今月のお気に入り



諸葛孔明 時の地平線


諏訪 緑



初めて手に取った時、最初のうちは何となく違和感があって、すんなり入り込めなかった印象があるのですが、孔明をはじめ曹操、劉備、ホウ統、華佗、周瑜、趙雲、馬超、馬謖、司馬懿などなど、登場する人たちの設定がすごく斬新で、読み進むにつれいろいろと新しい発見があって驚かされました。
こんな孔明、こんな三国志もありかよ?!と…。
全巻を読み終えた今でも、全く違和感がないと言えば嘘になりますが、それでもこれは、諏訪緑さんによるもうひとつの壮大な三国志ワールドです。これまでの既成概念を忘れ、ひととき諏訪マジックの世界に遊んでみるのもよいのではないでしょうか。






 1巻
 第1場〜第4場

プロローグは、徐州へ侵攻した曹操と、少年の日の諸葛孔明の出会い。すべてはこの日から始まった。村を焼き、民を皆殺しにし、部下の兵をも情け容赦なく斬り殺す曹操を、孔明は激しく嫌悪しながらも、なぜか強く惹かれる自分を感じる。
7年後、荊州隆中で農を営み、弟妹とともに暮らす孔明は、荊州の有力豪族の息子ホウ統と知り合う。唯一の友人である徐庶が劉備の下に仕官することになったり、妹の縁談が持ち上がったり、はたまた敬愛する農の師匠棗祇(そうし)が仕官していた曹操に殺されたり…と、今まで静かだった孔明の身辺にも、次第に時代の波が押し寄せてくる。
世の中の動きを自分の目で見つめるため、孔明はホウ統とともに旅に出る。農民たちの自治区ともいうべき「塢(う)」を訪ねた孔明は、華佗と再会するが、塢を壊滅させようとする曹操の兵士に発見され…。


今までの三国志には出てこなかったいくつかの視点が、ここにはあります。
ひとつは、孔明と曹操の奇妙なつながり。華佗は、曹操と孔明が同じ「時の申し子=龍」であることを感じ取る。二人の放つ光彩は異質なものだが、どちらも時の熱をその身に宿したふたつの龍。
この「曹操と孔明がこの時代の二つの龍である」という視点こそが、この作品の根底を貫く柱になっているのですね。
もうひとつは、「塢」という考え方です。この作品では、孔明はあくまでも農民や庶民の側に立って戦う人(どちらかというと非戦の人か)として描かれています。
塢は、農民たちの自治によって治められている郷であり、原始共産制に近いかもしれません。曹操は、これを統治の妨げになるとして排除しようとしますが、孔明はこうした社会こそが、新しい国家の秩序を構築していくための萌芽になるのではと考えます。
主人公である孔明は、すごく人間的で、怒りもすれば泣きもする、時には我を忘れて取り乱すといったごく普通の感性豊かな若者として描かれており、それが魅力でもあり、反面三国志を知っている人からすると、少々物足りなく感じるところでもあるかな、というのが私の正直な感想ですね。
その他の登場人物も、みなそれぞれ謎めいていたり複雑だったりと、決してワンパターンな描き方をしていないのが新鮮で魅力的です。
特にびっくりしたのはホウ統。何とも不思議なキャラクターですね、彼は。
大河ドラマの幕開けとしては、ほんの少々軽すぎる感じもした1巻ですが、今後の展開に期待を込めて。




 2巻
 第5場〜第9場

旅を続ける孔明とホウ統は、ふとしたことから呉の周瑜と出会い、配下にならないかと誘われる。それを断り、曹操に会いに行った孔明は、曹操が熱く語る理想に心惹かれつつも、目的のためには手段を選ばず、人をモノとしてしか扱わない曹操に違和感を覚える。
華ダの助けで許都を脱出した孔明とホウ統は、曹操の追手を逃れて、遠く蜀から西南夷と呼ばれる地方へ足を伸ばす。


2巻では、孔明に重要な影響を及ぼす周瑜、さらに曹操が登場。緊迫の展開です。
まず、この巻から登場する周瑜がめちゃくちゃかっこいいです。(^^)
指導者としての器、政治手腕、軍事能力、どれをとってもすごいヤツなんです。
この周瑜さまを見ていると、本当に孫策がもう少し長生きしていて、周瑜と一緒に天下に乗り出していたら、きっと三国の歴史は変わっていただろうと思わせられますね。
劉備より先に蜀を手に入れ、天下は魏と呉で二分されていたかもしれない。劉備の出る幕ないじゃん、って感じで…。
周瑜にとっての不幸は、孫策があまりにも早死にだったことだろうなあ。
いえね、このマンガを読んでいると、本当に人には相性というものがあって(周瑜はそれを「知己」という言葉で表現していましたが)、二人が一緒になったらそれこそ十倍も二十倍もの力が発揮できる組み合わせというものが、確かにあるに違いないと思わせられてしまうんです。
後で登場する劉備というのが、ちょうど孔明にとってはそういう存在で、孔明には周瑜でも曹操でもなく、劉備でなければならかったんですね。そういうことを理屈ではなく、直感的に感じ取らせてくれるのが、この作品のすごいところ。
そして、もう一人の主人公とも言うべき曹操。これがまた、何とも言えず魅力的ではあるのです。のっけから、孔明と曹操の対決シーンの迫力には圧倒されました。
孔明と曹操は、同じ「時の申し子」で、言うならば表裏一体のものなのですよね。
だからこそ、同じ理想を求める二人の心は、激しく同調し、孔明は曹操に強く惹かれるのですが、しかし、二人がその理想実現ための手段とする道は全く違うのです。
つまり、孔明と曹操は決して「知己」にはなれない、相容れない存在であるということになるわけです。
孔明がそのことに気づくまで、結構イライラさせられちゃいましたけど(笑)、確かに曹操というのは主君として、そして人間的にも、とても魅力のある人だったのでしょうねえ。




