いにしえ夢語り色彩の庭珠玉の間



連理の桜 (ゆずたまさん作)



雪村の里、其処からこんこんと湧き出る水は、小春日和だというのに、雪のようにしんと冷たく、じんわりと骨まで響いた。
それでも私は大切そうに両手ですくい、一口含む。
冷や水だというのに、口の中で柔らかくとけ、喉を通り抜ける。
羅刹に対して薬効があるというのは、本当のような気がする。少なくとも義父、綱道はいまわの際にそう言ったのだから。

現に平助君は、まだ多少の波があるものの、次第に陽の光が平気になり、朝起きて夜静かに眠る生活ができはじめている。

――この水があれば、良くなる。
切なる願いを込めて、桶に清水を汲んだ。

「重そうだな、俺が持つよ」
振り向き様に、自分より幾分か高い人影がそう告げた。声だけで平助君だと分かるし、彼は他人が自分に指一本触れぬよう、日々注意を払っているから。……彼しかいない。
驚きのあまり声あげる間もなく、桶から手が外れた。彼はそれを難なく手に取り、もう片方の手で自分の背に腕を回して支えた。
「あはは、驚かせちゃったな。悪ぃ」
屈託のない笑みにつられて、やんわりと微笑み返す。

陽の下で平気な彼の姿、それでも自分の双眸には、不安の影が僅かに宿った。
「なんだよ、もう大丈夫だってば」

――自分のそんな小さな変化すら、見透かされる。

昨夜、背を曲げ苦悶の表情を浮かべていた彼。羅刹後の顕著な兆候。最近はすっかり落ち着いていたのだが、油断したのだろうか…自分の看病や食生活、その他諸々のどこかに落ち度でもあったのだろうか。
そう思うといたたまれなくなり、自責の念で胸が食い破られたような痛みを訴えた。

「……本当だってば」
ことさら優しい声音で、そう告げられた。たったその一言に込められた心情が、胸の痛みを軽くする。いとも簡単に。また、心配が表情に出ていたのだろうか。慌てて両頬を軽くはたきながら、彼の腕の中で身をすり寄せた。
彼は自分に支えられていると言うが、実質支えられ、癒されているのは自分の方が多い気がする。

「ほんっとに、心配性だな。久々の発作だろ?間隔もどんどん長くなってきているし、陽の下でも平気なんだぜ?」

――でも、昨夜の発作を目の当たりにして、疑惑が生まれたのだ。

もしや彼は無理をして、陽の下を歩き、夜自分に合わせて閨につくのではなかろうかと。その反動ではなかろうか。

「……ごめんなさい」
ぽつりと謝ると、彼は自分の頭をやんわりと撫で、桶片手に私の手を握ってあぜ道を歩き始めた。
言葉を探すけど、横を歩く彼の姿に視線をやると、じんわりと視界が滲んだ。

大体自分は大袈裟なのだ。
分かっているが、平助君がご飯を食べる時、甘く囁いてくる時、時折鍛錬する姿……どれひとつ忘れがたく、明日にも消えてしまうのかという不安がつきまとっていた。
それは彼も同じで…いや、自分以上に痛切な思いを抱えているだろう。だから自分が過剰に不安がったり、恐れたりするのは、彼に対して失礼な気がした。彼は普通に生きようとしているのに、自分だけが羅刹の影を引きずって、こうして時折彼に忍びよる“死”を連想させてしまう。

「……って、何泣いてんだよ!?」
家の前、引き戸を開けようとした彼が、ようやく事に気づいて頓狂な声を上げた。
軒先で、気まずい沈黙がおとずれる。

「……お前……声殺して泣くの上手くなったよなぁ」

やがて彼は嘆息混じりにそう告げて、桶を置き、庭先の樹齢数百年だとかいう桜の樹まで、私の手をひいた。

「よっと。……座れよ」
軽い口調で告げてその場に座り、桜の根で丁度座りやすくなった段差を勧める。三分咲きの桜は、枝先まで桜色に染まり、まるで別の樹木のように見えた。そろり…と、はらはらと泣き続けたまま、彼の隣に腰を下ろした。
瞬間、何の躊躇いもなく、精悍な腕が自分をしっかりと抱き締めた。耳元に吐息を感じる。彼の胸元から鼓動が聞こえる。もう、随分慣れた筈なのに、いつも目許が赤らんでしまう。

