いにしえ夢語り浅葱色の庭言の葉しずく




花 葬 −わかたれた道−



「おい、平助。明日、花見に行くぞ」
最初に言い出したのは原田左之助だった。
「いいけどさあ。もう散りかけてるんじゃねえの?」
季節はすでに花の盛りを過ぎている。そろそろ花吹雪から、早いところでは葉桜になろうかという頃だ。
呼びかけられた藤堂平助は気乗りしない声をあげたが、原田は意に介さず、断固として言った。
「かまうもんか。行く、つったら行く!」
「強引だなあ、左之さんは。まあ、今に始まったことじゃねえけど」
屯所の台所で二人が話していると、巡察から帰ってきたばかりの永倉新八が汗をぬぐいながら顔を出した。
「おうおう、何か面白そうな話してるじゃねえか。俺もまぜろや」
「うえっ、新八つぁんもか――」
平助は、大きくため息をつく。この二人に捕まったら、どうしようもない。
「こら左之、平助。飲みに行こうかって話で俺に声かけねえとか、殴んぞ」
「飲みに行くんじゃなくて、花見に行こうって話なんだけど」
「おうよ。花見っていやぁ、酒がつきもんだろ」
平助の反論は、永倉によって軽くあしらわれる。花見は口実、酒が飲めたらそれでいい、というところだ。
「はあ。結局、そうなるのかよ」
「――だな」
原田の絶妙の間のとり方に、三人は顔を見合わせて笑った。


幹部三人が揃って非番などという日は、そうそうあるものではない。が、うまい具合に、ちょうど次の日がそうそうないめぐりの日だった。
その日は、昼頃から強風が吹き荒れ、春の嵐のような天候だったが、三人はさして気にも留めず、打ち揃って出かけた。
着いた所は清水寺。街中に比べると、花はまだかなり残っている。
舞台から見下ろすと、音羽山へとつながる谷全体がふんわりとした桜色に染まっているような眺めだ。
「うっわー。すげえ!」
「谷が全部、桜吹雪だ」
風が吹き抜けるたびに、谷を埋めた桜の花びらが舞い散り、舞い踊り、視界を淡く染めていく。
男たちは柄にもなく感嘆の声をあげていたが、やがて平助が感極まった表情で言った。
「ああ。団子食くいてえ」
「……じゃ、ねえだろ、平助。花見には酒って決まってる」
永倉がすかさず茶々を入れる。
「んーと……。それじゃあ、酒と団子!」
「――だな」
こういう話になると、まとまるのも早い。
参道脇の茶店に上がり込んで、ひとしきり花と団子と酒を堪能した三人は、やはりそれだけではもの足りず、祇園近くの小料理屋にしけこむことになった。
平助は、それほど酒は強くないが、あとの二人はうわばみだ。
飲むほどに、酔うほどに、男たちの本音が顔を出す。
にぎやかに飲んでいた原田が、急に静かになったかと思うと、猪口をなめながらぽつりとつぶやいた。
「なあ、やっぱり行くのか」
「え?」
「伊東さんとよ、行っちまうのか?」
原田の目が底光りしている。問いの相手は平助だ。
座が、しんとした。
「――うん」
しばしの沈黙の後、平助は顔を上げ、まっすぐに原田の視線を受け止めた。


参謀として新選組の重責を担っていた伊東甲子太郎が、腹心の同志たちを伴って新選組を離脱したいと局長 近藤勇に申し出たのは、昨年秋も深まってからのことだった。局を脱することは隊規によって禁じられていたため、伊東らは、あくまで脱退ではなく分派であると主張した。
近藤を始め、副長の土方歳三、永倉、原田らは、伊東の巧妙かつ大胆不敵な提案にあきれ、怒りもしたが、何より彼らを驚かせたのは、離脱を宣言した伊東一派の中に、試衛館以来の仲間である平助がいたことだった。
藤堂平助は、彼らが上洛するずっと以前から試衛館に居候として居ついており、新選組設立当初からの幹部として、近藤や土方の信任も厚かったからだ。
――平助は、こちら(試衛館)側の人間。
誰もがそう思っていた。
しかし。
元を正せば、平助は北辰一刀流の出である。ばかりでなく、若い頃に伊東の寄り弟子だった、という噂もある。同流の誼から、伊東に新選組への参加を勧めたのが他ならぬ平助だということからしても、二人がかつて師弟の間柄だったことは十分考えられる。
それならば、この期に及んで彼が伊東と行動を共にしたとしても、驚くにはあたるまい。
何よりも、その若さゆえに、平助が抱く勤皇の志は純粋無垢なものだった。北辰一刀流の道場で、最初にすり込まれた尊皇攘夷思想は、今も脈々と彼の血の中に流れ続けている。
そんな平助にとっては、今の新選組の在り方そのものが、疑問を抱くに十分だったといえる。
「やっぱり、他所者(よそもん)は他所者だってえことだ」
平助の離反を知った土方は、ことさら無表情を装い言下に吐き捨てたが、その言葉は、同じく他流派である永倉や原田を深く傷つけた。
たとえ流派が違っても、一緒に笑い合い、語り合い、汗を流した仲ではないか。京に来てからは、文字通り互いに命を預け合って戦ってきたのだ。
それを他所者の一言で片付けられては、自分たちの立つ瀬がない。
言いようのない怒りに震えながら、初めて原田は、山南や平助が感じていたであろう深い絶望と孤独を肌で感じることができたような気がした。