 3巻
 第10場〜第14場

隆中へ帰ってきた孔明に、襄陽の名士 黄承彦の娘との縁談が持ち上がる。孔明は、話を断るために黄承彦の屋敷を訪れるが、そこで出会った黄承彦の娘 英は、まだ10歳の少女だった。
曹操が荊州に攻め込んでくるという噂がささやかれる中、孔明は新野を預かる劉備玄徳に出会い、不思議と心を惹かれるのだった。
孔明と劉備の接近を知った曹操は、孔明の妹 隴(ろう)とその夫 ホウ山民を人質にとり、二人を引き離そうとする。劉備とともに隴の救出に向かった孔明だったが…。


第3巻にして、いよいよ孔明の運命の人 劉備の登場です。
この劉備は、見た目はぜ〜んぜんかっこよくないんです(笑)が、雰囲気的には私の考えている劉備にけっこう近くて、違和感なく受け入れられました。とはいえ、正直もうちょびっと外見がよかったらなあ…とは思いましたけどね。
それにしても、劉備陣営の楽しそうなこと。ぴりぴりしていて胃が痛くなりそうな曹操のところとは大違い。これも劉備の大らかさというか人徳なんでしょうか。
しましまあ、劉備というのはどこまでも食えないおっさんですこと(笑)。
とぼけているのか真剣なのか…。鈍いのか鋭いのか。どこまでも底が見えない人で、そこが魅力なんです。曹操が「天敵」だと思うのもうなずけますね。
そんな劉備が孔明にほれ込み、ぜひとも自分の配下に欲しいと願う。曹操も孔明を自分の下に置くために策を弄します。でも、二人のやり方は全く違うわけで…。
曹操は強引に力尽くで。思い通りにならなければ殺してしまえと思う。
それに対して劉備は、相手の立場に立ってじっと待ちます。劉備が趙雲に語る「人が欲しいときは通うんだぜ 何度でも足を運ぶんだ」という言葉が象徴的ですね。
「相手の弱みに付け込んでも、思い通りになんかならないものさ」――そう、その通り。
この懐の広さが劉備の持ち味であり、そんな劉備だからこそ、痛々しいほど繊細な孔明といいコンビになれたんでしょうねえ。
趙雲もかっこよくて、この巻はなかなか ◎ でした。




 4巻
 第15場〜第19場

自分の求める新しい社会(国)を造るため、劉備の臣下に加わることを決意する孔明。だが以外にも与えられた役職は戦の要となる軍師だった。実戦の経験をもたない孔明に劉備軍の武将らは反感を抱くが、目前に迫る曹操の大軍を見事な策で打ち破り、信頼を得る。だが、新たな曹操軍の攻撃を避け、新野を捨てて民とともに南下する劉備たちに、曹操の追っ手が迫ろうとしていた。

第4巻は、いよいよ三顧の礼によって、孔明が劉備のもとに仕えることになる場面が描かれます。といっても、演義で描かれる三顧の礼とは少々雰囲気が異なりますが、それでも三度目の訪問の際には、劉備はしっかりお昼寝中の孔明が目覚めるまで待ってますしね(笑)。
孔明が軍師として遇されることに、関羽や張飛が不満たらたらなのも演義通り。
その後、10万の大軍で攻め寄せてきた曹操軍の夏侯惇を、博望坡でさんざんに打ち破り、一気に皆の信望を得る…っていうあたりも、筋書きだけ見れば演義の通りなのですが…。
ところが、この孔明さんは、昔から人の死に対して恐ろしくナーバスなんですよね。そこが、演義やこれまでの小説などで描かれてきた孔明像とは徹底的に違うところ。
劉備に仕える決心をしたのも、もとはといえば、新野の住民2万人をなんとか救いたいという思いからだし、戦ではない解決法を探る手立てを、もしかしたら劉備とならともに考えていけるのではないかと感じたからなんですよ。
そう、ここに出てくる孔明は(彼自身が言っているとおり)、まったく軍師には向いていないタイプなんです。
博望坡の大勝利の後、戦場をさまよい、無残に焼き殺された敵兵の死骸を見て、思わず吐いてしまう孔明――。
自分の計略で大勢の敵が死んだことに、いちいち責任を感じる軍師というのも、いかがなものかとは思いますが。(^_^.)  おいおい、こんなひ弱な神経で、これから先大丈夫なのか?と思わず心配になってしまいました。
でも、そんな孔明を、はらはらしながら見守っている趙雲がとてもステキだったりします。
英さんとの間も、なんかドサクサにまぎれて一歩前進したみたいだしね。
そうこうしているうちにも、曹操の脅威がどんどん迫ってきてるし。
いよいよ次巻は長坂坡! 孔明の真の力量が試されることになります。(^^)




 5巻
 第20場〜第24場

荊州へ侵攻した曹操軍に追われ、南へと敗走を続ける劉備軍。新野の領民10万を連れての逃避行は難渋を極め、劉備の室 糜夫人が犠牲となる。
劉備の軍師となった孔明は、曹操に対抗するためには、江東の孫権と同盟を結ぶことを必至と考え、単身江東へ赴く。そして、反対派の文官たちを説き伏せ、孫権との同盟を結ぶことに成功するが、その直後、何者かに命を狙われ、瀕死の状態に…。


