平助くんと私の六十日間 |
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二人で向かい合って黙々とお茶をすする、という状況に、だんだん居たたまれなくなった私は、憮然とした顔で黙りこんでいる藤堂さんに、おずおずと声をかけた。 「ねえ、藤堂さん」 「ん? なんだ?」 少し緑色の翳がにじんだ大きな眸子が、私を見つめる。 藤堂さんの視線を痛いほど浴びて、私は頬が熱くなるのを感じた。 これまで私は、自分勝手な想像の中で、大好きな藤堂平助という人物をさまざまに思い描いてきた。でも、今自分の目の前にいる本物の藤堂さんは、私が想像してきたどんな藤堂さんとも違っていて(正直、こんな少年っぽい人だとは思っていなかったし)、断然ステキだったんだもの。 「こんなこと、急に言ってもすぐには信じられないかもしれないけど――」 「うん?」 私も目をそらさずに、藤堂さんを見つめた。 「あなたがさっきまでいた世界と、今いるこの世界って、まったく別のところなんだよ」 「………」 「つまりね、ええっと……。藤堂さんが生きていたのは、慶応3年でしょ。今はね、平成……っていっても分かんないか。とにかく平成20年で、140年も未来の世界なの」 タイムスリップの原理なんて、私にだって分からない。ただ、藤堂さんは、たぶん時間を移動しただけで、場所的にはほとんど動いていないのではないだろうか。 私が住んでいるマンションは、五条大橋の東側にある。五条通りから少し北に入ったところだ。 140年前のあの夜、知らせを受けた御陵衛士たちは、屯所としていた高台寺月真院から油小路へ向かう途中、この場所を通ったに違いない。 そして、なぜかそのとき、藤堂さんだけが時空を超えてここに落ちてきたのだ。 とにかく、何とか彼に、自分の今置かれている状況を少しでも理解してもらいたいという思いで、私は必死に説明を試みた。 けれど、藤堂さんは――。 湯呑みを手に持ったまま、依然、途方に暮れている。 「俺、こんなところで、こんなことやってる場合じゃねえんだけど。一刻も早く、油小路へ行かなくちゃ。みんなが俺の行くのを待ってるんだ」 うわごとのようにつぶやく声に苛立った私は、思わず声を荒げてしまった。 「もう、何度言ったらわかるの? 藤堂さんが行こうとしてた油小路は、ここにはないんだってば!」 私の語気がきつすぎたのか、藤堂さんは驚いたように顔を上げた。 まなざしが揺れて、大きな眸子に寂しい翳がにじんだように見えた。 ――しまった。ちょっと言い過ぎちゃった。 「ごめんなさい。こんなことあなたに言っても、急に受け入れられるはずないのにね。だけどここは、藤堂さんが生きていた頃から140年後の京都なの。だから、さっきまであなたが行こうとしていた油小路は、もうこの世界にはないんだよ……」 私まで泣きたくなってくる。悲しくて、悔しくて、胸が痛い。 大好きな藤堂さんが隣にいて、話ができて、こんなにうれしいことはないはずなのに。私ったら、どうしちゃったんだろう? うつむいてしまった私の肩に、そっと温かな手が触れた。 「ごめんな」 藤堂さんが、ぽつりとつぶやく。 「俺、頭悪いから。難しい話はよく分からねえんだ。だけど、お前がいい奴なのは分かったからさ、そんな顔すんなよ」 「ん……」 遠慮がちに置かれた手のひらを通して伝わってくる彼の優しさに、思わず涙ぐんでしまった私は、あわててごしごしと目蓋をこすった。 「お前の言うとおり、ここが140年後の京だとして、この世界にも油小路ってのはあるのか?」 藤堂さんの視線が、少しだけ厳しくなる。 「うん、あるよ。ちょっと遠いけど、歩いて行けない距離じゃないし」 「歩いて行けないって……馬にでも乗っていくのか?」 「え? ああ、いや、そういう意味じゃないんだけどね」 私に苦笑する暇も与えず、藤堂さんが真剣な表情で詰め寄ってきた。 「俺を油小路へ連れて行ってくれ!」 「え?」 「お前の話は何となく分かったよ。だけど、とにかく自分の目で確かめないと、納得できねえんだ」 確かにそうだろう。こんなとんでもない話、私だって未だに信じられないんだから。理不尽にも、江戸時代から吹っ飛ばされてきた藤堂さんに、理解しろといっても無理なことだ。 たとえ実際に油小路へ行ったからといって、あまり状況に変化があるとも思えなかったけれど……。 だけど、それで少しでも藤堂さんの気持ちがおさまるなら、それもいいかもしれない。 「藤堂さんが行きたいって言うんなら、行ってもいいよ」 ――だけど、と私は言葉を続ける。 「絶対に私から離れたり、勝手な行動はしないでね。何があっても、だよ。約束できる?」 一瞬のためらいの後、藤堂さんはまっすぐに私を見つめ、 「わかった。約束する」 と、きっぱりと言った。 その声が意外に明るくて、私はなんだかほっとする。 「そうと決まったらでかけましょ。あ、でもその前に――」 いくらなんでも、そのままの格好はまずいよね。何か着る物をさがさないと。 