「悪い、心配かけて」
ふるふると首を左右に振る。平助君は何も悪くない。油小路までのこのこと出てきた自分が、彼を羅刹にさせたのだ。彼がいくら違うと言っても、これだけは…事実で、悔恨。けど、いつまでもこんなふさいだ姿も見せたくなかった。彼の腕の中が嬉しいのは事実だから、自然と笑みが零れる。
「……なんって、寂しそうな顔して…笑うんだよ」
「平助君の腕の中だから…」
「でも、俺がいつ死んじまうか分からないから、そんな顔……すんだろ?」
「それは…そう……だけど……」
「気にすんなって、里の水で体調良くなってきたし」
歯切れの悪い返事。もっと明るく振る舞いたい。彼に一番元気をあげられるのは、自分だから。せめて…と、袂に入れている木綿を取りだして目許を拭った。

「あーあー、かわいい顔が台無しじゃないか。此処に新八さんでもいればなぁ、何かパカなことでもして、俺たちを笑わせてくれるんだろうけどなぁ」
微苦笑を零して平助君は、自分から視線をそらして空を仰ぎ見る。
布で涙を拭う自分。泣き顔を見せたくないのだろうと、すぐ察して。こんなに自分のことを想って、接してくれる人なんて他にいない。
私は…幸せなのだ。
そっと一緒に空を仰ぎ見る。視界には、必ず平助君が納まっていた。
そよそよと短くなった髪が揺れる。生気のある肌。出逢った頃よりずっと、大人っぽくなったような気がする。それだけ一緒に日々を重ねてきたのだと、心があったかくなる。

「あのね…変なことかも知れないけど、一瞬、一瞬がね……とても大事なの。平助君が隣にいてくれること、笑いかけてくれること……す……好きって言ってくれることも……全部奇跡みたいなことなの」
「奇跡って…大袈裟だなぁ。俺が千鶴の側に居て、好きなのは当たり前のことだし」
彼の言葉に耳まで赤く染まる。
平助君はその様子を瞬きして眺めていたが、悪戯に指を伸ばして耳朶を擽るように撫でた。ともすれば閨で触れるような…やや色めいた手つきで。

「俺だって、お前が俺のこと好きって言ってくれるのが、奇跡みたいなモンなんだよ」

「平助君が…ずっと守ってくれているから……好きって言い続けられるの」
指使いの微妙な差違に戸惑いながらも、懸命に言い返した。


「俺は…ずっと、側にいるから…」


彼は心からの笑顔を添えて、そう告げた。

――私は、信じたくて一緒に微笑んだ。

陽光を浴びて泰然と笑う彼は、あまりにも優しすぎる。
彼自身もずっと側に居たいと想ってくれるからこそ、そう言うのだ。
先の見えない幸せは、甘くて切なくて胸を締め付けた。



「お前は70くらいまで、生きそうな気がする」

唐突に確証もないことを、彼は言い始めた。平均寿命よりは、かなり長生きな部類だが、突然の仮説に目を見開いて彼を見返してしまった。視線がかち合う。……彼の双眸は真剣そのもので、冗談を口にしようという風情ではなかった。ふと…唐突なことをよく言い出していた、近藤さんを思い出す。

「…んで、俺は羅刹で寿命を削っちまったけど、100まで生きる自信はあった。だから、いつも斬り込み隊として命張ってたんだ」

瞬きをする。確かに彼は「魁先生」などと異名を持っていたが、それとこれに、どう…繋がりがあるのだろうと、小首を傾げた。

「大体なぁ、俺は25年分くらいは羅刹で命を削ったと思うんだ。……だからきっと、お前と同じくらいに天寿を全うできる筈なんだ」

「……すごい仮説だね」
嫌味でもなく、呆気にとられて口から言葉が滑り出た。

彼はややムキになって、ずいと顔を寄せた。
「山南さんがな、俺は煮ても焼いても食えないから、100までは生きるに決まってるって言ったんだぜ? 土方さんも、新八さんも佐之さんも、頷いたんだ。隊のお墨付きなんだぜ?」
「――変なお墨付き」
ぷっと吹き出して、肩を揺らして笑ってしまった。
お墨付きを付ける山南さんもそうだけど、それをすっかり信じているような彼の口振りも可笑しかった。

「だからさ、必死になって…俺を目で追いかけなくっても、大丈夫だから」
ごく自然に唇が触れる。桜の花びらが口唇を掠めたかと思うくらい、軽く。突然のことだけど、つい口元が緩んで笑みを作った。今度は彼がつられて微笑んだ。
私たちは、まるで2人で1つの生命のようだった。

「やっぱり、お前は笑顔の方が綺麗だ。……な、泣き顔もかわいいけどな。どっちかっていうと、笑ってるお前を見ていたい」
「私も…笑っている平助君が見たい」
薄く笑うと、彼は僅かに頬を朱に染めたが、次の瞬間真顔に戻った。