前半の見所は、何といっても長坂の戦い。そう、かの有名な趙雲の単騎駆けの名場面です。
このシーンで、趙雲に惚れた!という人も多いのではないかしら。かく言う私も、吉川三国志を読んでいて、もうここで趙雲さまにくらっときてしまいましたもの(笑)。
それまでは、関羽さまがピカイチだったんですけど、ここへきて、俄然趙雲さまのかっこよさと至誠の美しさに、一気にドボン!とはまってしまいましたよ〜。 それ以来、今でもやっぱり姜維の次に大好きな武将です。
「時の地平線」の趙雲は、ちょっとこれまでのイメージとは違う感じ(直情的でやや軽い?)なんですが、それでもまじめでまっすぐで熱くて、でもけっこう神経も細やかで、なかなかのナイスガイ(←死語かしら?)なんですよ。
何かとぶつかったり言い合ったりしながら、それでも趙雲と孔明とは、一番気持ちが通じ合ってる気がします。関羽や張飛は、孔明とは全く違うタイプだし、最初から敬遠してるみたいなところがあるんだけど、趙雲だけは(もしかしたら年もそこそこ近いという設定か?)孔明に本気でライバル心燃やして、本気でぶつかっていくんですよね。 趙雲が死ぬまで、その関係が続くっていうのが、ファンにはたまらなくうれしいところです。
…ん? 長坂の戦いについて語るつもりが、私ってばいつのまにか趙雲のことしか語ってなくない?(苦笑)すみません、脇道にそれ過ぎました。

さて、江東へと赴いた孔明は、周瑜の客分として呉に滞在していたホウ統と再会しますが…。このホウ統の様子が何となくアヤシイんですね。孔明の暗殺未遂にも関わっているような形跡もあるし。そんな謎をはらみつつ、お話は赤壁の戦いへと進んでいくのですが――。
このあたりまでくると、曹操と孔明の二人が、同じく時の熱を発する竜でありながら、全く質を異にするものであることがはっきりしてきます。 似通っているがゆえに強く惹かれあい、しかし、結局は交われぬものであるがゆえに激しく反発しあう曹操と孔明。こんな風に二人の関わりを描いた作品は、初めてではないでしょうか。
シチュエーションは全然違いますが、孔明と周瑜が互いの手のひらに「火」と書き合うシーンや、孔明が矢を集めるエピソードなど、一応のツボ(演義準拠だけど…)はしっかりと抑えられていますよ(笑)。
それにしても、この周瑜はいつ見てもかっこいいなあ。
そして、この巻で初めて、孔明は髪を結い上げ、手に白羽扇という例の格好を披露します。ここまで、ず〜〜っとザンバラ髪で、いくら何でも少々見苦しいのではないかい?と思っておりました。
いや〜、見事に涼しげな軍師に大変身!しちゃったのであります。これがまた似合うんだよねえ。(^^)
ちなみに、この礼服と羽扇は、呉の廷臣との舌戦に臨む前に周瑜から贈られたもの、ということになってます。その時添えられていた手紙には、「諸葛亮 そなたに鎧を進呈いたそう 周公瑾」と。 ほんとにもう、周瑜さまのかっこよさが際立つ演出ですね〜。




 6巻
 第25場〜第29場

刺客に襲われ瀕死の重傷を負った孔明だが、華佗の治療によって一命を取りとめる。長江をはさんで対峙する曹操と周瑜。そんな中、ホウ統が両軍の間で不穏な動きを見せ始める。
長期戦への不安を抱く周瑜は、曹操の大船団を火攻めにすることを考えるが、そのためには「東南の風」が不可欠だった。勝利を願い、風を祈る孔明。赤壁に二つの龍が激突する――。


二〇八年、赤壁の戦い。
激突するかと見えた二つの時の龍は、長江上空で行きちがい、鳳は翼を失った…。
「時の地平線」第6巻は、いよいよ「赤壁の戦い」の幕が切って落とされます。

孔明が呉へ赴いてからの展開は、表面だけ見ていれば、びっくりするくらいに演義準拠。
舌戦で呉の降伏派を打ち負かし、奇策をもって一夜で矢を集め、蒋幹を使って蔡瑁・張允を排除し、さらには壇を築いて東南の風を祈り……といった具合。
ところが、表に出るのが同じ行為(結果)であっても、解釈によってこれだけその意味するところ(真相)が変わってくるのか、というのがこの作品の面白さであり、醍醐味なんですねえ。
時地版赤壁のキーワードは、ずばり「東南の風」。なんて言うと、演義と同じじゃないかと思われるかもしれませんが、なかなか、諏訪さんのお話は一筋縄ではまいりません。
孔明は(もちろん周瑜も)、この季節、長江沿岸に東南の風が吹く日があることを知っていました。そして曹操も(!)そのことは予知していて、万が一東南の風が吹いて呉が火攻めをかけてきた場合の対処法も考えていたというのですね。
ところがさらに、孔明はその上をいってしまうのです。 最大のポイントは、東南の風が吹くかどうかではなくて、吹いている時間だった、という話。
また、開戦を前にした、ホウ統の不穏な動きも気になるところ。果たして彼は、曹操のスパイなのか? 孔明や周瑜を裏切るのか?
全部ネタバレで大いに語ってしまいたいところですが、そこはぐっと我慢…。
もうひとつの新解釈は、曹操を赤壁で殺さずに逃がしたのは、孔明の明確な意志だったという点です。
敗走する曹操を、昔日の恩義から見逃す関羽。華容道の段は、演義でも屈指の名場面ですが、諏訪さんの解釈は全く違います。 華容道で、自ら曹操の前に現れた孔明は、真正面から曹操に対峙し、己の心中と天下統一への構想を明かすのです。
「私はあなたを逃がすためにここへ来たのです」
ここで曹操に死なれては、ようやく安定しかかっていた河北の情勢が再び悪化し、天下も大きく乱れるだろう。それを防ぐため。そして三国鼎立という孔明の遠大な構想のために。
ここまで(実は最期まで、なのですが)一貫して、民衆(農民)の側に身を置くという立場を崩さない孔明を描いている諏訪さん、立派です。こんな構想は、私なんぞにはとうてい考えつきません。というか、途中で挫折しちゃうでしょう。ほんとにすごい!!
それにしても、いつまで経っても「人の死」にデリケートすぎる軍師サマですねえ(笑)。まあ、そこが時地版孔明の孔明たる所以なんですけど…。




