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後 出 師 表 (2) 




漢中から魏領である関中へ向かうには、三千メートルを超える高峰が連なる秦嶺山脈を越えねばならない。
その道は、断崖に点々と穿った穴に木を差し込み、その上に板を渡して橋とした桟道が連なる、この上ない難路だった。

   ああ、危うきかな、高きかな
   蜀道の難きは、青天に上るよりも難し――

唐の詩人李白は、自分の故郷である蜀に通じる道の険しさをこう詠っている。
蜀の地は、天然の要害に守られた天府の国だが、それはまた同時に、こちらから遠征するときの困難をも意味していた。
ひとたび大雨が降ろうものなら、たちまち橋は流され道は崩れて、通ることもできなくなってしまう。
この嶮岨な道を越えて、大軍を動かすのだ。なによりもまず、人と物資を移動させる道筋を確保するために、かなりの人間を動員しなければならなかった。
補修の任務を負った先遣隊を出発させ、あらかたの準備を終えたある日、孔明は、姜維を自室に招いた。
「話というのは他でもない。近々成都に参るつもりなのだが、その際にそなたを伴っていこうと思う」
「では、いよいよ陛下にお目通りを?」
目を輝かせたのは、横で話を聞いていた香蓮である。
「うむ。今後のこともある。早いうちに、姜維伯約という人物を宮廷に知らしめておきたいと思うてな」
「かたじけのうございます」
姜維は、神妙に頭を下げた。
「宮廷というのは、いろいろと煩わしいことも多い。特に今の陛下の御代になってからは、戦などとは無縁の文官どもが幅をきかせておる。武辺であるそなたには居心地が悪かろうが、我慢してほしい」
「とんでもございません。私は、孔明先生のお側なら、たとえどのような修羅場でも喜んで参る覚悟です」
「伯約さま。どうかしっかり先生を支えてさしあげてくださいね」
うらやましげに師弟を見守る香蓮に、姜維は柔らかな笑みを投げた。
「もちろん、香蓮どの。あなたの分まで、です」
図らずも姜維が口にした「修羅場」。これから先、彼が幾度となく辛酸を舐める修羅場とは、魏との戦場ではなく、まさに蜀廷の中にあったといっていいのだが、このときはまだ知る由もなかった。


次の日、孔明は姜維ほか数人の供を従えただけで、成都に向かった。
軽騎をとばした一行は、数日を経て、蜀都郊外にある先帝劉備の墓所恵陵に着いた。劉備玄徳を祀る昭烈帝廟は、松柏の木立ちに覆われて、ひそとした静寂の中にあった。
孔明は、姜維だけを連れて廟堂にはいると、陵の前に拝跪して、長い間身じろぎもせずに額づいていた。竹林の葉の風にそよぐ音だけが、さらさらとふたりの上を通り過ぎていく。
どれほどの時間が流れただろうか。
ようやく頭を上げた孔明は、おもむろに先に書き上げた表の草稿を取り出すと、低い声で読み上げ始めた。静かな口調で語られるその真情は、時に高揚し、時に悲憤慷慨し、聞く者に断腸の思いを抱かせる。
(再度の出陣にあたり、不肖孔明、魏討伐の誓いを果さぬかぎりは、死ぬまでここには戻らぬ覚悟でございます。陛下、なにとぞ私にお力をお貸しくださいませ)
――臣、鞠躬尽力し、死して後已まん。
読み終えた後、最後の一節を胸の内で繰り返して、目蓋の内にあふれてくる熱い泪に、孔明は思わず眼を閉じた。
「先生!」
ただならぬ師の気配に驚いて駆け寄った姜維に、ゆっくりと振り向いた孔明の顔は、常と変わらず穏やかだった。
「何でもない。心配いたすな」
「はい」
「ここに眠っておられるお方に初めてお会いしたのは、この孔明が今のそなたと同じ二十七歳の時であった。息子ほど年の離れた、しかも一介の書生にすぎぬ私に会うために、玄徳公は何度も我が草廬に足を運ばれたのだ」
隆中の草堂で、初めて劉備と対坐したときのことが、昨日のことのように思われる。
「それ以来、先帝は常に私を軍師として信頼してくださった。その大恩は、たとえ我が一死をもってしても応えられるものではない。ただただ劉禅陛下を輔けて蜀の国を守り、魏を討って漢の正統を正す――。それだけが、先帝のご恩に報いるただひとつの道なのだ」
それは姜維にというよりも、自分自身に言いきかせるかのごとき口調だった。
水のように澄みきった横顔を見守りながら、姜維の胸は感激にふるえた。劉備から諸葛亮に託された大いなる志を、さらに自分が受け継ぐのだ。師はそのために、自分をここに伴ったに違いないのだから。
「伯約よ。私の志は、ひとり孔明のものではない。それは先帝の悲願、あるいは途半ばにして斃れた多くの同志の夢、そして非道な政治に泣く幾百万の民の願いぞ! その願い、その大志を継ぐのだ。それなりの覚悟はできておるな」
静かな声音に込められた、意志の厳しさ、責任の重さ。背筋が粟立つほどの緊張を覚えて、姜維は、言葉もなくその場に平伏したことだった。
こうして、後出師表(先年、初めて北伐の途につくにあたって上表したものを前出師表と呼ぶのに対していう)は、孔明の心の中で、今は亡き先帝劉備に捧げられたのである。


