いにしえ・夢語りHOME蜀錦の庭姜維立志伝目次

姜維立志伝
第一章 関中の風



<3>

その頃、冀城の城外に野営している春英の一座は、大騒ぎになっていた。
昼前から春英と一緒に出かけていた小者が、農夫に助けられ、血まみれで帰ってきたのだ。村外れの林の中で笛を奏しているところを、突然盗賊たちに襲われたという。
すぐに城下に役人を呼びに走り、血気盛んな何人かの男たちは、賊を追いかけようと身支度を整えているところだった。
そこへ、当の春英が見知らぬ若者に護衛されて戻ってきたのである。
「春英!無事だったか」
「お師匠さま……!」
師匠と呼ばれた一座の長は、がっしりとした体躯を転ばせるようにして春英に駆け寄った。日に焼けた髭面が安堵に緩んだ。
「よかった――」
春英から事の次第を聞いた座長は、伯約の前に拝跪して再拝した。
「わたくしは、一座の長を務める陳涛、字は文桓と申す者。この度は、春英の危難を救うていただき、ありがとうございました」
「そのような……。お立ちください。私は当然のことをしたまでです」
伯約は恐縮し、ちょっとはにかみながら、手を差し伸べて陳涛を助け起こした。
(いい若者だな)
旅を生業としてきた男だ。相手の人となりを見抜くことなど造作もない。伯約の双眸の中に、若者らしい情熱と素直な気負いを認めて、陳涛は胸の内で微笑した。
「姜伯約どの、と申されますか。さぞ名のある家門の若君とお見受けいたします」
「いや、お恥ずかしい……。志だけは人一倍あるつもりですが、未だに父祖の名をあげることもできない未熟者です」
伯約が斬った盗賊たちの始末は、陳涛がつけてくれることになった。役人への届けなど、素人には何かと面倒なのだ。

座長の天幕に招かれた伯約は、そこで盛大な歓待を受けた。断る理由も見つからないまま、酒肴が運ばれ、歌舞が始まる。伯約の視線は、自分でも気づかぬうちに、舞い手の後ろで楽を奏している者たちの顔を追っていた。
――もしやと、心密かに期待していたものがある。芙蓉の佳人の姿だ。だが春英は、そこにはいなかった。
(無理もない。気丈なように見えても、まだほんの童女なのだ。あのようなことになって、さぞ滅入っていることだろう)
そんな理由をつけて自分を納得させ、勧められるままに杯を重ねて、気がついた時にはすっかり夜になっていた。
「よろしいではございませんか。このようなむさ苦しいところですが、今夜はここにお泊りになってくだされば――」
「お心遣いはかたじけないが、あまり遅くなっては母が心配しますので、今日はこれで失礼いたします」
なおも皆が引き留めるのをやっとの思いで断り、伯約は、昼間盗賊から拝借した馬に乗って家路についた。馬一頭といえども、今の暮らしではなかなか手に入らないのである。

◇◆◇

夜気の清らかな宵だ。虫の声が降るように天地を覆い、東の空には上ったばかりの半月が清澄な光を放っている。
七、八里ほども駆けただろうか。やがて、黒々とわだかまる丘陵の下辺に、いくつかの明かりが見えてきた。伯約が母と住んでいる姜家村である。
中天の星たちより暗い、慎ましやかな灯火のまたたきを目にした時、伯約は言い知れない憤りに胸を掴まれた。生まれて初めて人を斬った興奮の余韻が、行き場をなくして渦巻いてもいた。
父がまだ存命の頃は、城内に広い邸宅を構え、使用人も多数いたのを覚えている。
今、郊外の朽ちかけた屋敷で自分を待っているのは、母と西羌人の下男の二人だけだ。
――母は、私が一日も早く仕官して、天下のために働くことを願っています。
先刻の宴席で、陳涛に語った己の言葉が思い出された。
(そうだ。母上にとってはこの俺が希望のすべて、俺が立身して姜家の家名を再興することだけが、母上の願いなのだ)
痛いほど――、時に我と我が身を切り裂いてしまいたい衝動に駆られるほどに、母の思いは伯約の胸に届いている。
だが、そんな望みは虫のいい独りよがりでしかない。
もう二か月ほど前になるだろうか。同じ師の下で学んでいた崔某(なにがし)という若者が、破格の待遇で郡政庁に出仕したと聞き、伯約は愕然とし、かつ動かしがたい現実の壁に打ちのめされた。
崔家は卿大夫士の家柄でも何でもない。本人にしても、さして学問ができるとか、武芸が優れているとかいう訳でもなかった。同門でありながら伯約には、えらの張った下卑た顔つきの、声の大きな若者というほどの印象しかない。
ただ、今回の抜擢に際しては、かなりの金品がその筋の役人に配られたようだという噂が、学友たちの間で囁かれていた。崔某は、城下で妓楼を営む富豪の息子だったのだ。
そんなこともあって、伯約は学問に対する情熱を急速に失っていた。
(所詮この世は金、ということだ)
遥か昔から、この国はそのようにして動いてきたのだ。そんな当たり前のことさえ気づこうとしなかった自分の滑稽さが、腹立たしかった。
だが、母には言えない。今でさえ、息子を一流の師の下で学ばせるために、苦しい家計を工面してくれているのだ。