 7巻
 第30場〜第34場

赤壁で大敗した曹操の勢力が衰えた機を狙って、天下統一のため蜀攻略を急ぐ周瑜に対し、戦を避けたい孔明は蜀との同盟こそ良策と考え、二人の意見は対立する。そして、荊州を治めていた劉gが、病の床で自分亡き後、荊州を劉備に託すと宣言。それを聞いた周瑜は激怒し、孫権の妹との婚礼を口実に、劉備を暗殺しようと企む…。

赤壁の戦いの後、荊州の領有をめぐって劉備軍(孔明)と江東(周瑜)の軋轢はしだいに激しくなっていく…。
今回も、なかなか盛りだくさんな内容でありました。
しかし、やはり一番の事件は「周瑜の死」ですね。この作品の周瑜って、本当に生き様そのものがかっこいいんですよ。
孔明の才能を認め、かつ自分の命が永くないと悟った周瑜は、何としても孔明を江東の臣に迎えたいと思う。劉備暗殺という、おそらくは彼らしくない策略をめぐらせたのも、蜀攻略をあせったのも、自分の病が分かっていたからなのです。
「時地」の孔明もホウ統も、すごく周瑜のことが好きだった(というか尊敬していた)んだと思います。
孔明は最後に周瑜と別れる時、つぎのように独白しています。
 「利用しあった関係?
  いや そうじゃない
  このすさんだ乱世の中で
  鮮やかなほど誇り高く生きるこの人に
  オレはどれだけ救われたか――
  それは ひとつの「希望」だった
  この人の生そのものが 奇跡のように輝いて
  乱世でも こんな生き方ができるのだと
  道を示して――」
孔明の心に鮮烈な印象を残し、周瑜は36歳で帰らぬ人となるのです。 少々かっこよすぎる感もありますが、おそらくは実像に近い周瑜なのだろうと思いますね。
孫権の妹は毫姫という名前で登場。相変わらずオッサンキャラながら、劉備がかっこよくて困る(笑)。
そして、巻末近くになって登場する馬謖。これがまた、一癖も二癖もありそう…。
最初の頃は、もたつき感があって少しかったるかったんですが、話が進むにつれ、ストーリー的にも非常に面白くなってきました。これからの展開が楽しみ。(^^)




 8巻
 第35場〜第40場

劉備軍は、二人目の軍師としてホウ統を迎えるが、異民族の反乱を抑えるため南蛮に向かった孔明の留守を狙って、ホウ統は孔明の意図に反し強引に蜀攻略を進めようとしていた。ホウ統の真意はどこにあるのか?

いろいろな話が錯綜して進んでいく8巻。
この作品のホウ統って、ほんとに何を考えているのか本心が読めないですね。
天才軍師である孔明さんですら分からないんだから、私なんかに分かるはずなくて当たり前なんですが…。
赤壁のときもそうだったけど、きっと何か事情があるに違いない、とは思うんです。思うんだけど…。諏訪先生の伏線の張り方が見事すぎて、先の展開が全く読めずに、ドキドキします。
ホウ統の動きも、また馬謖の思わせぶりな言動も気になるところですが、何と言っても特筆すべきは、この巻から登場する馬超のかっこよさ!(^^)
ルックスはもちろんですが(浅黒い肌がなんとも魅力的)、性格というか、やることなすこともう「かっこいい!」の一言に尽きるんですよね。
オマケで登場の馬岱も、何となく人がよさそうで能天気なところがお気に入りです。
時地の馬超は、最後まで孔明を助けて(いいところで)大活躍するんだけど、最初の頃はなかなか一筋縄ではいかなかった記憶が…。




 9巻
 第41場〜第45場

異民族の将 馬超と同盟を結び、蜀の地の安定を図ることによって曹操の勢力を抑えようと考える孔明。だが、漢人に深い憎悪を抱く馬超は、その申し出を拒絶する。停滞する事態の間隙を縫って江東へと動き出す曹操。
一方、蜀では、変革派と通じていたホウ統に最大の危機が訪れる――。


第9巻では、劉備軍の軍師となってからのホウ統の、不可解な行動の謎がすべて明らかになります。
ホウ統は、何もかも自分ひとりの胸に収めて、孔明のために悪役を演じようとしていたのですね。4年のうちに何としても蜀を攻略しなくてはならない、という切羽詰った事情がありながら、そのことを誰にも打ち明けることができず…。
ようやく劉璋を降伏させるというところまでこぎつけたホウ統は、ラク城攻略の戦場に佇み、累々と積み重なる死体の山を見て、初めて戦の悲惨さ、己の犯した罪の重さに恐れおののきます。そうして、孔明とホウ統は、初めて、本当にお互いに分かり合うことができたのですが、時すでに遅く――。
最初で最後の二人の酒宴。ようやく、ようやく、お互いの痛みも辛さも理解し合うことができたのに。これが最後になろうとは…。(T_T)
本当に、「これから」だったのに。孔明には、これから先こそ、ホウ統の助けが必要だったでしょうに。うう…残念です。
今まで読んだ(見た)どんな三国志よりも、このホウ統の死は(孔明にとって)悲しくて残酷でした。

