平助くんと私の六十日間 |
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私、山村花梨、21歳。新選組大好きな女子大生。 今、私は、突然140年も過去の世界からタイムスリップしてきた御陵衛士(元新選組隊士)の藤堂平助くんと一緒に暮らしている。……という嘘のようなホントの話。 ◆◇◆ クリスマスも過ぎ、お正月が近づいてきたある日のこと、田舎の母から携帯に電話がかかってきた。 「花梨、どうしてるん? 全然電話もかけてこんと。風邪とか引いてへんの?」 「うん、大丈夫だよ。めっちゃ元気やから」 「そうか。そんならええけど、たまには電話くらいよこしぃや。お父ちゃんかて、えらい心配してはるんやで」 「ごめん……。ちょっと学校の方が忙しくて」 いつもはつい長話をしてしまうのだが、さすがに今日は洗面所にいる平助くんが気になって、久しぶりの母との会話も上の空だ。 「あ、そうそう。今年の年末はちょっと帰れへんかな。いろいろ用事があるんよ」 「そうか。残念やけど、学校の用事やったらしょうがないなあ」 まさか、男の子と一緒に暮らしている、とも言えなくて、つい言葉を濁してしまった。 「お母ちゃん、堪忍。お父ちゃんにもうまいこと言っといて」 母は、私の嘘にこれっぽっちも疑いを持っていないようだ。それがかえって心苦しい。 電話を切ってからも、何となく気持ちがすっきりしなくて、私はぼんやりベッドに腰を下ろして窓の外の鉛色の空を見ていた。 「花梨。誰と話してたんだ?」 歯磨きをし終わった平助くんが、屈託のない笑顔で部屋に入ってきた。 「え? ああ、うん……。ちょっとね、田舎の母から電話」 「電話? あ、遠くの奴とも話ができるっていう妙ちきりんな箱だな」 妙ちきりん――。確かにそうかもしれない。 電話の向こうで、娘がどんなにしれっとした顔で嘘をついていても、母には分からないのだから。 「なあ、花梨って、親と離れて住んでるのか」 「うん、まあね。家からじゃ、大学に通えないから」 「ふうん。それじゃ、おふくろさんやおやじさんは寂しがってるだろうなあ」 私の田舎は日本海に面した港町だ。父はその町で小さな工務店を営んでいる。 私は、卒業したら田舎に帰って父の店を手伝うつもりだったから、同級生たちが必死になっている就職活動にも縁がなかった。 「いつもはお正月には田舎に帰るんだけど、今年は帰れないって言っといたの。だって、平助くんがいるし」 私はごく当たり前の感覚で言ったのに、平助くんはやけに真剣な顔をしている。 「帰ってやれよ、田舎」 「え……?」 思いがけない言葉に、私は目を見開き、まじまじと平助くんの顔を見た。 「だけど。平助くんを一人置いていけないでしょ」 「俺のことはいいから。心配すんなって。花梨がいなくたって何とかなるさ」 そんなこと言って、一人でなんて無理に決まってる。食べることさえ満足にできないかもしれないのに。 「親孝行はできるときにやっとかねえと、後で後悔するぞ」 「―――?」 私はもう一度、平助くんの顔を見つめ直した。彼の口から出た「親孝行」という言葉に、何となく不意をつかれたような気がしたのだ。 「平助くんがそんなこと言うなんて、何か不思議」 ああ、と平助くんは怒りもせず、いつになく真面目な表情でうなずいた。 「俺さ、父親はもちろん、母親の顔も覚えちゃいねえんだ」 平助くんがあまりにもさらりと言うものだから、つい聞き流してしまいそうになったけれど。 ――今、何か、ものすごく大事なことを言ったよね? 「ねえ。平助くんって、実は藤堂藩のお殿様のご落胤だって、ほんと?」 私の言葉に、平助くんはぎょっとして顔を上げた。 「なんでお前が知ってんだ? その話、誰にもしゃべったことねえんだけど」 「やっぱり、ほんとだったんだね」 藤堂平助は、伊勢・津藤堂藩の藩主の落胤だった、という説がある。もちろん、確たる証拠があるわけではなく、それが事実かどうかは今も分からないとされていた。 平助くんは、正真正銘のご落胤だったのだ。 彼がぽつりぽつりと語ってくれた話によると、江戸屋敷の奥女中だった母親に殿様の手がつき、どんな事情があったのかは分からないが、郷に帰されて平助くんを生んだ後、流行り病で亡くなったのだという。 それからは、親戚の家に預けられたが、あまり折り合いがよくなかったらしい。 それでも、藤堂家からは、毎年幾ばくかの養育費だけは届けられていたそうだ。千葉道場へ入門したのも、彼がきちんとした武家の子息だったからだろう。 「ま、そんな話、誰も信じちゃくれなかったけどさ。玄武館にいた頃、たまたま噂になって、それでみんなからいじめられたしな。生意気だ、って。それからはずっと隠してきたし」 きっと辛い思い出なのだろう。自分の出生について、彼がどれほどの思いを引きずってきたのか、想像するだけで胸が痛くなる。 