相手が土地の人間ではないという気楽さから、伯約は、胸に溜まった愚痴を陳涛にこぼしてしまった。ふだん飲み慣れない酒の勢いもあっただろう。
陳涛は何度も頷き、真剣な面持ちで聞いていたが、やがて鋭い眼光で伯約を見つめた。
「貴君の話はよく分かりました。しかし何も主君は、この世に魏公ひとりではございますまい。私の聞いたところでは、蜀の劉(備)玄徳さまや呉の孫(権)仲謀さまも魏公に劣らぬ大人物とか。まして蜀や呉は新興の国なれば、広く才能ある英傑を求めているはず。伯約どのさえその気なら、いくらでも仕官の道はございましょうに」
買いかぶりですよ、と冗談めかして自嘲する伯約に、陳涛は言葉を継いだ。
「あなたさまの父上は、漢朝に仕えておられたのでございましょう。その息子である伯約どのが、なぜ漢帝ではなく魏公に仕官しようとなさるのですか?」
「――え?」
伯約は、瞬時、呆然とした。
考えもしなかったことだ。擁州は、魏王曹操の勢力下にある。その曹操は、時の帝を手中に収め、漢の丞相として絶対的な権力を振るっている。漢朝に仕えること、すなわち曹操に仕えることだと、疑念を抱いたことすらなかったからだ。
「そもそも曹操は、天下の逆賊――」
「陳涛どの?」
周囲の者たちが顔色を変えた。だが、語気の激烈さに比して、髭の中の表情はあくまでも穏やかだ。
「……という声を、何度も耳にしたことがございます。旅行く先々で」
戯れ言でございますよ、と陳涛は笑い飛ばしたが、なぜかその言葉は澱のように、伯約の胸底に深く沈んでいった。

◇◆◇

家に帰ると、まだ竈の火も落さずに、母愛玲が厳しい表情で待っていた。
「母上、遅くなって申し訳ありません」
「康先生のところへも行かず、どこへ行っていたのです?」
「あ――。ご存知でしたか」
手燭の灯火の揺らめきが、象牙の白さを湛えた母の顔に陰影を刻む。もう若くないとはいえ、その横顔には今を盛りと咲き誇る梨花のような気品があった。
愛玲は、実の母ではなかった。伯約を生んだのは羌族の女だったというが、かれ自身は顔も覚えていない。ミルトゥという名のその女は、伯約を生んですぐに病を得て薨ったのだ。それからは愛玲が、実の子に対する以上に深い愛情で、伯約を育ててきた。
むろん、生みの母に対する思いは、体臭のようにして伯約の中にある。せつないような、漠とした思い――。
しかし、今伯約にとって母と呼べる人は愛玲一人だった。厳しく、そして優しい母だ。その母が、触れれば涙がこぼれんばかりのはりつめた顔で息子を見据えている。

「母上……」
かつて、大儒学者鄭玄の教えに心酔し、経書を読み漁ったこともあった。後漢末、泥沼の様相を呈する宮廷の権力争いの中、あくまで士人としての節義を貫き通した鄭玄の生き方に、深い感銘を受けたのだった。
だが、伯約が今、康老師に師事して学んでいるのは、乱世の救済などとは程遠い机上の理想論に過ぎない。
(俺は現実を見たいのだ。この広い世界のまだ知らぬ真実をこそ掴みたい。それを教えてくれる人を、俺は欲している)
それを母に話しても、分かってはもらえまい。母の願いを思えば、ただ沈黙するよりほかにない。
「天水郡一の識者と評判の、康先生のご推挙をいただくことができれば、きっと仕官の道も開けよう――。そう思う母の気持ちがそなたには分からぬのですか」
「申し訳ございませぬ。維が不心得でした」
伯約はその場に平伏し、黙って母の叱責を受けた。

◇◆◇

同じその夜、陳涛は深更までかかって長い手紙をしたためていた。相手は成都にいる諸葛孔明である。
「今日、天水郡冀県の産にて、姜維伯約という若者と知り合いました。未だ無官の書生ですが、大器の片鱗これあり、いずれは一国を背負って起つ傑物かと思われ、臥龍先生に一筆ご報告いたす次第です――」
劉備に仕えた孔明の配下には、俗に荊州耳目と呼ばれる細作集団があり、情報収集や敵側の撹乱に活躍したという。陳涛こそ、その荊州耳目の頭領だった。
むろん、旅芸人一座の座長という表の顔は偽りではない。ふだんは方々の町を廻って情勢を探り、何か事があれば、荊州耳目の頭領として多数の部下を指揮するのだ。間諜の術に長けた直属の細作だけでも数十人、さらにその配下たちは、網の目のように全国各地に入り込んでいた。
陳涛は、主であり旧い友人でもある孔明が、もうずっと以前から、己の後継者となるべき人材を探し求めているのを知っていた。
荊州と益州を手中にし、ようやく念願だった三国鼎立を成し遂げた今、かつての学友である徐庶やホウ統のような英才が、自分とともにここにいてくれたらと、孔明はどれほど思ったことだろう。
だが、徐庶は母を人質に捕られて曹操の下に奔り、「臥龍・鳳雛」としてその才を孔明と並び称されたホウ統は、成都攻略を目前にしてすでに戦死していた。
孔明の下には、蒋エン、費偉といった内政を任せるに足る官僚はいるものの、臨機応変、魏や呉に対抗して軍を統べることのできる大器は、まだ見出すことができないのだった。
(儂の見立てに間違いはない。姜維伯約、あの者なら、きっと孔明さまの期待に添える人物になってくれるはずだ)
確信といってもいい。陳涛は、若者の中に孔明の姿を見たのだ。
熱い理想に燃える目の輝き。高い志操と誇りを持ち、決して挫けぬ意思の強さ。それは、かれが知っている若い頃の孔明そのものだったのである。



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