しかし、やはり新選組を離脱するという選択は、危険が大きすぎる。土方が、このまま伊東一派を見逃すとは思えない。裏切り者に対する粛清は、速やかに、そして峻烈に行われるだろう。
いずれ必ず、戦わねばならない日が来る。
(そのとき俺は、こいつを斬れるのか? 何の迷いも、ためらいもなく――)
原田は、真剣なまなざしをこちらに向けている平助の端正な顔を、痛々しい思いで見返さずにはいられない。
素直で嫌味のない平助の性格は、誰からも好感をもたれていたし、幹部の中では一番年が若いということもあって、原田や永倉にとってはかわいい弟分のような存在だった。
その平助と殺し合うなど、原田には想像もできなかった。
「伊東さんのどこがいいんだよ、平助?」
重苦しい沈黙を引き取ったのは永倉だ。その声には、諦観にも似た寂しさがにじんでいる。
「どこって、そりゃあ……。いっときとはいえ、伊東さんは俺の師匠だったし、元はといえば俺が新選組に誘ったんだしさ」
「だからって、お前が責任取らなきゃならねえって話じゃねえだろ」
「責任とかさ、そういうのじゃないんだ」
平助自身、己の心がはっきり見えているわけではない。まして親友に釈明できるほどの理路整然とした理由など持っているはずがなかった。
ただ。
義理とか責任とか、そんな理屈ではないところで、伊東甲子太郎という男に心惹かれている自分がいる。この気持ちは、どれほど言葉を尽くしても、永倉や原田には理解してもらえないだろう。

俺は――。
伊東さんを支えてやりたい。
あの人が理想とする世界の実現を、俺もこの目で見たいんだ。


四年前、平助は、それほど深い考えもなく、近藤たちについて京に来た。
そして、命じられるままに、倒幕派の浪士たちを斬ってきた。
殺戮と粛清に明け暮れる日々。そこには、若者らしい夢も、明日への展望も、望みを託すべき未来もなかった。
空疎な日々を過ごす中で、小さな迷いが、ふと頭をもたげる。
自分は何のためにここにいるのか?
自分と、自分が手にかけた若者たちとの間に、志や気持ちの上でどれほどの違いがあるというのだろう?
そんな有為の若者たちを、俺はこのままずっと殺し続けるのか。
悩むほど、迷うほど、どうしようもない閉塞感に苛まれ、胸が苦しくなる。
そんなときだった。日本の未来像を、まるで目に映るがごとく熱く語る男に出会った。正確には、「再会した」のだが――。
元治元年九月。
新選組の新入隊士を集めるため、近藤の意向を受けて一人江戸に下向していた平助は、あらかたの募集を終えた後、ふと思い立って本所深川の伊東道場を訪ねた。
かつて世話になった鈴木大蔵(後の伊東甲子太郎)が、伊東家の養子として道場を継いでいると聞き、会ってみたくなったのだ。
伊東甲子太郎は、かつての弟子が京洛で名を馳せている新選組の幹部になっているという事実に驚きつつも、久しぶりの再会と平助自身の成長を素直に喜んでくれた。
酒盃を傾けながらの話は、やがて時世への熱い思いの吐露となる。伊東は平助に向かい、胸の内に思い描く日本の未来の姿を、情熱を込めて語った。
(そんなのは、ただの理想論だ)
動乱に揺れる京で、殺伐とした日々を送ってきた平助には、伊東の言葉はあまりにも現実からかけ離れているように思える。だが、夢のような話に、一縷の望みを託したい、と心のどこかですがるような思いを抱きしめている自分がいるのも事実だった。
平助の言葉の端々に、漠然とした不安が顔をのぞかせているのを、伊東は見逃さなかった。
「藤堂くんは、今の新選組をどう思っているのですか?」
伊東が穏やかな笑顔で尋ねた。
長い沈黙が落ちる。
「伊東さん……」
このとき初めて、平助は自分の中の違和感をはっきりとした形で認識したのだった。


「近藤先生や土方さんには、総司や一さんや左之さんや新八つぁんがいるだろ。だけどあの人には……。」
「伊東さんにだって、大勢お仲間がついてるじゃねえか。何でお前まで行っちまうんだよ!」
詰め寄った原田の目には、涙がにじんでいる。
「……ごめん」
結局、言葉はそれしか出てこなかった。
酔いも醒め、言葉少なになった男たちが店を出る頃には、すでに日はとっぷりと暮れて、細い月が霞んでいた。
どこから飛んできたのか、白い花弁がはらはらと風に舞い、薄絹をまとったような夜気をさらに淡く染め上げていく。


花が散る。
風に舞い上がった無数の花びらは、空を染め、やがて冷たい土の臥所に横たわる。
花は、己が命を燃やし尽くし、静かに大地に降り積もる。
まるで、過ぎ去った青春の思い出を封印するかのように。

江戸、試衛館で過ごした日々。
新選組として生きた京での日々。

ひとたびわかたれた道は、二度と交わることはないだろう。
それでも。
憎しみあって別れたんじゃない。

だから、友よ。
最後の願いを託してもいいか。
私が斃れたときは、この屍を花で埋めてくれ――。


伊東甲子太郎、藤堂平助らが、新選組の屯所を出たのは、それから十日後のことだった。





2010/11/14

今年も、藤堂平助の命日が近づいてきました。それに合わせてアップしようと、ずいぶん前から考えていた話だったのですが、なかなかまとまらなくて難産でした(笑)。
本当は、もう少し伊東甲子太郎と平助の関係にも突っ込みたかったんですけれど、なんだか中途半端になってしまった;; 最近、私の中で伊東さんのイメージがかなり変わってきたこともあって、この辺りは、ぜひまたどこかで書いてみたいと思っています。
11月18日。今年も戒光寺には墓参に行けそうもありませんが、遠く奈良の空から、平助くんの冥福を祈りたいと思います。





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