いにしえ夢語り浅葱色の庭言の葉しずく



平助くんと私の六十日間


[5]

私、山村花梨、21歳。新選組大好きな女子大生。
今、私は、突然140年も過去の世界からタイムスリップしてきた御陵衛士(元新選組隊士)の藤堂平助くんと一緒に暮らしている。……という嘘のようなホントの話。

◆◇◆

クリスマスも過ぎ、お正月が近づいてきたある日のこと、田舎の母から携帯に電話がかかってきた。
「花梨、どうしてるん? 全然電話もかけてこんと。風邪とか引いてへんの?」
「うん、大丈夫だよ。めっちゃ元気やから」
「そうか。そんならええけど、たまには電話くらいよこしぃや。お父ちゃんかて、えらい心配してはるんやで」
「ごめん……。ちょっと学校の方が忙しくて」
いつもはつい長話をしてしまうのだが、さすがに今日は洗面所にいる平助くんが気になって、久しぶりの母との会話も上の空だ。
「あ、そうそう。今年の年末はちょっと帰れへんかな。いろいろ用事があるんよ」
「そうか。残念やけど、学校の用事やったらしょうがないなあ」
まさか、男の子と一緒に暮らしている、とも言えなくて、つい言葉を濁してしまった。
「お母ちゃん、堪忍。お父ちゃんにもうまいこと言っといて」
母は、私の嘘にこれっぽっちも疑いを持っていないようだ。それがかえって心苦しい。
電話を切ってからも、何となく気持ちがすっきりしなくて、私はぼんやりベッドに腰を下ろして窓の外の鉛色の空を見ていた。

「花梨。誰と話してたんだ?」
歯磨きをし終わった平助くんが、屈託のない笑顔で部屋に入ってきた。
「え? ああ、うん……。ちょっとね、田舎の母から電話」
「電話? あ、遠くの奴とも話ができるっていう妙ちきりんな箱だな」
妙ちきりん――。確かにそうかもしれない。
電話の向こうで、娘がどんなにしれっとした顔で嘘をついていても、母には分からないのだから。
「なあ、花梨って、親と離れて住んでるのか」
「うん、まあね。家からじゃ、大学に通えないから」
「ふうん。それじゃ、おふくろさんやおやじさんは寂しがってるだろうなあ」
私の田舎は日本海に面した港町だ。父はその町で小さな工務店を営んでいる。
私は、卒業したら田舎に帰って父の店を手伝うつもりだったから、同級生たちが必死になっている就職活動にも縁がなかった。
「いつもはお正月には田舎に帰るんだけど、今年は帰れないって言っといたの。だって、平助くんがいるし」
私はごく当たり前の感覚で言ったのに、平助くんはやけに真剣な顔をしている。
「帰ってやれよ、田舎」
「え……?」
思いがけない言葉に、私は目を見開き、まじまじと平助くんの顔を見た。
「だけど。平助くんを一人置いていけないでしょ」
「俺のことはいいから。心配すんなって。花梨がいなくたって何とかなるさ」
そんなこと言って、一人でなんて無理に決まってる。食べることさえ満足にできないかもしれないのに。
「親孝行はできるときにやっとかねえと、後で後悔するぞ」
「―――?」
私はもう一度、平助くんの顔を見つめ直した。彼の口から出た「親孝行」という言葉に、何となく不意をつかれたような気がしたのだ。
「平助くんがそんなこと言うなんて、何か不思議」
ああ、と平助くんは怒りもせず、いつになく真面目な表情でうなずいた。
「俺さ、父親はもちろん、母親の顔も覚えちゃいねえんだ」
平助くんがあまりにもさらりと言うものだから、つい聞き流してしまいそうになったけれど。

――今、何か、ものすごく大事なことを言ったよね?

「ねえ。平助くんって、実は藤堂藩のお殿様のご落胤だって、ほんと?」
私の言葉に、平助くんはぎょっとして顔を上げた。
「なんでお前が知ってんだ? その話、誰にもしゃべったことねえんだけど」
「やっぱり、ほんとだったんだね」
藤堂平助は、伊勢・津藤堂藩の藩主の落胤だった、という説がある。もちろん、確たる証拠があるわけではなく、それが事実かどうかは今も分からないとされていた。
平助くんは、正真正銘のご落胤だったのだ。


