いつ、崩れて灰になってしまうかも分からない俺だけどさ――」
大きく見開かれた眸子が、じっと俺を見つめてくる。
「それでも、最期の瞬間まで、俺がお前を守ってやるよ。約束だからな」


そのとき、障子の向こうに、ぼんやりと明かりが差した。
遅い月がのぼったらしい。
月明かりに照らされて、千鶴の白い顔が花のように浮かび上がる。
「平助くんの辛さは、きっと平助くんにしか分からない。でもね、どんなに暗い夜の闇も、真っ暗なだけじゃないでしょう? 空には月も星もあるんだもの。目をこらせば、きっと微かな光が見えるはず」
ああ、千鶴の言うとおりだ。
さっきまで真っ暗だったこの部屋にも、今お前のおかげで、ほのかな光が差し始めている。
この光は、信じられる。
「俺にとっちゃ、お前がたった一つの光明だよ」
「平助くん」
千鶴が、やわらかなまなざしで俺に微笑みかけた。
「私が月になるよ。なれるかどうか分からないけど、これから先、平助くんの行く道を照らす、月の光になりたい」
「千鶴――」


愛しくて。
ただ、お前が愛しくて。
お前のためなら、今この瞬間に、体が崩れ去ってもかまわない。
お前の笑顔のためなら、俺はいつだって笑っていられるさ。
俺は、さっきとは全く違う気持ちで、もう一度千鶴の体を抱きしめていた。
強く抱きしめすぎたのか、腕の中で細い体がもがく。
「平助く……」
千鶴の言葉をさえぎるように、小さな唇を奪う。
「……んっ」

――ごめん……。しばらく、このまま……じっとしていて。

お前がこんなにも愛しいのは、なぜだろう。
人でなしの俺に、あの日からずっと空っぽだった俺の体に、お前が再び魂を吹き込んでくれた。
生きる意味を、明日もまた生きたいと思える希望を、お前が与えてくれたんだ。
この命は、お前のもの。
残された日々は、お前のために生きるべき時間。


――千鶴。
俺の手の中でふるえている、小さくて、愛しくて、大切なひと。
お前のために、俺はもう一度、『藤堂平助』として生きてみるよ。
ありがとう。




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2009/12/29

イベント終了2日前になって、ようやくできました〜〜。
ずっとやりたい、やりたい、と思っていたマゴムギさんとのコラボSSです。ずっと早くにいただいていたのに、しかもこちらからコラボのお願いを言い出したにもかかわらず、こんなに遅くなってしまって本当に申し訳ありません。m(__)m
本当はね、当初、もう少しアブナイ話を考えていたんですよ。年齢制限ギリギリかな?っていう感じで(笑)。でも、結局そこまでは行けなかったんですよね。そういうお話を書いておられるサイトさんは他にもありますし。うちの平助くんは、やっぱりここまでかな。
後は、読んでくださった皆さまの想像にお任せいたします。
最後になりましたが、マゴムギさん、本当にステキなイラストをありがとうございました。
もうすぐ平助イベントも終わってしまいますが、来年も相変わりませず、平助くん話にお付き合いくださいませ。よろしくお願いいたします。





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