I LOVE 新選組

沖田総司の恋

沖田総司の恋の相手が、彼がかかっていた医者の娘である、というまことしやかな設定は、いったいどこからきたのだろう?
「医者の娘」というところが、いかにも清潔で、総司らしくて、当時高校生だった私たちは、ころりとこのシチュエーションにはまってしまった。
なにしろ沖田総司である。
生々しいのは絶対にダメ! 男女の関係なんて、もってのほかだ。当然、芸者や遊女などの玄人系はふさわしくない。
その頃の総司ファンの間では、「沖田総司は童貞のまま死んだ」というのが定説だったのだから(笑)。
今では、まさかそんなことはあるまいと割り切っていられるが、熱狂的な総司ファンの女子高生にとって、これは切実なる願望だったといっていい。

だから、というわけではないが、昨年のNHK大河ドラマ「新選組!」の沖田総司にさっぱり感情移入できなかった原因のひとつは、やはりこの「男女関係」かもしれない。
いや、別に、女性経験があってもいいんだけどね……。ただ、相手が芹沢鴨の情婦で、年上の性悪女、っていうところが、なんかあまりにも昔思い描いていた沖田の恋のイメージとはかけ離れすぎてるなあ、と。
大切にしまっておいたものを、土足で踏み荒らされたような気がして、ちょっと許せなかったのだ。……と、話がそれた。

さて、どうやら沖田の恋人=医者の娘説は、司馬遼太郎の名作「新選組血風録」からきているらしい。
「血風録」の中に、そのものズバリ「沖田総司の恋」という一篇があって、この中で、司馬氏は沖田の恋の相手として、町医半井(なからい)玄節の娘、お悠を登場させている。
恋といっても、まったくの片想い、遠くからそっと相手の姿を見つめるだけの淡く切ない恋だ。そして、お悠に自分の気持ちを打ち明けることもなく、総司の恋は終わってしまう。
この儚さ、ほろ苦さが、なんとも言えず「総司的」なんだなあ……。
このあたりが司馬氏の絶妙なところで、女性ファンの圧倒的支持を得たというのも、納得ではないだろうか。
総司ファンの女性たちは、皆それぞれに心の中では、自分が総司の恋人でありたいのだ。だからこそ、成就しない恋を胸に秘めて、ただ透明な笑顔を浮かべる総司なら「許せる」のである。

私が沖田総司に入れ揚げていた頃、草刈正雄主演の「沖田総司」という映画が公開された。
同じく新選組にはまっていた友人たちと、この映画を見に行くかどうかで、大いに盛り上がったことがあった。
もちろんみんな興味津々で、どんな総司が描かれているのか、見てみたいのはやまやまなのだが、でも同時に、とってもコワい……(笑)。
何しろ、その頃の沖田総司のイメージといえば、きれいに月代(さかやき)を剃り上げ、白っぽい絣の着物で素足に下駄(妙に夏っぽいけど……)という、清潔が着物を着ているようなお兄さんだったのだから。
ところが、草刈氏の総司は……ぜっんぜん違う〜〜!
髪の毛はボサボサ、なんだか顔も暑苦しくて、着物はヨレヨレでむさ苦しい。おまけに背が高くて細っこい人だから、まるでカカシに着物を着せたみたいだ。
そして、トドメは友人のひと言。
「草刈総司は、女の人とどうかなりそうな気がする」
おお〜〜っ、そうなのか? これが決定打となり、ついに私たちはこの映画を見に行かなかった。
今でも、レンタルビデオ屋などで「沖田総司」のビデオを見かけると、なんだかとても懐かしくて、つい手に取ってしまうのだが……。いかんせん、未だに借りて見たことはない。
やっぱり今でも、コワいのだ〜(笑)。

余談だが、私がこのサイトで連載している「掌上の雪」は、実はその禁断の沖田総司の恋の物語である。
内容はかなり女性向けな部分もあって、まあそれは、この作品を書くことになった経緯とも深く関わっているのだけれど……。
「ストイックでプラトニックじゃなきゃ総司の恋じゃない!」などとわめいている割には、とんでもない展開になっていて、汗顔の至りです。総司ファンのみなさま、すみません。
ただ、「女がだめなら、男でどーだっ(核爆)?」という単純な発想では、もちろんありませんので。(言い訳めきますが……)