掌上の雪 −沖田総司残照−

序 雪の記憶



「土方さん、ほら、雪ですよ……」
見上げた眸の中いっぱいに、雪が降っている。
「総司、おめえ……雪って?」
土方歳三は、一瞬呆けたように沖田総司の顔を見つめた。
開け放した障子の外に乱舞しているのは雪ではなく、視界が白く染まるほどの……花吹雪なのだ。

慶応四年三月。
土方は、江戸千駄ケ谷にある植木屋の離れで、ひとり病を養っている総司を見舞った。
春も盛りの、晴れた日の午後である。
離れからの眺めは悪くない。母屋との間には、植木屋らしく幾種類もの苗木が雑然と植えられている。
中に、ひときわあざやかに満開の花を咲かせた桜の老木があり、逝く春を惜しむかのように、風に花びらを散らしていた。
その梢を眺めながら、土方は形のきれいな眉を寄せて、不機嫌そうに視線を遠くへ投げた。考えごとをするときの、この男の癖である。
煤けた部屋の中で仰臥する若者の枕辺にも、ときおり薄桃色の花びらが落ちてくる。するとその場所だけが、ほっかりと華やいだ春の色に染まるのだった。

――それを、総司は雪だという。
狂気ではない。
「あの日も雪でしたね……」
ささやくように総司がいった。
(そうか。雪か……)
土方は端正な顔をあげた。何か思い当たることがあったらしい。
振り向いた横顔に、枕の上から突き刺さるようなまなざしが注がれていた。
もともと大振りな眸は、痩せこけた顔の中でそればかりが異様に目立つ。血が透けるほど白い頬にかかった髪の乱れが、いっそう病の翳を濃くしていた。
(そうだよ、歳三さん。俺にとって、あの雪の夜が、あのときの雪の色が、一生の思い出なんだ)

「忘れませんよ……」
不意に、若者の喉からくぐもった咳があふれた。
「総司!」
土方は、あわてて駆け寄ると、そっと抱え起こしてやった。哀しくなるほど軽い。腕の中で、咳き込むたびに苦しそうに上下する肩の薄さが痛々しかった。
総司は黙って重心を土方の胸に預けた。
土方の手のひらに懐かしい感触がよみがえってきた。雪の夜の、遠い記憶をいとおしむように、かれは、総司の痩せた身体を抱きしめた。
「俺も、忘れねえよ」
総司との日々。ことに、京で過ごした何年かの記憶。思い出ごと、あの町に埋めてきた時間……。それを青春とよべるのなら、京を捨てたときに、かれらの青春は終わっていたのかもしれない。
全力で新選組という集団を支えて生きた月日こそが、総司の、そして土方という男のすべてであるといえた。

花の宴

いにしえ夢語りHOMEへ                    掌上の雪 目次へ