ところで、前の巻でもそうだったのですが、「時の地平線」では異民族問題が大きく扱われていますね。
現代の中国でも、しばしば少数民族の問題が取り沙汰されていますが、基本的な姿勢は1800年前から何も変わっていないということでしょうか。当時の漢人たちは、それこそ中華思想の権化のようなものですから、周辺の異民族たちはそれこそ言葉にできないような弾圧と差別を受けていたのでしょう。
異端なものや弱い者たちを、強者の論理で踏みつけ切捨てることに何の痛みも感じない漢人たち。それでは、お互いの関係がよくなるわけがありません。
そこに登場する我らが「時地」の孔明! 彼は、当時の漢人としてはおそらくありえないだろう真っ当な判断力と感受性によって、異民族との間にも何とか対等で平和な関係を作れないかと悩み抜くのです。
弱者であるがゆえの不幸、悲しみ…。そういったものに共感する素地が孔明にはある、とホウ統は言います。「中央で統治する人間には、そんな共感が必要なんだ」とも。
これって、今の(日本の)政治にも言えることではないでしょうか。というか、今こそ我々はそういった指導者を求めているのだ、と思ったりするわけです。

今回は、馬超の出番も多くて、趙雲も馬岱もそれなりにかっこよかったのですが、何と言っても、ホウ統士元! もう、この人に尽きます。




 10巻
 第46場〜第51場

ホウ統の尽力により、ようやく益州を手に入れた劉備。だが、落ち着く間もなく、魏の曹操、呉の孫権が対劉備に向けて動き出す。孫権からは、荊州返還を迫る矢のような催促。そして荊州を守る関羽に対して、陸遜が不穏な動きを。さらに益州内部でも、豪族たちとの軋轢が激しくなり、孔明は気の休まる暇もない。
そのころ魏では、漢中へ兵を進めるという曹操に、司馬懿が同道を求められ、とまどっていた。


ホウ統の死からなかなか立ち直れない孔明。つくづく神経の繊細な軍師さまですよね〜。まあ、孔明にとってホウ統というのは、それほど特別な、かけがえのない存在だったわけですが…。
それにしても、諏訪さんの描くホウ統って、実に魅力的な人物でした。最初に登場した時は、すごく男前で、いいとこのおぼっちゃんで、ちょっとびっくりしましたけど(笑)。
既成のどんなホウ統像にも似ていなくて、それでいてきっちりキャラが立っているというか。今まで、いろいろな小説やアニメやマンガなどを目にしてきましたけれど、どうもホウ統という人物がイマイチよく分からなかったのです。
赤壁の戦いの時の彼の登場(どう見ても周瑜寄りですよね)も、何となく唐突な感じが否めませんし、孔明との繋がりにしても、かつての学友だったというだけで、それほど親しかったのかどうかももう一つはっきりしません。劉備に仕えてからは、友人というよりもライバルとしての立場を鮮明にしているような気がしますし。
ところが「時の地平線」でのホウ統は、彼特有の謎めいた言動と独断専行で、時折孔明を翻弄する場面もあるものの、胸の奥底では常に孔明のことを考え、彼の理想を実現させるために命を懸けているんですよね。
孔明とホウ統の二人は、それぞれがお互いの突出した部分、足りない部分を補完しあうことで、より完全な理想を実現することができたはず。それこそ友情などという言葉では計りきれないほどの、かけがえのない存在だったのでしょう。
ホウ統が死んだ後、孔明と劉備が彼のことを思い出して語らう場面があるのですが、この時の劉備の涙! 私まで、思わずもらい泣きしてしまいました。(T_T)
相変わらず、「時地」の劉備は存在感があるなあ。

さて、この巻では、やっぱり馬超がすごくステキなんですけれど(なんだかず〜〜っと同じことを書いている気がする…)、それにも増して今回は、やはりこの人のことを語らねばならないでしょう。
司馬懿仲達。
はあ〜。これはもう、サプライズ! ホウ統に次ぐ「諏訪さんマジック」ですよ!
これまでの司馬懿のイメージが180度変わりました。…っていうか、心の片方では、未だに「こんな司馬懿なんてありえねー」って思っているのですけど(笑)。
どうも司馬懿というと、頭は冴えてるけど陰険で、やり方が汚いヤツ、っていうイメージしかなかったもので。スミマセン。m(__)m
「いい人」全開の司馬懿サンが、これからどんな風に孔明に関わってくるのか、どんな史実の解釈が展開されるのか、非常に興味津々であります。司馬懿については、次巻でもう少し詳しく書いてみるつもり。
10巻の感想を一言(つーか、三言?)で言うと、「馬超、かっこいい〜〜! 陸遜、目つき悪〜〜い…。司馬懿、なんていい人!」でしょうか(笑)。

孔明、曹操、司馬懿、陸遜、馬超、そして馬謖…。それぞれの思惑が揺れ動く中、歴史の流れはどこへ向おうとしているのか――。目の離せない展開になりそうですね。




 11巻
 第52場〜第56場

曹操はついに益州の隣国である漢中を制圧。勢いづく曹操軍の進軍を阻むため、孔明は張飛に持久戦を命じ、撤退へと追い込むことに成功する。喜びに湧く劉備軍だったが、曹操から送られてきた書簡を見た孔明の顔色が変わった…。