幸い、藤堂さんは、それほど背は高くないようだ。私と同じくらいだろうか。 (この際、私の服でもいいかなあ。男物なんて置いてないし) タンスの引き出しを開けながら、今さらのようにうれしさがこみ上げてきた。背筋がぞくぞくする。泣いたり笑ったり、どうも今夜の私は情緒不安定というか、テンションが上がりすぎだ。 だって、正真正銘、本物の藤堂平助が、私の傍にいる。しかも彼は、これから私の服を着ることになるのだ。こんな夢みたいなことがあっていいのだろうか。 ――ええっと。Tシャツとトレーナーは、なるべく地味な色のものを選んで、と。ジーンズはさすがに窮屈だろうから、ジャージの方がいいよね。上にはおるジャケットもいるなあ。靴は……いくらなんでも無理だよね。まあ、下駄でもいいかな。 ああでもない、こうでもないと迷いながら、どうにか選んだ一揃いの衣服を、私は藤堂さんに差し出した。 「藤堂さん、これ着てみて」 「え? なんだ、これ?」 藤堂さんは、目を白黒させながら、受け取った服をためつすがめつ眺めている。 「私の服よ。一応、男の人でも着られそうなのを選んだんだけど。だって、その格好じゃ怪しまれちゃうもの」 「ふ〜ん。よくわかんねえけど、着替えりゃいいんだな?」 言うが早いか、藤堂さんは着ているものをさっさと脱ぎだした。 「あ、ちょっと……って、きゃっ!」 あっという間に、褌ひとつになった彼の姿を見て、さすがに私は両手で顔を覆ってしまった。独身の乙女には、刺激的すぎる光景だよ、藤堂さん。 一人で赤くなったり青くなったりしている私には目もくれず、藤堂さんはまずジャージをはき、そして次に何を着るべきか悩んでいる。 「なあ、次はどれを着たらいいんだ?」 「え? 次? あ、次はTシャツ――」 Tシャツを手渡そうとすると、いやでも彼の上半身が目に入ってしまう。 剣術で鍛え上げた肉体はきりりと引き締まっていて、私はほうっと息を呑んで見とれてしまった。 「なんか窮屈で動きにくいぜ」 ぶつぶつ言いながらも、Tシャツとトレーナー、ジャージに身を包んだ藤堂さんは、どこから見ても元気な体育会系だ。小柄だけれど均整の取れた体型だから、洋服を着ても結構似合う。細いだけの今どきの若者なんかより、うんとかっこいい。 さらさらのロングヘアーも、元結をとって後ろで束ねたら、きっとどこかの芸能人みたいに見えるだろう。 何もかもゆるみっぱなしで見惚れていた私に、 「お前、でけえな」 突然、意地悪なひとことが降ってきた。 「え〜、そんなことないよ」 「だって、これお前の着物なんだろ。丈ぴったりだし」 藤堂さんに悪気はないんだ、と思いたい。 「俺、さすがに左之や総司ほどでかくはないけど、小さい方でもなかったんだぜ。今の女は、みんなお前みたいにでけえのか」 「そりゃまあ、江戸時代に比べれば体格はよくなってるかも――」 私は、消え入りそうな声で答え、ちょっぴり恨めしそうな視線を向けた。 「あれ? 拗ねてんの? 俺、何か気にさわるようなこと言ったっけ?」 本当に悪気はないらしい。 困ったような曖昧な笑みを浮かべる藤堂さんに、私はさっきからずっと胸の中で繰り返していた提案を切り出した。 「ね、藤堂さん、『お前』じゃなくて……」 「ああ?」 「私の名前は山村花梨っていうの。だから、これからは『花梨』って呼んでよ」 言ってしまってから、私は思いきり赤くなった。 図々しい奴だと思われただろうか。嫌われたらどうしよう。 不安と恥ずかしさのあまり、居ても立ってもいられない気持ちで黙り込んでしまった私に、藤堂さんは飛び切りの笑顔で答えてくれた。 「花梨、か。いい名前だな。……じゃあ、俺のことは『平助』でいいよ。みんなそう呼んでたし、その方が落ち着くから」 「うんっ。分かった」 よかった。嫌われてないみたい。 私は胸の中で、何度も何度も「平助くん」と繰り返してみた。 (平助くん、かあ。ほんとにあの平助くんなんだよね。やっぱり夢みたい!) もう、夜中の1時をまわっている。あたりの静寂をこわさないように、私たちは、そっと部屋を出た。 油小路に着いたら、何か新しい展開があるんだろうか。 そんなことないよね、と頭では否定しながら、それでも心の奥底にある小さな不安がぬぐえない。 もし、平助くんが消えてしまったら? それよりも、この世界が逆転していて、本当は私の方が過去に飛ばされているのだとしたら? ドキドキしながらマンションの外に出ると、そこは、見慣れたいつもの夜の風景だ。 私は少しほっとする。 深呼吸をすると、12月の冷気が胸の中にはいってきた。 「それじゃ、行くね」 「ああ」 私は、平助くんの先に立って歩き出した。 五条大橋を渡り、西へ――。 中天には、冷たい色を湛えた満月が煌々と輝いている。 |
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<3 に続く> |
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