掌上の雪 −沖田総司残照−
ようやく完結しました〜〜。長いばかりの話を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。 私にとって新選組といえば、何をさておいても司馬遼太郎氏の「燃えよ剣」です。高校時代にはまって以来、今も私のバイブルであり、未だにこれを超える作品には出会えません。 というわけで、この「掌上の雪」の土方さんと沖田くんも、基本的には「燃えよ剣」のイメージからまったく抜けきれていませんね(大汗)。「二次創作」といってもいいくらい、オリジナリティーがあまりなくて恥ずかしい限りです。それほどに、司馬さんの描き出した土方や沖田は魅力的で、私などの未熟な筆では、とてもあれ以上の土方像、沖田像を表現するなんて不可能なこと。 でも、それでも、「いつか、自分なりの新選組を、自分の言葉で綴ってみたい」というやむにやまれぬ思いに衝き動かされ、この小説を書き上げました。 つたない文章ですが、読んでいただいたみなさんの心に、何かしらの余韻を残せれば、これほどうれしいことはありません。 それにしても、私が沖田総司に対して昔から感じていた疑問は、「どうしてあんなに明るく人が斬れるのか?」言いかえれば、「一方で冷徹な人斬りである総司と、子どもたちと無邪気に遊んでいる総司とが、どこで結びつくのか?」でした。 河上彦斎にしろ岡田以蔵にしろ、「人斬り」と呼ばれた男たちはどこか陰惨で暗い感じがするのに、なぜ沖田総司だけは、こんなにも明るいのか――? 新選組隊士としての殺伐とした日常、さらに死病に冒され絶望と隣り合わせの毎日だったはずなのに、かれの行動や言葉から感じられるのは、哀しいほどの透明感と優しさでした。 その問いに対する私なりの答えが、この小説です。 沖田があれほどまでに純粋で心強くいられたのは、土方に対する深い想いがあったせいだと……。少々強引ではありますが、何の打算も「けれん」もないかれの生き方の根底にある「ただひとつの熱い想い」に共感していただければ、と思っています。 この話、実は雑誌「小説JUNE」の小説道場というコーナーに投稿するつもりで書いたもので、内容的には「女性向き」のところがあります。といっても、当時私としてはむしろ「JUNE」系は苦手だったのですが、どうしても小説道場に投稿したくて、「JUNEじゃないJUNEをめざして?」半分破れかぶれで書き始めたのでした。 そのため、トーンだけは女性向だけれど、基調はあくまでもプラトニック、例の部分は無理やり付け足しか?というきらいが無きにしもあらず(笑)。あらためて読み返してみると、文章の端々に私自身の「とまどい」や「ためらい」が見え隠れしているような気もします。 ただ、書いていて、土方さんも沖田くんもどんどん自分で動いてくれましたし、作者としては「もう、自分の中にあるものみーんな書いちゃったから、いいや!」って心の底から言える作品になったと思っています(自己満足ですね〜〜)。 ところで、この作品が最初にネットデビューしたのは、今から3年前のこと。当時まだHPを持っていなかった私のために、友人のYさんが自分のサイトで公開してくださったのです。 パソコンに触り始めたばかりだった私は、ワープロで打った文章をワードに変換することもできませんでした。そんな私のつたない話に、すばらしい場所を提供してくださったYさん、ペーパーに印刷されただけの文章をOCRで読み取り、変換し、校正してくださったご苦労に対して、本当にお礼の言葉もありません。 ようやく自分のサイトを持つことができましたが、初めて自分の書いた文章をインターネット上で目にしたあの時の感激は、今も忘れられない思い出です。 何はともあれ、最後まで読んでくださったみなさん、ありがとうございました。 これからも、土方歳三や沖田総司をはじめ、途半ばにして斃れた男たちの熱い生きざまを、私なりの言葉で精一杯綴っていきたいと思います。 05/7/23 了 |
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沖田と土方のツーショット。大昔に描いた年賀状用イラストです。 モノクロで、しかもきったなくてすみません。 いつかきちんとしたCGにも挑戦してみたいと思っているのですが……。 |