いにしえ夢語り浅葱色の庭言の葉しずく




その笑顔を抱きしめて




私(山村花梨)が、幕末からタイムスリップしてきた藤堂平助くんと一緒に過ごした二カ月は、真冬の季節だった。
今思うと、平助くんには寒々しい冬空よりも、絶対にまぶしい夏の日差しが似合う。
だって彼の笑顔は、満開の向日葵のようだったから――。

◇◆◇

「花梨。何ぼーっとしてるん?」
「え? あ、ああ、ごめん」
親友の工藤麻美の声が、妄想の淵に沈んでいた私を現実に引き戻した。
ここは海辺のリゾートホテルのテラス。目の前には、真っ青な夏の海が広がっている。
「はい、ジュース」
「ありがと」
テーブルに頬杖をつき、受け取ったジュースを一口飲んで、私は小さなため息をひとつ、ついた。
「あー、また彼のこと思い出してたやろ。あかん、あかん。そういうのを忘れるための旅行なんやから」
「うん。分かってる」

分かっている。
もう、二度と会うことのできない人なんだ。
どんなに思っても、平助くんは私の手の届かないところに行ってしまったんだ。
だから、あきらめなきゃいけないんだ。
分かっているけれど。
……それでも。

沈んだ心には、まぶしすぎる日差しが悲しくて。
どうして、この世界に私はひとりなんだろう。
どうして、隣にあなたがいないんだろう。
空の青、海の碧が、痛いほど胸に突き刺さる。
こんな気持ちは、今の季節には似合わない。

「ねえ、麻美。ごめん。私ね、やっぱりそんな簡単に……忘れられないよ」
「まあ、そうやろね」
ええよ、と麻美は優しく私の髪を撫でてくれた。
「思いっきりジタバタしたらええやん。泣いて、喚いて、のたうちまわって、それでもあかんかもしれへんけど――」
縁なし眼鏡の奥の麻美のまなざしが、ふっと柔らかくなる。
「そんなに好きやった人のことなんやから、無理して忘れんでもええんやない?」
あ、と私は顔を上げた。

――忘れなくても……いいの?

私を見つめる麻美の笑顔の奥、テラスの隅に飾られた向日葵の花が目に飛び込んできた。
あざやかで、まっすぐで、温かい大輪の花は、やっぱり平助くんの笑顔のようだ。
そう思った瞬間、胸の奥底から、熱いものがこみ上げてくる。

彼が元の世界に戻ってしまってからもう半年になるというのに、何を見ても、何を聞いても、思い出すのは平助くんのこと。
どうして忘れようなんて思ったのだろう。
平助くんと過ごした日々。幸せで、大切で、かけがえのない時間を、忘れられるはずがないのに。

そんな当たり前のことを、麻美の笑顔は気づかせてくれた。
彼女の言葉は、まるで水か空気のように自然に私の体の中に入ってきて、ささくれていた神経をゆっくりと癒してくれるのだった。

◇◆◇

その夜、平助くんの夢を見た。
季節は夏だ。まぶしい日差しと真っ青な海。
夢の中で私は、平助くんと二人、海水浴に興じている。
「花梨! こっちへ来てみろよ!」
波打ち際に座った彼が、私に向かって手を振った。
「ほら、これ。きれいだろ」
平助くんが私の掌にそっと載せてくれたのは、小さな桜色をした貝殻だ。
太陽の光にキラキラと光っている。
「わあ、素敵!」
思わず笑みがこぼれる。そんな私を見て、平助くんが柔らかに微笑む。
「花梨はやっぱり笑顔がいいな」
だから――と、彼は言った。
「悲しい顔をしている花梨を見てるのが辛いんだ」
「平助くん……」
「いつも笑っていてほしいんだ。自分勝手な言い草だけど」
「分かった。もう、泣かないよ。だから安心して」
私が精一杯の笑顔を返すと、彼もまた満開の笑顔で応えてくれた。
伸びやかに、晴れやかに、空に向かって咲く向日葵のような笑顔で。
「………」
やっぱり平助くんの笑顔には、太陽の光がよく似合う。

◇◆◇

目が覚めたとき、私は笑顔で……。それなのになぜか、涙があふれて止まらなかった。
夢でも幻でも、そんなの関係ない。
だって、大好きな平助くんの声が聞けて、平助くんの手に触れて、平助くんの笑顔が見られたんだもの。

夏が来るたび、向日葵の花を見るたびに、あなたの笑顔を思い出すだろう。
過ぎていく夜を見送るたび、新しい朝を迎えるたびに、胸の中にその笑顔を抱きしめて涙するのだろう。
いつか年月を経て、降り積もる時間と、幾たびの夜と朝を重ねても――。
あなたの記憶が薄れることはないと思う。
平助くん。
六十日間の幸せな夢をありがとう。
一生ものの素敵な笑顔を、本当にありがとう。
その笑顔を糧に、これからの日々を生きて行こう。



2016/5/5

藤堂平助は、向日葵のイメージです。
あくまでも、「薄桜鬼」そして拙宅の「平助くんと私の六十日間」からのイメージではありますが。
夏の日差しに負けないくらいあざやかな大輪の花を、空に向かってまっすぐに咲かせる向日葵。平助くんの笑顔そのものという感じがします。
そんな向日葵の花言葉は、「私はあなただけを見つめる」「愛慕」「崇拝」。 

 

 



「千華繚乱の宴」へはブラウザを閉じてお戻りください