平助くんと私の六十日間 |
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私、山村花梨、21歳。新選組大好きな女子大生。 今、私は、突然140年も過去の世界からタイムスリップしてきた御陵衛士(元新選組隊士)の藤堂平助くんと一緒に暮らしている。……という嘘のようなホントの話。 ◆◇◆ 冬休みも終わり、また以前のような日常が戻ってきた。 ただひとつ違うのは、私の隣に、平助くんがいること――。 大学は、1月半ばから入試のための休みに入る。だから、学校が始まったといっても、時々教授の研究室やゼミ仲間の会合に顔を出す程度で、自由な時間はたっぷりあった。 私は、平助くんの様子を見ながら、少しずつアルバイトを再開することにした。 もちろんできることなら、ずっと一緒にいたいのだけど、二人分の生活を賄っていくには、やはり何かと物入りなのだ。 それでも、以前のようにファミレスで夕方から深夜までといった勤務ではなく、近所のスーパーで午前中に限定するなどして、何とか勤務時間を最小限に抑えるように努力した。だって、なるべくたくさん平助くんと二人の時間を持ちたかったから。 その日の昼過ぎ、私がバイトから帰ってくると、部屋がしんと静まり返っている。 (あれ? 平助くん、どこかへ出かけたのかな?) 一人で出かけるなんてめずらしい……と思いながら、何気なく部屋の中に入りかけた私は、驚きのあまりその場に立ちすくんだ。 いないと思っていた平助くんが、そこにいたのだ。 部屋の中央、こちらに背を向けて端座する平助くんの手には、彼とともに時空を超えてきた愛刀が握られていた。 私に気づいているのかいないのか、平助くんはベランダに向かって一心に刀の手入れをしている。 青く不気味な色をたたえた日本刀。陽気で少年っぽさの抜けない平助くんには、とても不釣合いなものに見える。まして、真剣なんて、見たこともさわったこともない私には、そんな物騒なものが傍にあるというだけでとても怖い。 でも、平助くんにとっては大切な刀なのだ。 彼が、自分の刀の手入れをしたいから道具を売っている店を探してほしいと私に頼んできたのは、三日前のことだ。ネットで調べてみると、けっこう近い場所に、日本刀や手入れ用品を扱っている店があることがわかった。そこで、昨日、平助くんと二人でその店に出向き、必要な道具を一通り買ってきたのだった。 錆びていないか。刀身に傷がついていないか。目釘が緩んでいないか。 刀を見つめる平助くんの背中は真剣そのもので、声をかけることさえためらわれた。あらためて、彼が江戸時代からやって来た本物の侍なのだということに気づかされる。 「平助くん」 ぴんと張り詰めた部屋の空気を破るように、私は思い切って呼びかけた。 「お、花梨。帰ってきたのか」 平助くんは、明るい笑顔でこちらを振り向き、 「ちょっと待っててくれ。すぐ片付けるから」 と、あわてて刀をしまおうとした。 「あ、私のことは気にしなくていいよ。それより、ちゃんと手入れしてあげて。大切な刀なんだから」 「そうか。じゃあ、言葉に甘えてやっちまうとするか」 もう一度座り直した平助くんの背中に向かって、私はおずおずと声をかけた。 「ねえ、私も見てていい? じゃまにならないように気をつけるから」 「いいけど――」 手にした刀から目を離さず、少しだけ厳しい声で平助くんは言った。 「危ないから、離れて見とけよ」 「うん」 平助くんは、手馴れた様子で刀身をあらため、打粉をかけてから丁寧に拭い清めていく。 私は息をつめて、平助くんの鮮やかな所作を眺めていた。 静かな時間が流れていく。 「不思議だな」 平助くんが、刀を見つめたままぽつりとつぶやいた。 「新選組にいた頃は、毎日のように人を斬ってた。御陵衛士として伊東さんの元に移ってからは、めったに斬り合ったりするようなこともなくなったけど、それでも毎晩刀を抱いて寝てたんだぜ。それが、こっちへ来てからもうひと月になるのに、刀を抜いたこともねえ。どころか、手入れすることすら忘れかけてたなんてさ。なんだか、自分じゃねえみたいだ――」 彼は小さくため息をつき、それから少し照れたような笑みを浮かべた。 そんなことない、と私は胸の内でかぶりを振る。 もちろん、常に先頭を切って修羅場に飛び込んでいく勇敢な平助くんもかっこいいけど、今みたいに穏やかな眸子で微笑んでいる平助くんは、年相応の若者らしくてとても素敵だからだ。 できることなら、もうこんな刀を使わなくてもいいように、いつまでも平和な日々が続きますように、と祈らずにはいられない。 それにしても、日本刀ってこんなに美しいものだったんだ。研ぎ澄まされ、一分の隙もないほど完成された美。その蠱惑的な鋼の輝きは、じっと見ていると、吸い込まれそうになる。 さらに、それが平助くんの手にあることで、より魅力的で気品に満ちたものに見えた。 「きれいだね、その刀」 思わず口をついて出た言葉に、平助くんは、 「そうか? 花梨がそんなことを言うなんて思わなかったぜ」 と首をかしげる。 「確かに、俺なんかにはもったいないようないい刀だけどな」 ――だけど、と平助くんの眸子に暗い翳が落ちた。 「結局は人殺しの道具だ」 「………」 私は、はっと息を呑み、言葉を失う。 それは真実そのとおりなのだけれど、実際にその刀で人を斬ったであろう彼の口から出ると、「人殺し」という響きがやけに生々しくて、私は軽いショックを受けた。 