「……お前といると、新撰組で命張っていた頃が、嘘みたいに思える。前にも言ったけど、俺はどっかのお偉いさんのご落胤で、最初から存在しない者として、扱われててさ…だから、どこでも剣が振るえたし、斬り込みもできた。少なくとも死人のような俺の命は、軽いモンだと思っていたし」
「私は、一度も平助君の命が軽いって思ったこと…ないよ?」
「……あぁ……油小路で、血ぃ吐きだして、もう終わりだなぁって思った時、お前が誰よりも必死に俺の名前を呼んだんだ。その時…初めて、俺の命も捨てたモンじゃねぇんだな、生きたい……そう願ったんだ」
「……私が……平助君を羅刹にさせた……の?」
目を見開いた。彼が生きる選択をした起因が更に自分のせいだと、認識し息を飲んだ。
「ちがうって!!選んだのは俺!…もう、何回も言わせるなよ。……っと、言わせなきゃいいか」
軽いノリで、彼は再び自分の唇をついばんだ。

「…んっ、平助…くん?」
擽ったそうに彼の唇から逃れ……ようとしつつも、確実に捕らえられ、幾度も口吻を続けられる。ここは外なのに…まるで夜の彼の様で、ぞくりと肌が粟立った。こんな場所で、“女”になるのは、恥ずかしいと、身を捩った。

「不安なんだ。俺もいつ山南さんのようになるか、このままでいられるか…明日消えちまうんじゃないかって……」

熱っぽく囁くが、やや揶揄する響きが篭もっている。あえて同情をかうような台詞を紡いでいるようにも、勘ぐれる。

「泣いている女を黙らせる方法は、接吻だって佐之さんが言ってたけど、本当だな。すっかり大人しくなったな」

――原田さんっ、恨みますっ!

くつくつと悪戯っぽく喉元で笑い、更に興に乗り始めたか、私の襟元をゆっくりと左右に開いた。透けるような乳白色の肌。暫く彼は見つめていたが、吸い寄せられるように唇を添えた。神聖なものに触れるかのように、神妙に口唇と舌先で肌をなぞってゆく。そんなことをされると、私の身体がどうなるかくらい、知っている癖に。

「……平助君っ……せめて、家で……」
「いやだ」
即答だった。首筋に朱色の痕がつくほど、キツく吸われて身を震わせる。抗うこともできずに、切なげに彼を見上げた。眉根を僅かに寄せて、ギリギリ何かに耐えているような…切迫した彼の表情に気圧されて……身体の力が抜けた。
「……ま、でも、いくら山南さんのお墨付きでも、人の道は幾重にも交じって別れてるから、先が見えないよな。こうして触れているだけで、すぐに指から砂になっちまうかも知れねぇ」
「そ、そんなこと言わないでっ」
「……分かってる」
ニッと子供のように無邪気に、邪な悪戯を敢行しようと彼の指は、私の弱い部分をなぞり、押しつぶす。ひくりと反応すれば、重点的に虐められた。いやと首を振れば、首筋を舐め上げられる。
「やっぱ、人間はいいよな。こーんなお日様の下で、お前の艶肌あがめられるんだから」
彼が暢気にそんなことを口にしている間、すっかり私は肩で息をして視界がぼやけて理性がとろけてしまいそうになっていた。

「……もし、俺が灰になっちまったら……この桜の下に埋めてくれ」
「……どう、して?」
「お前が、この地から…余所へ嫁いでいかない為だよ」
「そんなこと、しません」
「お前は綺麗だから、後家さんになっても、引く手あまたなの。いつも目で俺を追うお前は、俺が……か、仮にだぞ?居なくなったら、この桜を見つめればいい……」
「……平助君……」
「春には花を咲かせて、花びらで今のように、お前の身体に触れる。年に一度は必ず触れて…慰めることができるんだ」

――そんな、哀しいこと言わないで。

そう告げようとした時、小股に彼の手の平が侵入してきているのに気づいた。慌てて太腿を閉じようとするが、彼の力には敵わない。

「ま、俺に良く似た子供もできりゃ、お前も寂しくなんか…ねぇだろ?俺の寿命が100まであれば、関係ないんだけどなぁ」

「い、生きますよっ!平助君は100から…ええと、25引いて75歳までっ!だから……」

「……だから?」

揶揄するその口調は、どこか沖田さんを彷彿させた。
時々彼は新撰組のことを思い出してか、隊士の口まねをすることがある。その最悪な例が此処に……。

「…こ、ここで子作りは……っ」
「善は急げって言うだろ?俺我慢できねぇし」

小犬のようにじゃれつき、捩る身体に逞しい四肢が絡みついた。
その指が微かに震えていなければ、とうに振り払っていた。



――了
(ゆずたまさん作)


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