けれど、今そのことを語る平助くんの顔は、意外にもさばさばとしている。 ――だけどさ、と平助くんは翳のない笑顔で続けた。 「ほんとは親のある奴がうらやましかったんだ。一緒に泣いたり笑ったりしてくれる、家族ってどんなにいいもんだろう、って思ってた」 その透明な笑顔を見たとたん、私の中に、自分でも抑えられない強い意志のようなものが湧き上がってきた。 「平助くん」 考えるより先に、声が出ていた。 「私と一緒に帰ろ!」 「はあっ?」 平助くんの家族になりたい。 うちの両親じゃ役不足かもしれないけど、一度でいいから彼に、家族というものを感じさせてあげたい。 だから、二人で田舎に帰ろう。 「そりゃあ、まずいだろ、いくらなんでも。第一、俺のこと、何て説明するつもりだよ」 「一緒に住んでる彼氏、藤堂平助くん。ちゃんと両親に紹介するから」 「お前なあ――」 平助くんは、泣き笑いみたいな顔をして、頭をぽりぽりとかいた。だけど、その目は優しく笑っている。少なくとも、私の提案を嫌がってはいないんだと思う。 「じゃ、決定ね!」 それからすぐに、私は実家に電話をかけた。 ついさっき、帰れないと言ったばかりなのに、急に予定が変わって帰れるようになった、と私は自分でも白々しい嘘をついた。 それでも母は大喜びしてくれたが、私が「友だちを一緒に連れて行くから」と言うと、一瞬、電話の向こうがしん、とした。「友だち」が男性だということが、母には分かったらしい。 だが、母はそれ以上何も言わなかった。 「ご馳走いっぱい用意して待ってるから。気をつけて帰っといで」 「うん。ありがと。じゃあね」 「お、この大根うめえな」 夕食のおでんをつつきながら、平助くんがつぶやく。 「そう? 口に合ってよかった」 「花梨は、料理がうまいんだなあ」 「ええ〜〜。そんなことないよぉ」 改めて言われると、ちょっと照れる……。 平助くんは、私の作るものを「美味しい、美味しい」と言って食べてくれる。 正直、あまり料理は得意じゃなかったんだけど、喜んで食べてくれる人がいると、自然と力が入ってしまうものだ。平助くんと一緒に暮らすようになってから、私の料理の腕も、少しは上達したのかもしれない。 「そういう平助くんは、お世辞がうまいよね」 「お世辞じゃねえってば。俺がそんな器用な男に見えるか?」 「ううん」 私は心の底からかぶりを振った。 器用どころか、不器用すぎて、まっすぐすぎて、哀しくなるくらい直球ストライクな平助くんだということは、ここ何週間か一緒に暮らして、分かりすぎるほど分かっている。 そんな平助くんだからこそ、新選組が当初自分の考えていたのとは別の方向へ動き出したとき、問題をうやむやにして折り合いをつける、ということができなかったのだろう。 自分にも、周りにも、嘘がつけない彼なのだ。 「でも、京都にいたころは、毎日高級料亭で美味しいものを食べてたんでしょ」 「まさか。そんなの数えるほどしかなかったぜ」 平助くんは、当時を思い出すように目を細めた。 「京に来たすぐの頃は、みんな金がなくってさ。非番の日に町へ出ても、素うどんばっかり食ってたなあ。まあ、試衛館にいた頃も、似たようなもんだったけど」 彼が、あまりに楽しそうに話すので、私はつい「新選組は楽しかった?」と尋ねてしまった。 「………」 あ――。 平助くんの視線が険しくなる。聞いてはいけない質問だったのだろうか。 「ごめんなさい。私……」 口ごもる私に、平助くんはちょっと強引な笑顔を向けた。 「新選組じゃなくてさ、試衛館は楽しかったな。親なし、家なしの俺にとって、それこそ初めて我が家って呼べる場所だったんだ」 それから彼は、試衛館での思い出をいろいろと聞かせてくれた。 私に向ってしゃべってはいても、それはまるで、自分自身に言い聞かせているように見えた。 やがて、話すことがなくなった、と彼はその場にごろりと横になり、目を閉じた。 「なんでかなあ……」 平助くんのつぶやく声が聞こえる。 「試衛館のみんなが嫌いになったわけじゃない。でも、あのまま新選組として生きていくことは、俺にはできなかったんだ」 「平助くん――」 彼の心臓の鼓動が、私にも伝わってくるような気がした。 今も。平助くんの心は、幕末の京の町をさまよっているのかもしれない。 平助くんの人生が、ただただ切ないものだったとは思いたくない。 24年の生涯でも、きっと、楽しいことやうれしいこともいっぱいあったはずだ。 少なくとも試衛館で暮らした何年かは、いい思い出として今も彼の中に生きている。 そして、私は――。 平助くんにとって、第二の試衛館になれるだろうか。 |
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<6 に続く> |
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