いつまでも若作りで、一向にお年を召さない孔明サマにすっかりだまされていましたが(笑)、それなりに時間は経っていて、歴史も動いているんですよね。
孔明さんも趙雲も、登場したての頃からちっとも外見が変わらないんですが、孔明さんの許婚である英さんが、だんだん大人にっていうか女らしくなってきたので、ああ、やっぱり時は流れているのね、と当たり前のことに改めて気づかされたりして…。
相変わらずこの二人は、いつまで経っても進展しない、友だち以上恋人未満カップルというか、見ていてイラッとする部分もあるんだけど。それでもまあ、お互いに相手の存在がこの上なく大切なものであるというのは間違いないところだし、孔明さんにとっては唯一心安らげる場所っていう感じで、いい雰囲気の二人なので、それはまあそれでいいわけなんですが。(だんだん自分でも何を言いたいのかわからなくなってきた…笑)

今回特筆すべきは、やはり司馬懿さんでしょう。
初登場時からなかなか存在感があって、前巻でもかなりおいしいところをさらっていってくれた司馬懿さんですが、この巻ではなんと、のっけから仲達と孔明の対面シーンが…! ここが結構面白かった。
雨宿りで偶然同じ廃屋に居合わせる、という設定なんですが、最初はお互いに相手が誰だか知らない。でも、いろいろと話をしていくうちに、なんとなく分かってくる。分かってくるんですが、それからも、どちらも気づかないふりをして相手の懐を探り合ったりするんですよね。
諏訪さんの描く司馬懿さんというのは、何とも言えず「いいひと」で、最初は読んでいるこちらがびっくりしました。策士とか野心家とかいう雰囲気はまったくなくて、出世欲などとは全く無縁の、世間ずれしていない真面目一徹な書生さんっていう感じなんですよね〜。
いったいこの路線でどこまで行くのか(行けるのか?)と思っていたら、結局最後までそのスタンスは崩れませんでした。非戦主義の孔明さまともども、最後までその設定に沿って破綻なく描ききったところが、まさに諏訪さんマジック! ほんとにこの大胆かつ緻密に構築された人物設定とストーリー展開は、お見事です〜〜。

今回は、いろいろと印象深いシーンとか多かったなあ。
ひとつは、上に書いた孔明と仲達の出会うシーン。自分とは全く違うタイプの相手に驚く二人なのですが、やはりそれでも相手のすごさは直感で分かるわけです。
司馬懿は孔明の中に曹操と同じ匂いを感じ取り、それは二人がひたすらに理想を追い求める「革命児」だからだと見抜きます。孔明は孔明で、したたかに才能がありながら解決を求めない(自分や世界を追い詰めない)司馬懿の性格に、自分や曹操にはない「新しいもの」を見出すのです。
次には、やっぱり劉備のすごさを改めて見せ付けられたところ。時に暴走しようとする孔明の意志を、劉備がしっかりと押さえていて、それが孔明にはものすごく救いになっている。このマンガを読んでいると、本当に孔明は劉備に出会えてよかったなあ〜と心から思えるんですよね。
そして、孔明と馬超と趙雲の3人が、ああだこうだと言いながらも仲良し3人組になってるところがいい。趙雲はもちろん孔明のよき理解者であるわけですが、馬超もこのころには、しだいに劉備や孔明の考え方が分かってきて、なかなかいい雰囲気なのです。
馬超くんは今回も見所いっぱいで、かっこいいセリフやサービスショットも満載でした。(^^)
最後に、もう一度司馬懿さんで、曹操に向って大胆にも「わたしには曹公や曹丕さまのために命をかける、そんな気持ちはでてこないのです」なんて言っちゃうんですよー。ああ、これを「KY」と言わずしてなんと言いましょうか。命が惜しくないのかっ?
しかし、そんな司馬懿を怒るでもなく、曹操は「では、おまえはなんになら命をかけられる?」と問いかけるのですね。それに対して司馬懿は「政(まつりごと)そのものになら」と答える。官吏である自分は、国と民のために命をかけるのだ、と。
わあ〜、この司馬懿って、何かめちゃくちゃかっこいいじゃありませんか!
てなわけで、司馬懿さんのゆるキャラかげんと、馬超のかっこよさに思わずクラクラきてしまいました(笑)。




 12巻
 第57場〜第61場

劉備、曹操、孫権らが領土を争い合う一方で、周辺の少数民族たちもそれぞれの立場で自分の土地を守るために動いていた。劉備が漢中王となったことを祝う宴の夜、孔明は、南越族の刺客に襲われるが、許婚の英にもらった水差しのおかげで命拾いする。それを手引きしたのは、馬良の弟で孔明の信任厚い馬謖だった。
そして荊州では、呉の陸遜が関羽の命を狙って画策していた。