成都にはいった孔明は、まず宮中に伺候して劉禅に拝謁した。
「相父。長らく顔を見せてくださらぬので心配しておった。元気そうではないか」
後主劉禅は、孔明の参内を聞くと、自ら玉座を降りて迎えに出た。
幼時には、当陽の戦のおり、趙雲の懐に抱かれて死線を彷徨ったこともある劉禅だったが、物心ついてからは、戦場の苦労も、逃げ惑う敗戦の辛さも知らずに育った若者である。
この蜀漢の二代目皇帝は、まったくの暗君といってよかった。ただひとつ彼に取り柄といえるものがあるとすれば、父親の遺言を守ってすべてを丞相諸葛孔明に委ねたことだろう。
皇帝から相父と呼ばれ、内政軍事すべての最高責任者の地位にあっても、孔明には微塵の驕りもない。彼は階の下に再拝して臣下の礼をとると、粛然として言った。
「今日、こうして漢中より罷り越しましたのは、ほかでもございません。なにとぞ再度の関中出兵の儀、お許し願いたく――」
「それは、また……」
突然の出陣願いに、劉禅はただおろおろと口ごもるばかりである。
「相父には、この春、祁山より撤退し漢中へもどられてから、まだそれほど日もたっておらぬというに。それに、これから季節は厳寒に向かい、秦嶺の峰を越えるのも容易なことではあるまい。なにもそのように急がずとも……」
優柔不断は劉禅の常とするところだ。孔明はにわかに顔色を改めると、若き主君を叱咤するごとく、厳しい口調でいった。
「陛下。このような重大事、臣はなにも急に思い立ったわけではございませぬ。街亭より退いて以来、一日とてこの胸に捲土重来を期さぬ日はなく、常に魏の情勢を見てまいりました」
「……」
「今、彼の国は呉国との戦に敗れ、関中の守りもままならぬありさま。このときをおいて魏を討つ好機はございませんぞ!」
「そ、それはそうであろうが……」
劉禅はこの時二十二歳になっていた。年齢だけをとってみれば、魏の明帝曹叡より二歳年若いだけである。だが先の第一次北伐の際に、魏帝曹叡が、国家の一大事とすぐさま自ら兵を率いて長安まで親征したことを思えば、その資質において歴然たる彼我の差があったといわねばならない。
(近頃、陛下には、宦官どもを親しくお近づけになっておられると聞く。そのような小人の甘言に乗せられていては、ますます政に対する興味を失ってしまわれることになろう。私が長らく成都を留守にしたのが良くなかったのか……)
劉禅は生来凡庸ではあったが、根は素直なところがあり、孔明が側近く仕えていた頃は、その教えに従って書を読み、また自らの器量を磨く努力をも怠らなかったものである。
だがひとは誰でも、苦言諌言より、自分を持ち上げ喜ばせてくれる巧言を好むものだ。何の苦労もない宮廷で、宦官たちに取り巻かれ酒色に溺れているうちに、劉禅はすっかり己を律する厳しさや精進といったものから遠く離れたところにいってしまっていた。
(できることなら常にお側近くにあって、陛下にりっぱな君主として、少しでも父君に近づいていただくべく導いてさしあげたいところだが――)
孔明には、何をおいてもやらねばならぬ大事がある。これから先もおそらく、成都に留まって親しく劉禅を輔佐することは不可能だろう。
彼は忸怩たる思いで劉禅を見上げると、これまでになく語気を強めた。
「なにとぞ、出師の詔勅を――! 臣亮、伏してお願い申し上げます」
「わ、わかった……。相父がそこまで申されるのなら、朕は何もいわぬ。存分に戦うて参られよ。ただ、相父ももう若くはないゆえ、充分身体をいとうてほしい」
思いがけない労りの言葉に、孔明はその場に平伏した。
「ありがたきお言葉。孔明、陛下のご鴻恩決して忘れませぬ」


