いにしえ夢語り千華繚乱の庭佐和山日和



なたの為なら このなど



――さこんっ!


朱にまみれた鎧。
血の気の失せた蒼白な顔。
その姿を目にしたとき、石田三成は、心臓が止まってしまうのではないかと思った。
「左近! 左近! しっかりせよ! 私の声が聞こえるかっ」
三成の必死の呼びかけに、盾板の上に横たわった男は、薄く目を開いた。
「殿……」
「すまぬ、左近。そなたをこのような目にあわせて」

――まったく、なんて顔をするんだろうね、うちの殿は。これじゃあ、殿が心配で、おちおち討ち死にもできやしない。

そんなことを考えているうちに、痛みが薄らいできた。
島左近は、ゆっくりと上体を起こし、盾板の上に胡坐をかくと、部下に命じて鎧をはずさせた。
脇腹と太股に一発ずつ被弾している。
「左近。大丈夫なのか」
「なあに、かすり傷ですよ。心配ご無用」
座ったまま応急の手当てを受けながら、わざと元気に答えてみせる。
それでも、三成の体の震えは収まらないようだった。
「殿、しっかりしてください。今は、俺の心配などしている場合ではありませんぞ。西軍の命運が、殿の采配にかかっているということをお忘れなく――」
「分かっている。分かっているのだ」
ぷい、と横を向いた拍子に、三成の頬をこぼれたしずくに気づき、またも左近は小さくため息をついた。
(泣かないでくださいよ、殿。大将がそんな顔をしていては、全軍の士気にかかわるでしょうが)
まだ負けと決まったわけではない。天下分け目の戦いは、これからが正念場なのだ。
そんな大事なときに、戦の行方よりも、一人の家臣の負傷を気遣って涙ぐむなどとは。
(殿らしい、というべきか)
そういうところに惚れたのだ、と胸の中でもう一人の左近がにやりと笑う。


手当てを済ませた左近に、再び三成が声をかけた。
「しばらく休んでおれ。後は、私が前線に出て指揮を執る」
「とんでもない。大将は常に、本陣に不動でいなければなりません。俺への気遣いなら無用ですよ。どんなことがあっても、殿は左近がお守りします。そのために、俺はここに居るんですから」
「左近……!」
蒼白だった三成の頬に、朱の色がさす。
「佐近、確かに俺は情けない主君だ。そんなことは、お前に言われずとも分かっている」
それでも――、と三成は唇をかんだ。
「今、この戦況の行方よりも、お前の身が大切なのだ。叱られてもいい。怒鳴られてもいい。お前を死なせたくない」
「殿?」
こんな頼りなさげな三成を見たのは初めてだった。
西軍の総帥としての張りも、大名としての誇りも、なにもない。親にはぐれた子どものように、おびえた眸子がすがるように左近を見つめている。
「左近を失うかもしれぬ、ということが……これほど辛いとは思わなかった」
体の半分を、魂の半分を、引きちぎられるほどの苦痛。おそらくそれは、己が世界のすべてを失うに等しい苦しみだ。
盾板の上に横たわった左近の姿を見て、それがどういうことか、身にしみて三成には分かったのである。


「――まったく、困った人だ」
苦笑しながら、言葉とはうらはらに、左近は三成の華奢な肩を抱きしめていた。
「殿、左近に万一のことがあっても、決して……」
「え?」
よく聞こえなかった、と三成がけげんそうに眉を寄せる。
「いえ、何でもありません」
ぐい、という感じで三成の肩から手を離すと、左近はその場に跪き、凛とした声で告げた。
「では殿、島左近、再び出陣いたし、敵を蹴散らしてまいります」
「頼む。……死ぬなよ、左近」
見上げれば――。大きく見開かれた三成の眸子は、今にも涙がはじけそうだ。
主の必死のまなざしに応え、左近は晴れやかな笑顔を浮かべた。
「死にませんよ!」


馬上、長槍を振るいつつ、島左近はゆく。
行く手をさえぎる無数の敵を蹴散らし、突き殺し、部下を叱咤しつつ何度も突撃を繰り返し――。
鬼神をも凌ぐその勇猛な戦ぶりは、後の世まで語り伝えられた。


「殿の為なら……」
この身など、何で惜しかろう。
あの日、石田三成という主君にめぐり会った日から、己が命などとうに捨てている。
だが――、と左近は思う。
(俺が死ねば、殿は泣くだろうな。まさか、早まるようなことはないだろうが)
先刻、飲み込んだ言葉が、頭の中でぐるぐる回っていた。

――あのひとを、泣かせたくない。
――俺はただ、殿の笑顔を守りたいのだ。

だから、死ねない。
必ず、生きて。
勝利を我が物とする。
殿の笑顔のために。





2009/5/5


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