I LOVE 新選組

沖田さまのご命日(5月30日)

手元に、一枚の小さなモノクロの写真がある。
よく道端などにある、お地蔵様に簡単な覆い屋をつけたような感じで、まわりにはびっしりと千羽鶴が吊り下げられ、前には山盛りの花・花・花……。
もう30年以上も前の、専称寺にある沖田総司の墓の写真である。
学生の頃、文通していた新選組ファンの方からいただいたもの(文通というのが「時代」だなあ。今なら絶対ネットだけどね……笑)。
相手の方の名前も、どんな方だったのかも、すっかり忘れてしまったが、いただいた小さな写真だけは、モノクロということもあって、色あせることなく残っている。

当時、この写真は私の宝物だった。
今でこそ土方歳三大好き人間だが、新選組にはまり始めた頃は、ご他聞にもれず沖田総司にぞっこんの純情?女子高生だったのだ。
一度でいいから、沖田さんの墓前で手を合わせたいと、ずっと思い続けていたのだが、東京はさすがに遠くて、おいそれと足を運ぶこともできない。そんな叶わぬ願いと憧れを、この写真が受け止めてくれていたのだった。

やがて、いつの頃か、お墓の場所へは立ち入れなくなったと聞いた。
連日ファンに大挙して押しかけられては、お寺さんも迷惑だろう。普通の寺なら、一般の檀家もあるわけだし。
さらに、不届きな輩が、墓石をけずって持って帰るのだという。持って帰った「かけら」を、枕の下にでも敷いて寝るのだろうか。夢にでもいいから出てきてほしいと……。
しかし、いくらなんでも、これはひどすぎる!ファンとして、絶対にやってはいけない行為だ(といいつつ、ちょっぴりうらやましかったりするのだが)。
というような諸事情で、今は、5月30日の「総司忌」の時だけ、墓参が許されるそうである。
旧暦の5月30日が今で言ういつ頃にあたるのか、ものぐさな私は調べてみたこともないが、総司が逝ったのは蒸し暑い梅雨の季節だったようにも思われる。
今年もまた、あわただしいばかりの毎日の中で、この日(5月30日)が過ぎてしまうのだろう。そして私は、未だに総司さまの墓前には額づくことができないでいる。

総司さまは、どんな気持ちで、今の私たちの思いや行動を見ているのだろうか。
表面上は、そ知らぬ風で冷静を装いながら、内心けっこううれしがっているような気がしなくもない。
「いやだなあ…そんなんじゃありませんよ」
そう言いながら、きっとあなたは照れ隠しに、困ったような、恥ずかしげな笑みを浮かべるのだろう。


1970年代当時の総司の墓