それにしても、まあよく刺客に襲われる孔明さま。無防備というか何というか…。
怪我をして意識を失った孔明は、病に苦しむ曹操と夢?の中で対面するのですが、そこで曹操に「何度目なのだ、お前は! 身辺警護の怠慢で死ぬなど許さんぞ!」なんて叱られてましたね(笑)。
目指すところは同じでありながら、そこに至る手段が正反対の孔明と曹操。決して相容れない二つの側面(時代の、あるいは人間の)を体現する存在である二人は、激しく対立すると同時に、一方ではまた、激しく惹かれあうのです。
でも、それならば孔明が曹操の懐に飛び込んで、互いの理想とする姿を協調して作っていけばよかったのではないか、という推論も成り立つわけですが、そうはならない。やはり孔明は、劉備という人あってこそ光り輝けたのではないかと思います。少なくとも「時の地平線」の劉備は、孔明と同じ土壌に立ち、同じ理想を共有できるすばらしい同志でした。
考えてみれば、三国動乱のあの時代に、いかに戦わずに、死者を出さずに、平和裏に事を進めるか、に頭を悩ませる君主や軍師なんて、現実にいるわけがないのです。もちろん理想はあったとしても、そんな理想論でおさまるほど現実は甘くなかったはず。
それでも孔明は、ぎりぎりのところまで戦いを避けようと知恵を絞り、身を挺して努力する。彼がそんな自分のやり方(なんて愚直な!)を押し通すことができたのも、後ろに「孔明」という人物を理解し信頼してくれた劉備がいたからこそだと思います。
やっぱり、これぞ「天の配剤」なのでしょうねえ。
孔明が昏睡から醒めたとき、趙雲や馬超の顔を見てほっと安心する。そして、自分は多くの人に支えられている、と涙ぐむ。このシーン、すごく好きです。その後、(曹操にも、目覚めたときに側に誰かいてくれるといいのだが)と、曹操のことを思いやる孔明もかなりステキなんです。

さて、曹操が撤退したことで、漢中・涼州の脅威は去ったわけですが、とたんに今度は荊州がきな臭くなってきます。
火種は、やっぱり陸遜。この陸遜がねえ…。(^_^;)
諏訪さんの人物設定って、(いい意味で)予想を裏切られることが多いのですけど、陸遜はビジュアルからして全然予想外だったなあ。←いかに私の脳内が「三国無双」に冒されているかということですね;;
もちろん陸遜は、これで年齢相応の外見なんだと思いますけど、とにかくこのマンガって、孔明や趙雲などがいつまでも年をくわないバンパネラ状態なので、対する陸遜がすごく老けて見えてしまうんですよ〜〜。きっと外見でも損しちゃってるよね>陸遜。
その陸遜の計略で、ついに関羽が捕えられて斬られてしまう。孫権は、関羽の首を曹操に送り、劉備の怒りの矛先を魏に向けさせようとしますが…。
関羽の最後は、わりとあっさりめでした。関平も出てきましたが、結局のところ脇役扱いなのね、この人は。まあ、仕方がないか…。
しかし、関羽が死ぬところまできてしまうと、後の展開が分かっているだけに、読み進めるのも辛くなってきますね。(T_T)
暗めの話が多かった12巻ですが、孔明と英さんとの距離が一歩また一歩と近づいていくようで、ほっと心温まる場面も。さらに、馬超がますますオチャメでかわいくなってきて、趙雲とのコンビ(漫才?)がもう最高でしたよ〜。




 13巻
 第62場〜第68場

陸遜の計略により、荊州は孫権軍に制圧された。続いて魏では、曹操の後を継いだ曹丕が、漢王朝を倒して帝を名乗った。国内外の動揺を鎮めるため、孔明は劉備に帝位に就くようすすめる。一方、関羽の死によって荊州に取り残された難民を、無事に益州に移すため、劉備は自ら軍を率いて出兵するのだが――。

今回は、曹操、劉備という孔明にとって最も重要な影響力を持った人物が、相次いで世を去ります。
曹操はともかく、劉備との別れ(を予感した孔明の壊れっぷり!)が凄まじかったなあ。こんな取り乱した孔明さん、初めて〜〜。
必死で孔明を説得しようとする趙雲も、そんな二人をじっと見守る馬超もよかったです。そしてやはり、詰まるところ、劉備の大きさというものを改めて見せつけられました。

荊州を失陥し、さらに関羽、張飛、馬良といった蜀にとってかけがえのない人々を次々に失い、次第に追い詰められていく孔明。その憎しみと怒りは、呉の陸遜に向けられます。
劉備が重い病に冒されていて余命幾ばくもないと知った時、ついにその怒りが爆発。自制心を失い、龍の熱にうかされるように、すべてを呑み込み破壊しつくそうとする孔明を、劉備は趙雲に「斬れ」と命じるのでした。
孔明に、「大切なこと」を思い出させた趙雲の涙が感動的…。その後、手が震えて刀が鞘に入らないという描写も、何気にリアルですよね。
白帝城での劉備の最期、孔明に劉禅を託す場面は、何度見ても涙があふれてしまいます。特にこの作品での劉備の存在の大きさは、まさに孔明にとってなくてはならないものでしたから。
劉備の死から三日後、和平の道をさぐるため陸遜との会談に臨む孔明。思いがけず、その道はこの上ない形で開かれるのですが、それを実現に導いた根源が、何の策略にもよらず、ただ「この世で真に人を心服させるのは、『武』でも『知』でもなく、人の『懸命さ』と『徳義』なのだ」という劉備の生き方そのものだったことに、心底感動いたしました。
お互いに分かり合うこと。相手の心を思いやろうと努力すること。誠実に向き合い、信義を持って応えること。それができれば、たとえ混沌極まりない戦国乱世にあっても、戦を回避することができるのです。とても、とても、難しいことではあるのですが…。
その努力を惜しむなと、最後まであきらめるなと、劉備は己の死を賭して孔明に諭したかったのでしょうね。それが、俺とお前の生き方だろう、と。
正直、最初に登場したときから、すごくうっとおしい陸遜だったのですが、このシーンによって救われました。読者である私たちも、孔明も、おそらくは陸遜自身も。

いよいよ残すところあと1巻。なのだけど、最初に読んだときは、お話終わるのかなあ?と少々要らぬ心配をしてしまいました。南征も北伐もこれからだし。馬謖の話もいろいろあるでしょうし。
ともあれ、この13巻は全編これ感動の嵐!




