いにしえ夢語り色彩の庭珠玉の間



夢 散 (鈴峰春奈さん作)




「―――伝令、伝令!」

あの日から、自分は唯一つの想いを胸に戦ってきた。

「成都からの勅命、全軍直ちに降伏せよ!ケ艾軍により成都は陥落…」

只、あの地に帰りたい一心で。



全てはあの時、あの地から始まった。
今となっては遠き故郷、天水の地で。

諸葛孔明殿―丞相が天水郡に攻めてきた際、天水太守である馬遵殿は部下を捨てて逃げ出した。
その事により天水は落ち、自分は蜀軍に降伏した。
更にその後、蜀軍は街亭の地にて大敗を喫し撤退する事になり、自分も共に蜀の地へ降った。

望まぬ降伏。
その事により、故郷を離れざるを得なくなった悔しさ。
思えばその時から、自分の想いは一つだったのかもしれない。

あの地へ、天水へ帰りたい。

蜀に降った後、丞相は降将の自分を厚遇して下さった。
丞相への恩はある、しかし蜀に忠誠は誓えなかった。
自分は、蜀の将である前に魏の将なのだ。
尤も、丞相の前では、そのような素振りなど見せなかったが。


丞相が五丈原の地にて陣没された後、自分は遂に行動を起こした。
丞相の遺志を継ぎ魏に攻め込むと上奏したのだ。
その時は費文偉殿に諌められ、僅かな兵しか与えられなかったが、その文偉殿も暫くして亡くなった。
最早自分を止められる者はいなかった。
度々北伐を上奏し、魏へ攻め込んだが、大国である魏に勝つ見込みなど無きに等しい。
そのような事はわかりきっている。
むしろ、その全てが我が策の内であった。
北伐により国力を消耗し、蜀を内側から滅ぼす事が、自分の策であった。
幸いにも、君主・劉公嗣殿は君主には向かない程に平凡な人物であり、更には陛下に取り入る宦官・黄皓の存在があった。
これらの事が、蜀と言う国の疲弊に拍車をかけた。

全ては、もう一度あの地へ帰る為に。

ここまで長い時がかかった。
そして今、我が策は成った。
その筈なのに。


「…それは、つまりどういう事だ」

何だ、この空しさは?

「蜀の国が、滅んだと言う事になります」
「……そうか」

何だ?この喪失感は…

「我らが剣閣で戦っていると言うのに、陛下は降伏されたと申すのか!」
「姜将軍!我らはまだ戦えます!現に剣閣はまだ落とされて…」
「もうよい!」

あぁ……そうか、そういう事か。

「もう…終わったのだ…」

少し、この国に長く居過ぎたようだ。
私としたことが、少なからずこの国への情を抱いていたとは…

「魏軍へ…鍾将軍へ伝えよ。我が軍は投降すると」



我が策成れり。
しかし、もうあの地…我が故郷へは帰れないだろう。
何故ならば自分は最早魏の将に非ず、蜀の将なり。
ならば、せめて。

「来るのが遅いのではないか?」
「これでも早過ぎる方だと思っております」

せめて、最後の悪あがきを。
自ら追い落としたこの国への償いを。
その為に今一度、策を成そうではないか。


――天命とは、かくも残酷な物なのか。

姜伯約、自らの身命を賭した策…半ばにして露見す。――


「我が計破れたり、これも天命なり!」

無限に迫り来る敵影の中、ただひたすらに剣を振るう。
一体どれだけの影を斬っただろう。
最早、身体も思うように動かなくなってきた。
しかし、まだ倒れる訳にはいかない。
まだ、まだだ。

一瞬、左胸を激しい痛みが襲う。
余りの痛みに、反射的に屈み込む。
こんな時に…これもまた天命なのか…
と、胸以外にも激しい痛みが走る。
何事かと思ったが、すぐに自分が斬られたのだと気付く。
最早、これまで、か。

身体が、崩れ落ちて行くのがわかる。
痛みは、もう感じなくなっていた。

我が天命尽きたり。
そう思った刹那。

薄れ行く意識の中、脳裏を過ったのは…あの時の空。
自らを見出してくれたあの人と見た、五丈原の星空。
そして…遥か遠くの、懐かしき故郷。
天水に降り積もる雪の中で一人佇み、涙を流す母の姿。

申し訳ありません丞相。
全てを偽っていた事を、そしてその償いを果たせぬまま逝く事を、どうかお許し下さい。
自分の想いに、もっと早く気付いていたなら…或いは。

申し訳ありません母上。
貴女を悲しませてばかりだった不甲斐ない息子を、どうかお許し下さい。
でも…もう悲しませる事はありませんから。



景元五年正月、夢を追い続けた一人の男が散った。
果て無き想いを胸に抱き、遠き地への夢を見ながら。
共に夢を追った者達の下へと、龍の如く昇っていった。
かつて自らへ課した戒めから解放されたその顔は、何処までも安らかで。
口元に笑みが浮かんでいるようにさえ見えたと言う。



鈴峰春奈さん作)


「姜維鎮魂祭」にと、鈴峰さんからいただきました。本当にありがとうございます。m(__)m
まずは、この作品と一緒にいただいたメールに書かれていた、鈴峰さんご自身のコメントをご紹介したいと思います。

「この作品『夢散(むさん)』は、自分のブログに以前掲載した『刹那』と、同じくブログに近日中に掲載したいと考えている『仮説・不落剣閣』と言う2つの短編を1つに纏めたものです。
いざ自分で姜維や蜀末に関する創作を…と思うと、必ずと言っていい程に最初に浮かぶのが、剣閣〜成都の乱をネタにしたものになります。
姜維は何故無謀な北伐を繰り返したのだろう…とか、何故あのような賭け(成都の乱)に出たのだろう…とか、最期の瞬間、何を思ったのだろう…とか、どんな表情をしていたのだろう…とか、考えれば考える程に止まらなくなってしまうのです。
そんな中で、もし彼が最期に故郷を想っていたならば、と思い立って書き上げたのが『刹那』であり、もし彼が行った北伐に何か別の意図があったならば、と思い立って書き上げたのが『仮説・不落剣閣』です。
2つとも想いを込めて書き上げた物であり、今回の『夢散』もまた同じく、彼の想いを、生き様を、自分なりに伝えられるようにと書き上げた物です。
夢散――あらゆる意味で夢に散った彼への鎮魂の意を込めて。
作品に込めた想い、それが少しでも伝われば幸いです。        鈴峰春奈」


最初にこの作品を拝見した時は、衝撃でした。
私なんかには思いもつかない大胆素敵な仮説。でも、もしかしたら、そうだったのかもしれない…と思わせられる節も。用意周到、忍耐強く自分の策を遂行しながら、最後の最後になって、ぽろりと人間らしい弱さを見せてしまう姜維が、やっぱり何ともいえず切なくて愛しいですね。
鈴峰さん、「鎮魂祭」にふさわしいすばらしい作品を、どうもありがとうございました。


●鈴峰春奈さんのサイト「R.W.S.S.〜Red Wings -Secret Stage-」へはこちらから


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