I LOVE 三国志


孔明さま語り…とかやりたくて。

今年の9月30日は、旧暦でいうと8月23日にあたるのだそうです。
旧暦8月23日といえば、我らが孔明先生のご命日ですね。だから、というわけでもないのですが、今回はちょっと真面目に、私の中の孔明さまについて語ってみようと思います。


一般的にはどうか分からないのですが、私の場合、歴史上の人物に対する好きとか嫌いとかいう感情は、最初に出会ったもの(小説、マンガ、ドラマなど)に強く影響されるようです。
そもそも、そういったコンテンツは、多少なりともそれを作った人の意図が反映されている以上、一面的な見方に過ぎないのだということは重々分かってはいるのです。それでも…というか、ここが困ったところなのですが、やはり最初に自分の中に打ち込まれた印象は、それが強烈であり魅力的であるほどぬぐいがたいものになってしまうのですね。
良きにつけ悪しきにつけ、それでイメージが固定してしまうということが、少なからずあるんですよねえ。
もちろん、歴史上の事象や人物などは、多面的な捉え方をするべきだし、そうすることによって新たな魅力が発見できるのだと、頭の中では分かりすぎるほどに分かっているのですが…。

とはいえ、やはり長い付き合いともなれば、時間の経過と共にいろいろと違った見方、捉え方になっていく人物というのも少なからずありまして。
私の場合、沖田総司、諸葛亮などは、自分の中での評価がいろいろに変化した代表的な人物です。
最初はものすごく好きで、自分の中でうんと美化していたのに、やがて反動がきて、穿った見方をしてみたくなったり、斜めから見てみたり。
そしてまた、違うイメージに出会うことで、新たな魅力を発見し…。
結局、いろいろなメディアに出会い、その度に自分の中の人物像も変化していき、さまざまな紆余曲折を経た後、それでもやっぱり「大好き!」という結論に達したという…(笑)。
長い寄り道の果てに、また同じ場所に戻ってくるわけですから、なんともはやトホホ…な話ですね。


さて、自他共に認める蜀好きの私。
ずっと一貫してこのスタンスではあるのですが、それでも30年以上もファンをやっていると、やはりいろんな紆余曲折があるわけです。
最初に三国志の世界に出会ったのは、小学生の頃に読んだシバレン(柴田鎌三郎)のジュニア文庫でした。
それからかなり経ってから、テレビで見たNHKの人形劇三国志。これが実にインパクト強くて。はまりましたねえ。劉備が完全無欠のええもん主人公(笑)で、もちろん内容的には蜀寄りMAX。すでにここで、私の「蜀好き」は決まってしまったといっていいかもしれません。
それと前後して、当然の如く吉川三国志を読み、これが決定打でした。

星の数ほどもいる登場人物の中で、最初にほれ込んだのはやはり諸葛亮でした。ちょっとグレーがかった神のような天才軍師。そのストイックで人間離れした凄さに憧れたものです。
でも前述のごとく、長い間ファンをやっていると、いろいろと違った部分も見えてくる。
さまざまなメディアでいろいろな捉え方をされているのを目にするにつけ、多少ならず影響を受けて、自分の中のイメージも変わってきます。何より、自分自身の考え方も変化しているわけですから。
そんなこんなで、一時期、諸葛亮が嫌いになったこともありました。嫌いに…というか、そんなに凄いヤツだったわけでもないじゃん、と斜めから見てみたり。わざと反対側の立場に立ってみたり。
偽善者っぽい劉備は初めからそれほど好きではなかったので(どうにも胡散臭くて)、三国志そのものの魅力が、何となく自分の中では色褪せてしまったように思えた時期でした。

そんな時、東映動画が作った劇場版のアニメ「三国志−英雄たちの夜明け−」を見たのです。
これもバリバリの演義準拠。しかも劉備ときたら、真っ白なくせにこの上なくかっこいい男なんです。関羽や張飛との義兄弟の絆、常に天下万民の幸せを願う熱い志、反則的にかっこいい男たち!
さらには、きちんと曹操と陳宮、張遼と関羽の友情なんかも描かれていて、本当に原点に返った三国志、かつて胸ときめかして追いかけた三国志の世界そのものでした。
ああ、そうだ。三国志って、こんなに心から感動できる熱い話だったんだ…と、目からウロコの思いでしたね。この作品を見終わった後、思わず「ああ、やっぱり三国志ってええ話やなあ〜〜」と叫んでしまいましたもの。
そして、それまで何となくもやもやしていたものが、この作品を見たことですっきりし、好きなものは素直に好きって認めよう!それでいいじゃない、って開き直れたような気がします。


諸葛亮については、さらにその後、中国湖北電視台が制作したテレビドラマ「諸葛亮」を見たことが、私の中で大きなエポックになりました。
このドラマ、日本では「三国志 諸葛孔明」というタイトルでビデオやDVDになっていますが、我が家にはパーフェクトバージョンのレーザーディスクがあります。
中国で初めて、三国志を連続ドラマとして映像化した作品で、1985年の放映時には「放映が始まると通りから人が消えた」ほど大ヒットしたといわれています。後に中央電視台が制作した「三国演義」に比べると、スケールの点でははるかに及びませんが、重厚な人間ドラマとして見ごたえのある内容でした。
何より、孔明役の俳優さん(李法曽氏)が、歳をとるにしたがって、どんどんステキになっていくんですよ〜!
それまで、神のごとき天才軍師という側面ばかりが強調され、凄いヤツではあるけれどもいささか人間味に欠けるといったイメージだった孔明さま。
このドラマでは、より人間味あふれる人物として描かれていて、非常に共感を覚えました。冷徹な策士でも鬼神のような軍師でもなく、ごく普通の家庭人として妻や子を愛し、喜び、悲しみ、時には死の影におびえ、絶望に打ちひしがれもし…。
「そうなんだ。孔明サマも普通の人間だったんだ」と、これまた新鮮な驚きでした。今は、そんなごく普通の人としての諸葛亮を肯定したいと思っています。
そして、孔明をはじめ関羽や張飛や趙雲や…多くの有能な人物をひきつけてやまなかった劉備という英雄の器の大きさも、今では素直に納得できる私なのです。


それからも、諏訪緑さんのマンガ「諸葛孔明 時の地平線」に描かれた平和主義で苦労性な孔明、乙女ゲーである「三国恋戦記」に登場するオチャメな孔明師匠など、日々新しい孔明に出会うたび、その魅力あふれる人物像に共感したり感動を新たにしたりしつつ、やはり私の中にはしっかりとした「私だけの諸葛亮」がいるのです。
物書きが好きな人というのは、多かれ少なかれ自分なりの世界を持っている人なのですね。どんなに魅力的な人物造形だったとしても、やはり既成の小説では飽き足りないから、自分の言葉で自分の世界を語りたいと思ってしまうのです。
たとえ二次創作であっても、そこには借り物ではない「自分の世界」がちゃんとあるのですから。
そんなわけで、私の中の孔明さまは、このサイトのあちこちに散らばっている駄文の中にこそ存在しているということになるのでしょうね。


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