ついに再び、出師の詔は発せられた。
宮中を退出した孔明は、その足で、今は留府になっている丞相府にはいり、長吏の蒋エンに今後のことを細かく指示した。
後顧に憂いを残しては、全軍の士気にかかわる。自分が遠征に出ている間、宮廷でなにかあっては困るのだ。
このところ、劉禅を中心とした宮廷内には、ようやく厭戦の空気が満ち始めていた。宦官を始め文官たちの多くは、こちらから進んで戦を仕掛けることには反対だった。先の北伐に失敗した傷は、こんなところにも深い影を落としている。
さらに、前線を支援する最も重要な任務は、後方にあって兵糧物資を確保補充することであり、兵站線の伸びる北伐においてはなおさらだった。漢中には、楊儀という兵糧補給に天才的な手腕をもった担当者が同行していたが、孔明はさらに、その後方の備えを蒋エンに頼んだのである。
細々とした孔明の注文や指図に、彼はいちいち頷き、疑問点を質したりさらに詳しい提案を掲げたりした。同行した姜維とも、忌憚のない意見を交わした。
そうして数刻の後、
「成都のことは、私にお任せください」
蒋エンは、莞爾として言った。
「どうぞお心おきなく、存分のご活躍を――。ご成功をお祈りしております」
「うむ。頼んだぞ」
孔明は、自分が育ててきた若き官僚のすがすがしい笑顔を頼もしいものに見ると、
――成都は、これでよい。
と、まずは安堵の胸を撫でたのだった。


忙しい一日が終わった。
姜維にとっても、慣れない宮廷や丞相府でかしこまっているだけの窮屈な時間は、実際よりはるかに長く感じられた。
夜更けになって、ようやく姜維は孔明とともに、丞相府の一画にある諸葛邸の門をくぐった。
「だんなさま! お帰りなさいませ」
「桂華――」
夫も妻も、さまざまな思いが一度にあふれて、すぐには言葉にならない。
「長い間留守にしてすまなかった。こちらは姜維伯約。成都にいる間、家族と思うて世話をしてやってくれ」
「まあ、あなたが……」
桂華は一瞬、声を詰まらせた。
「喬が帰ってきたのかと思いましたわ」
「恐れ入ります」
一通りの挨拶の後、姜維は与えられた寝所に引き取り、ようやく孔明は妻とふたりの時を得た。
「瞻は健やかか?」
「ええ。笑うとあなたにそっくり。もうひとりで歩けますのよ」
「そうか……」
孔明は、母親らしく少しふっくらとした妻の顔をみつめた。
桂華はもう四十路に近かったが、その気品は年を経てより輝きを増したようだった。ひとを見るとき目をみはるくせ、白い歯がこぼれる笑顔。かれは昔から、こうして灯明かりに照らされた妻の顔を見るのが好きで、悩み事のあるときなど飽きずにながめたものだ。
桂華は、夫のたわいもない話にいちいち頷いては軽妙に相槌をうつ。ふだん、ほとんどといっていいほど他人に心の内を見せない孔明が、妻の前でだけは、素の自分をさらけ出すことができた。
「橋は、残念だった……。私があれの病に気付いておれば、戦になど連れていかなかったものを。許せ――」
「いいえ。たとえ我が身の病を知っていたとしても、あの子はけして成都に残るとは言わなかったでしょう。そういう子でしたわ」
「そうだな。香蓮も同じことを言うておった」
誰にともなくつぶやいて、孔明の胸は小さく疼いた。
こうして夜のひととき、妻と家族のことを語りあう。そんなあたりまえの情景さえ、孔明には、もう長い間、望んでも叶えられぬものになっていた。瞻が生まれたときも、橋が死んだときも、彼は妻の側にはいてやれなかったのだ。
(夫婦ならば、そのようなときこそともにあって、悲しみや喜びを分かちあうべきであろうのに……)
劉備に仕えなければ、あるいは妻とふたり、隆中での穏やかなくらしが続いていたのだろうか。
「桂華、すまぬ――」
思いがけない夫の言葉に、桂華は驚いて目をみはった。
「そなたには苦労ばかりかけてきた。家のことは、すべてまかせきりで……申し訳なく思う。だが、私にはやらねばならぬことがある。まだ、そなたのもとには戻れぬのだ」
「あなた――」
たとえ身は遠くに離れていても、心はいつも傍らに寄り添っている。それが、偉大な軍師諸葛孔明の妻である自分の務めであり、定めなのだと、桂華は精一杯の笑顔で孔明を包み込んだ。


<後出師表(3)に続く>



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