彼がぽつりぽつりと語ってくれた話によると、江戸屋敷の奥女中だった母親に殿様の手がつき、どんな事情があったのかは分からないが、郷に帰されて平助くんを生んだ後、流行り病で亡くなったのだという。
それからは、親戚の家に預けられたが、あまり折り合いがよくなかったらしい。 
それでも、藤堂家からは、毎年幾ばくかの養育費だけは届けられていたそうだ。千葉道場へ入門したのも、彼がきちんとした武家の子息だったからだろう。
「ま、そんな話、誰も信じちゃくれなかったけどさ。玄武館にいた頃、たまたま噂になって、それでみんなからいじめられたしな。生意気だ、って。それからはずっと隠してきたし」
きっと辛い思い出なのだろう。自分の出生について、彼がどれほどの思いを引きずってきたのか、想像するだけで胸が痛くなる。
けれど、今そのことを語る平助くんの顔は、意外にもさばさばとしている。
――だけどさ、と平助くんは翳のない笑顔で続けた。
「ほんとは親のある奴がうらやましかったんだ。一緒に泣いたり笑ったりしてくれる、家族ってどんなにいいもんだろう、って思ってた」
その透明な笑顔を見たとたん、私の中に、自分でも抑えられない強い意志のようなものが湧き上がってきた。
「平助くん」
考えるより先に、声が出ていた。
「私と一緒に帰ろ!」
「はあっ?」
平助くんの家族になりたい。
うちの両親じゃ役不足かもしれないけど、一度でいいから彼に、家族というものを感じさせてあげたい。
だから、二人で田舎に帰ろう。
「そりゃあ、まずいだろ、いくらなんでも。第一、俺のこと、何て説明するつもりだよ」
「一緒に住んでる彼氏、藤堂平助くん。ちゃんと両親に紹介するから」
「お前なあ――」
平助くんは、泣き笑いみたいな顔をして、頭をぽりぽりとかいた。だけど、その目は優しく笑っている。少なくとも、私の提案を嫌がってはいないんだと思う。
「じゃ、決定ね!」
それからすぐに、私は実家に電話をかけた。
ついさっき、帰れないと言ったばかりなのに、急に予定が変わって帰れるようになった、と私は自分でも白々しい嘘をついた。
それでも母は大喜びしてくれたが、私が「友だちを一緒に連れて行くから」と言うと、一瞬、電話の向こうがしん、とした。「友だち」が男性だということが、母には分かったらしい。
だが、母はそれ以上何も言わなかった。
「ご馳走いっぱい用意して待ってるから。気をつけて帰っといで」
「うん。ありがと。じゃあね」


「お、この大根うめえな」
夕食のおでんをつつきながら、平助くんがつぶやく。
「そう? 口に合ってよかった」
「花梨は、料理がうまいんだなあ」
「ええ〜〜。そんなことないよぉ」
改めて言われると、ちょっと照れる……。
平助くんは、私の作るものを「美味しい、美味しい」と言って食べてくれる。
正直、あまり料理は得意じゃなかったんだけど、喜んで食べてくれる人がいると、自然と力が入ってしまうものだ。平助くんと一緒に暮らすようになってから、私の料理の腕も、少しは上達したのかもしれない。
「そういう平助くんは、お世辞がうまいよね」
「お世辞じゃねえってば。俺がそんな器用な男に見えるか?」
「ううん」
私は心の底からかぶりを振った。
器用どころか、不器用すぎて、まっすぐすぎて、哀しくなるくらい直球ストライクな平助くんだということは、ここ何週間か一緒に暮らして、分かりすぎるほど分かっている。
そんな平助くんだからこそ、新選組が当初自分の考えていたのとは別の方向へ動き出したとき、問題をうやむやにして折り合いをつける、ということができなかったのだろう。
自分にも、周りにも、嘘がつけない彼なのだ。
「でも、京都にいたころは、毎日高級料亭で美味しいものを食べてたんでしょ」
「まさか。そんなの数えるほどしかなかったぜ」
平助くんは、当時を思い出すように目を細めた。
「京に来たすぐの頃は、みんな金がなくってさ。非番の日に町へ出ても、素うどんばっかり食ってたなあ。まあ、試衛館にいた頃も、似たようなもんだったけど」
彼が、あまりに楽しそうに話すので、私はつい「新選組は楽しかった?」と尋ねてしまった。
「………」
あ――。
平助くんの視線が険しくなる。聞いてはいけない質問だったのだろうか。
「ごめんなさい。私……」
口ごもる私に、平助くんはちょっと強引な笑顔を向けた。
「新選組じゃなくてさ、試衛館は楽しかったな。親なし、家なしの俺にとって、それこそ初めて我が家って呼べる場所だったんだ」
それから彼は、試衛館での思い出をいろいろと聞かせてくれた。
私に向ってしゃべってはいても、それはまるで、自分自身に言い聞かせているように見えた。
やがて、話すことがなくなった、と彼はその場にごろりと横になり、目を閉じた。
「なんでかなあ……」
平助くんのつぶやく声が聞こえる。
「試衛館のみんなが嫌いになったわけじゃない。でも、あのまま新選組として生きていくことは、俺にはできなかったんだ」
「平助くん――」
彼の心臓の鼓動が、私にも伝わってくるような気がした。
今も。平助くんの心は、幕末の京の町をさまよっているのかもしれない。


平助くんの人生が、ただただ切ないものだったとは思いたくない。
24年の生涯でも、きっと、楽しいことやうれしいこともいっぱいあったはずだ。
少なくとも試衛館で暮らした何年かは、いい思い出として今も彼の中に生きている。
そして、私は――。
平助くんにとって、第二の試衛館になれるだろうか。


<6 に続く>

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