今月のお気に入り
「松本零士について語る。正直言って、少々おこがましい。 多くの方々が語っておられる中で今さら……という気もするし、何よりも、私などが百万言を費やしても、彼の12ページの短編にさえ遠く及ばないことが、分かりすぎるほど分かっているからだ。 彼の作品は、理論を必要としない。肌にしみこんでくるのである。 私は、やはり松本零士について書かずにはいられない。 かすかに、ゆっくりと、しかし確実に、読む者の心に流れ込んでくるような彼の体臭の中に、私は、自分の青春の証を見出すことができるからだ、確かに、そんな一時期があった……。」 何とも、大仰な文章で申し訳ありません。しかも松本零士氏を「彼」なんて呼んだり、呼び捨てにしたり(失礼なヤツですね)。 これは、私が昔、マンガの同人誌に載せた文章の出だしの部分です。今回、1月の「お気に入り」で松本先生の名作「四次元世界」を取り上げるにあたり、大昔に書いたこのエッセーを参考にしました。 ちょっと若くて熱くて、稚拙な文章なのですが、あの頃はこんな風に、一途にこの作品に惚れこんでいたんだという気持ちを伝えたくて。 もしかすると、みなさんにはあまりなじみのない作品かもしれませんが、しばらく語り部の身勝手なおしゃべりにお付き合いください。 松本零士氏の「四次元世界」という短編集をご存じでしょうか。 実は私が、本当に松本零士氏の心に出会ったといえるのは、この1冊の小学館文庫なのです。 もちろん、それ以前から氏の名前はよく知っていましたし、「戦場まんがシリーズ」など感銘を受けた作品も少なくはありませんでした。 しかし、「四次元世界」とのめぐり会いは、その後の私の意識構造に大きな影響を与えたといっても過言ではないほどのものでした。感動や感激などという月並みな言葉では、とうてい言い表せないような衝撃に、体ごと揺すぶられるようなあの時の思いを、今でもはっきりと覚えています。 そこには、松本零士という人のこれまで生きてきた男の人生が、生々しく凝縮されていました。 青春、人生、青年の日の燃え立つような情熱、若さゆえの焦燥、挫折、悲哀、希望……。それらの重みが、12ページの作品のひとつひとつに、1コマ1コマに、1本1本の描線に、あまりにも見事に昇華しつくされ、この1冊の中に、宇宙よりも大きな松本零士の世界が広がっているのを感じて、心の底から戦慄したものでした。 「四次元世界」の彼は、まだ若いんですね。作品も、作者本人も。 それだけに、1本の線、ひとつの点にいたるまで、零士氏の血によって描かれたかのような、そんな情念をすら感じることのできる作品群だといえるでしょう。 ここに収められた13編は、同時期とはいえ、それぞれは別々に発表されたものなのでしょう。1作1作を切り離して読めば、あるいはそれほどには感じないのかもしれません。しかし、こうしてひとつの本にまとめられると、何かやりきれないような、たまらないほどの痛みを心に受けるのです。 同質の作品ばかりが並んでいる。ひとつひとつが、それぞれ違った音色を奏でつつ、集まってひとつの和音となり、重なりあいながら、やがて絶叫となってほとばしる……。 「四次元世界」の主人公のほとんどは、ぱっとしない少年です。 人間だったり、昆虫だったり、舞台も現代だったり未来だったり、あるいは昆虫の社会だったり、それこそ幻想とSFの世界が交錯する不思議な四次元ワールドなのですが、共通するのは、主人公の少年たちが、みな熱くて激しくて、まっすぐな不屈の魂を持っていること。 できることなら、この本に描かれている少年たちの「目」を見ていただきたいと思うのです(ちょっと無理なお願いですが)。 こんな目をした主人公に出会ったことがありますか? 気負いと情熱を一身に背負いながら、過去と未来を引きずって、どろどろと煮えたぎる少年の目。生きることの哀しみを宿しつつ、それでも精いっぱい生き抜こうとする男の目。 零士氏の描く「目」には、無限の思いが秘められているように思えてなりません。 そう、この目なのです。私が心惹かれてやまなかったものは。 このやりきれない「男の目」こそが、私を引きずり込んで放さない松本零士の呪縛だったのかもしれませんね。 ところで、松本零士といえば、「宇宙戦艦ヤマト」を抜きにしては語れなくなりました。それまで、一部熱狂的ファンはいたものの、どちらかというとマイナーな漫画家というイメージが強かった彼の名前を、一躍世に知らしめた作品なのですから。 しかし、私としては、ヤマトはむしろ零士氏の本質とは対角線上にある作品のように思えてなりません。 ヤマトは「愛」をテーマにしているといいます。確かに零士氏の諸作品は、その根底にヒューマニズムを踏まえた作品です。けれども、彼の言う愛は、生きるということに対して、ヤマトのテーマほど単純明快でもなく、また甘くもないのではないでしょうか。 愛さえあれば平和が来るのか? 相手を許すことだけで、生きてゆけるのか? ――答えは「否」です。 生きるためには戦わねばなりません。それは人間が、命あるものすべてが、生まれながらにその血の中に持っている悲しい宿命であろうかと思います。 松本作品に見る、悲しくなるまでの生に対する慈しみ……。零士氏は、決して戦うことを否定しません。むしろ生きるための戦いを、美しいものとして肯定しているような気さえするのです。 それゆえに、そのようにして自らの手で勝ち取る生命はすばらしいのだと、そういう生き方をする人間が、生き物がいとおしくてならないのだと、氏は訴え続けているように思えてならないのですが……。 生きてゆくということは、なんと辛く苦しいことでしょう。 それでも人は生きなければなりません。挫折しても、さらに挫折しても、なおそこから這い上がれる人は幸せだと思います。どんな時でも、夢や未来を信じて、歯を食いしばり、燃える目をすることのできる人は……。 松本マンガには、そんなしたたかな生命の歌があります。 クモだって、オケラだって、人間だって、みんな一生懸命生きている。そのことに関しては、命あるものすべて、みな同等なのだということを――、これほどまでに体質としてマンガに描ききった人を、私は知りません。 ぼくはコオロギ 土色の膚はきたないさ きみたちの火は青い きみたちの火は美しい でも でも ぼくの胸に燃えてる火は おまえたちの火とちがって熱い この熱い火が おまえたちにわかってたまるか! (蛍の青い火より) 男はな ひとに涙を見られたくないもんだ 泣きたいときにはな ひとりっきりで 歯をくいしばって泣くもんだよ そうやって つらいことにはたえていくんだ 男なら 身におぼえがあろうが (さらば生命の時より) でも あなたには あなたの世界があるわ あなたの世界をもったあなたが どんなにすばらしいか いつかわかる人が きっとくるわ (無限世界のヤンより) 松本零士の名をつぶやく時、私にはヤマトの歌なんか聞こえない。聞こえてくるのは、ヤンやアムやモク、リフ、ルウ……たちの叫びだけ。 「おれは生きているぞ!」「力の限り、命ある限り、生き抜いてやるぞ!」って。 風のように、潮騒のように、声ならぬ声が私の横を駆け抜けていきます。 人の心には、おそらくいくつもの次元があるのでしょう。 私の中にもきっと! その次元の穴のどこかに、私が松本零士氏とともに育てた、私だけの「四次元世界」があるにちがいありません。 |
2006/1/1 |
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