黙々と手入れを済ませた刀を鞘に収め、平助くんは、怒ったような声でつぶやいた。 「何人斬ったか、覚えてねえ」 「平助くん……」 「俺は今でも、この刀を見ると、斬った奴らの断末魔の顔が思い浮かぶんだ。どんな理屈をつけたって、人を斬るなんてのはきれい事じゃねえよ。俺も、刀も、血みどろなんだ」 ひとつ間違えば、俺が斬られていたかもしれないしな、と淡々と語る平助くんのまなざしは、どこか寂しげだった。 そのようにしなければ、生き残れなかった。決して、好きでやったわけじゃない。 そんな言い訳をいくら並べても、彼が京で過ごした苛烈な日々の記憶が薄れるはずもない。 多くの過激派浪士を、さらには同じ新選組の仲間までをもその手にかけた、という逃れようのない事実が、厳然としてあるだけだ。 ――平助くん。そんなに自分を責めないで。 胸にあふれた思いは、けれど声にならなかった。 傍にいても、何の力にもなれない。慰める言葉さえ見つからない。ただ、自分の無力さに唇を噛むばかりだ。 私よりほんの少し年上なだけなのに、なんて辛くて厳しい世界を生きてきたのだろう、彼は。 どうして突然、そんな夢を見たのか分からない。 刀を持つ彼の姿を目にしたからというわけでもないだろうが、その夜、私は悪夢を見た。 ――平助くんが、殺される夢だった。 そこはたぶん、七条油小路の辻。 凍てついた月が、凄惨な殺戮の現場を静かに照らし出している。 私は一人、真っ暗な路地に立って、なすすべもなく目の前で繰り広げられる惨劇を見ていた。 何十人もの新選組隊士が、孤立した御陵衛士たちを取り囲み、押し包むようにして斬殺していく。 その死地の輪の中に、平助くんの姿もあった。 (平助くん! 逃げてっ!) 叫んだつもりなのに、声が出ない。 私の声は、彼には届かないのだ――。 そう思った次の瞬間、平助くんの蒼白な顔がこちらを振り向くのが見えた。 彼は、大きく目を見開き、驚愕の叫びをあげた。 「馬鹿っ! こんなところで何してんだっ?」 平助くん、私の姿が見えてるの? 「危ねえじゃねえか。花梨、早く逃げろ!」 逃げなきゃいけないのは、平助くんの方だよ! すでにいくつも深手を負って、立っているのさえ辛そうなのに。 あどけなさの残るきれいな顔も、少年のように華奢な体も、何もかも血まみれで。 (このままじゃ、殺されちゃうよ!) だけど、私の絶叫は、やはり声にはならなかった。 そして。 こちらに気を取られた平助くんに、ほんの一瞬隙ができた。 それを狙っていたかのように、背後から振り下ろされた一撃が、ゆっくりと彼の背中に吸い込まれていった――。 ――嫌ぁああっ! 自分の悲鳴で目が覚めた。 暗くて寒いベッドの中で、私はガタガタ震えていた。背中が冷たい汗で濡れている。 (ああ、夢だったんだ。よかった……) ようやくそこがいつもの自分の部屋だと分かって、ほっと気が抜けたとたん、今度はどうしようもなく悲しくなり、私は声をあげて泣いてしまった。 「どうした?」 すぐそばで、優しい声がした。目を上げると、私のよく知っている緑がかった温かい眸子が、じっと私の顔をのぞき込んでいる。 「あ……平助くん。ごめん、起こしちゃったね……」 あわてて起き上がり、涙を手の甲でぬぐう。 笑おうとしたけど、無理だった。 平助くんに余計な心配をかけたくないのに、体が震えて、涙があふれて、止まらない。 「やだ。私――」 「怖い夢でも見た?」 平助くんは、私の隣に並んで腰を下ろすと、そっと手を握ってくれた。 (温かい手……) 彼の優しさが、体温とともに伝わってくる。生身の平助くんが、生きて『そこ』にいることを実感して、また新たな涙がこぼれてしまう。 「平助くんが、いなくなっちゃう夢を見たの」 いくらなんでも、面と向って平助くんが死ぬ夢だとは言えない。 「黙ってどこかへ行っちゃうの。呼んでも、叫んでも、どんどん遠くへ行っちゃうの。追いかけても、追いつけなくて。私、怖くて。悲しくて。でも、どうしようもなくて……」 平助くんは、黙って私の話を聞きながら、ずっと手を握ってくれていた。 それでも、体の震えが止まらない。 「花梨――」 平助くんの体の向きが変わった。 握り締める手に力がこもり、まっすぐな視線が私を捉える。生真面目なまなざしに真正面から見つめられて、頬が熱く火照るのが自分でも分かる。今にも心臓が胸から飛び出しそうだ。 次の瞬間、私は平助くんの力強い腕で抱きしめられていた。 「大丈夫。俺、どこへも行かねえから」 どこかぎこちない抱擁が、彼の誠実さを物語っているようで。 たくましい胸に顔を埋めて、目を閉じると、平助くんの匂いがした。暖かくて、心地よくて、そのくせ胸がきゅんとする。陽だまりの匂いだ。 「約束する。ずっと花梨の傍にいるよ。だから、もう泣くな」 平助くんの手が、そっと私のあごにかかる。 目を上げると、驚くほど近くに彼の顔があった。 「平助くん……」 「黙ってて。しばらく」 形のきれいな唇が、私の唇の上に落ちてきた。 「んっ……」 平助くんの荒々しい口づけを、私は呼吸を合わせるようにして受けた。 心も、体も、何もかも、私のすべてが、溶けて流れてあふれ出す。そして奪われていく。ただ一人の、愛しい人の中へ。 夢に見た幸せな瞬間。 この時間が、永遠に続けばいいのに――。 |
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<7 に続く> |
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