掌上の雪 −沖田総司残照−

一章 修羅の巷へ



新選組――。
幕末の京洛を震撼させた、この著名な武闘集団の中核をなしたのは、江戸小石川にある天然理心流の道場、試衛館にたむろしていた男たちだった。
宗家、近藤周斎の養子として道場を継いでいた近藤勇をはじめ、土方歳三、沖田総司、井上源三郎など、みな同門相弟子で、いわば義兄弟のような間柄であるといっていい。
さらに、天然理心流の門弟ではないにもかかわらず、食客というかたちで、すっかり試衛館に居ついてしまった男たちもいた。山南敬助、藤堂平助、原田左之助、永倉新八、斎藤一といった面々である。それぞれに出身も流儀もばらばらだったが(原田左之助などは剣よりも種田流槍術を得手としていた)、皆一流の使い手であることは共通している。

お世辞にも羽振りがよいとはいえない無名の三流道場に、これだけの人物が寄り集まっていたのだ。やはり、近藤勇の人柄というべきであろう。
かれらが後に、新選組の幹部となった。

さて、沖田総司。
近藤周斎の内弟子として試衛館に預けられたのは、総司が九歳の時だった。
かれは両親の顔を覚えていない。奥州白河藩士だったという父は、総司が生まれた頃には、浪人して武州日野宿に住んでいたが、物心つかぬうちに死んだ。母はすでに亡かった。
幼い総司を育ててくれたのは、姉のお光である。その姉が、婿をとって沖田家を継ぐことになった。その都合で、総司は近藤家に預けられたのである。
ともかく――。
総司はここで、剣術を学び、生涯の盟友ともいうべき近藤勇、土方歳三と知りあい、さらには自分の生きるべき運命に出会うことになるのだ。

それは、新選組一番隊隊長として、剣に生きる修羅の道であった。

◇◇◇

近藤勇以下試衛館の一派が、幕府の募集した浪士隊に参加して上洛した後、やがて新選組として独立し、正式に京都守護職御預の身分を認められたのは、文久三年三月のことである。
浪士隊で宿舎として使っていた、壬生の郷士八木源之丞邸に、そのまま居座って屯所とした。相変わらずの貧乏所帯だったが、とにもかくにも、これで単なる浪人の集団ではなくなったのだ。

この時、近藤勇、三十一歳。土方歳三、三十歳。沖田総司は二十一歳だった。
以後、新選組は幕府公認の組織として京の治安警備にあたることになり、その存在は、倒幕派の浪士たちを震え上がらせた。

ことに沖田総司の名は恐れられた。鬼のように強い、という評判である。
事実、総司の剣の天稟は、希有のものだった。竹刀を取れば、近藤や土方もまるで相手にならない。
「ふだんは、蝿も殺せねえような顔をしてやがるくせに……」

試衛館の道場で、十歳も年下の少年にいいようにあしらわれて、よく土方はぼやいたものだ。
もともと天然理心流は、型よりも気組みを重んじる実戦向きの剣法なのだが、総司が真剣を手にした時の気迫は、常人にはない凄まじいものがあった。
ふだんのかれは、どちらかといえば あまり目立たないほうだ。かといって陰気というわけではなく、控えめな好青年という印象だろう。
色白で、睫毛が長い。線が細く、小姓にしたいような美貌である。
それが、屈託なく笑う。知らぬ者は、邪気のない眸をしたこの若者が、新選組の沖田総司だとは信じられないであろう。
新選組が結成されてからは、毎日数えきれないほどの修羅場をくぐり抜けて、総司の剣はさらに凄みを増していた。

「あいつは剣をとるために生まれてきたような奴だな」
師匠の近藤も舌をまいた。
「総司の剣には迷いがねえ。だから、強い」

土方は そう分析している。
人を斬る瞬間というのは、誰の心にも迷いが生じるものだ。
なぜこの男を斬るのか。どんな権利があって人の命を奪うのか。あるいは、自分が斬られるのではないか、死ぬかもしれない、という恐怖。
その一瞬の迷いに、隙ができる。
「どうやら総司は、そこんところが、俺たちよりふっ切れているらしい」
総司の得手は突きである。壬生屯所の道場でも、沖田の三段突きと恐れられた。
相手の懐に飛び込んで突く。最初の一突きをかわされても、さらに突き、また突く。一連の動きが目にもとまらぬくらい速い。よほどの達人でも、この連続攻撃をかわすのは至難の業(わざ)だろう。

だが同時に、攻撃一方の突きは、伸びきった己の身体を敵にさらすことになる。よほどの技と度胸がなければできるものではない。
それを、総司は軽々とやってのけるのだ。
土方がふっ切れているといったのは、この凛とした眸をもった若者が、すでに、己の生死さえをも突き抜けているように思えたからである。

そんな総司が、何となく身体の不調を覚え始めたのは、文久が元治と改元された春頃からだった。風邪でもないのに咳が出て止まらない。微熱が続くかと思うと、妙に身体がだるい。
(まさか――?)
ふと、寒々とした不安が胸をかすめた。
不安が現実のものとなったのは、その年六月、祇園祭の宵山の夜のことだ。
かねてから長州の浪士たちの不穏な動きに内偵を続けていた新選組は、この日、倒幕派の志士たちが決起のための集会を開く、という情報を得て色めきたった。

だが、場所が特定できない。木屋町三条上ル丹虎と、三条小橋池田屋の、どちらが本当の会合場所なのか。
さらに悪いことに、この時隊内には、病気で出動できない隊士が多かった。ただでさえ少ない人数を、二手に分けざるをえない。
やむなく、近藤勇は養子の近藤周平のほか、沖田総司、藤堂平助、原田左之助、永倉新八ら手だればかり八名を選んで池田屋へ。土方歳三は、二十数名を率いて丹虎へ向かうことになった。

夕暮れが迫る頃、隊士たちは、三々五々屯所を出て集合場所へと向かった。
土方が屯所の長屋門を出ようとすると、総司がいつになく大人びた顔で立っている。鎖の着込みの上に浅葱の隊服を羽織り、きりりと締めた鉢巻の下からは、真剣な眸子(ひとみ)がのぞいていた。
「土方さん、ご武運を――」

「おまえこそ死ぬなよ、総司」
「もちろん」
莞爾と微笑む総司に、土方がうなずく。
眸で挨拶をかわした二人は、静かに雑踏の中へと別れていった。



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