 14巻
 第69場〜終章

魏、蜀、呉がそれぞれ建国して、後漢は事実上消滅。武力を争う乱世は、三国が牽制しあう時代へと移る。蜀では劉備が死去し劉禅が帝位を継ぐが、劉備の遺志に従い実質統治は孔明が引き継いだ。孔明は周辺民族との和平交渉に力を注ぐが、呉と結託して蜀との対立を選ぶ一派もいて――。

前巻の感想で書いたとおり、この最終巻では、孔明と英さんの結婚に始まり、南征、北伐、街亭の敗戦、趙雲の死、そしてついに五丈原で孔明が斃れるまで…。本当に盛りだくさんな内容が一気に語られていきます。
それは、三国志が好きな人ならとうに知っている話なのですが、南征も北伐も、街亭の敗戦や五丈原での司馬懿との対陣までも、諏訪さん流に解釈するとこんなに違ったものになるのか、と新鮮な驚きでした。
今回は、本当に心から驚いたり、うれしかったり、悲しかったり――胸の中にいろんなものがあふれてきて、とても言葉が気持ちに追いつきません。書きたいことは山のようにあるのに、拙い私の言葉では思うことの十分の一も表現できない。そんな敗北感に打ちのめされました。
これが、長い間私がこの巻の感想を書けずにいた理由のひとつでもあるのですが、とにかく、順を追って書いていくしかないですね。

まずは、やっと、やっと、孔明と英さんが結婚。
はあ、ここまで長かった〜〜。よかった〜〜。(^^)
英さんの「わたしと結婚してくださいますか?」という問いに、満面の笑顔で「はい」と答える孔明。その顔を見たとき、ほんとに、ほんとに、よかったね!と、私までじんと胸が熱くなってしまいました。
ようやく孔明にも、帰るべき家ができたんですね。
「戦で多くの人命を奪ってきた自分が、幸せになどなってはいけない――」なんて、なんと悲しい孔明の心の枷でしょうか。その枷を、英さんだからこそはずすことができた。孔明にとって、今これこそが一番必要なものだったのだろうと思います。
そして、私的に一番ショックだったのは趙雲の死でした。
孔明が劉備に仕えるようになって以来、ずっとよき友、よきライバルだった二人。その関係は最期まで変わることなく…。
劉備が死に、馬謖が去り、もうこの頃になると、孔明の真の志を理解している者は馬超と趙雲くらいしか残っていません。馬超はほとんど西涼に出向いたままだし。
反対に、孔明の非戦主義を理解せず、あくまでも魏を攻め滅ぼそうと主張する魏延のような武人が勢力を持ってきます。
このコミックを読むまでは、正直、劉備亡き後の蜀の政治は、孔明の独裁だったのだろうと思っていたんです>私。でも、考えてみれば、蜀政権そのものが荊州閥やら益州閥やらの寄せ集めであり、軍といっても皇帝直属のものと各将軍たちの私兵との混成だったんですよね。そういう寄せ集めの国家をまとめていたのは、やはり劉備個人の器の大きさによるところが大きかったのでしょう。
そんな中で、孔明も相当やりにくかったんでしょうね。だからこそ、趙雲がいつも側にいてくれることが、どんなにか孔明の支えになっていたことか。
趙雲の最期は、もう涙なしには読めませんでした。
孔明の理想を守るために、命を投げ出して諸葛喬(孔明の養子)と馬謖を救った趙雲。
最期は朝陽の中で、孔明と肩を寄せ合い、微笑みながら逝った趙雲。安らかな笑顔が悲しすぎます…。
そうして、ついに五丈原で孔明は最期のときを迎える。
この場面での司馬懿とのやりとりも、諏訪さんの中では最初からできていた構想だったのでしょうが、一般的な三国志しか知らない私は、ほんとにびっくりしました。
自分の命がもうすぐ尽きることを悟った孔明は、陣中に尋ねてきた司馬懿に、自分亡き後の国全体の行く末を託します。無駄な争いを避け、いつの日かこの国が無血で統一されるように。何よりも民の安全が守られるように。それが、孔明が司馬懿に託した未来なのでした。
本当に、最後の最後まで「いかにして人を殺さずに平和な世界を実現するか」に身命を捧げた諸葛孔明の生涯。このコミックには、そんな新しい「三国志の英雄」の姿がいきいきと描かれています。

蛇足:
いや、ほんとに蛇足なんで、聞き流していただければ幸いです。
私が、この最終巻の感想を書けなかったもうひとつの理由は、実は姜維のことなんです。
「時の地平線」にも、いよいよ最終巻になって姜維が登場しました。しかも、まっすぐでなかなかかっこいい若者として描かれています。それはいいんだけど…。
孔明亡き後、ただひとり孔明の遺志を継いで魏と戦い続けた姜維、っていうスタンスがね、いやもう、この諏訪流三国志ではどうなるのか?っていう。(^_^;) 孔明のことを、その真意を、一番分かってなかったのが姜維じゃん、っていうことになってしまうのかと。…正直、かなりへこみました。
だって。。。劉備から孔明、姜維へと引き継がれた蜀漢の大義、漢復興の志。それなくして、「私の姜維」は存在しえないのですよ〜〜。なんか無双6でも、司馬家の人たちに同じようなこと言われてたなあ…と、またまたへこむ;;
あるいはもしかして、諏訪さんの手にかかれば姜維もまた、まったくちがう解釈でその生き様を全うしてくれるのでしょうか。彼の生き方にこれまでとは違う意味を見つけられるのでしょうか。もしそうなら、諏訪さんマジックでよみがえったそんな新たな姜維の姿も見てみたいなあ…と思ったりしている今日この頃です。



2012/5/5



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