過去の企画もの
平成21年11月1日〜12月31日
恋をしてしまいました。年甲斐もなく。 お相手は、新選組八番隊組長。藤堂平助という名の、幕末を生きた青年です。 北辰一刀流を学び、沖田総司、斎藤一、永倉新八とともに四天王と呼ばれた若き剣士。 戦いにおいては常に勇猛果敢、誰よりも先に突撃することから 『魁先生』(さきがけせんせい)と呼ばれたそうです。 その異名のとおり、彼は動乱の時代をまっすぐに駆け抜け 数え年二十四歳という若さで逝ってしまいました。 旧暦11月18日は藤堂平助の命日です。 今の暦でいうと12月13日にあたるそうです。 この日を挟んで、大好きな平助くんのために、ささやかな宴を催しました。 といっても、今までに書きためた拙い作品や 皆さまからのいただきものを、雑多に並べただけなのですが…。 期間中、多くの方から、すばらしい平助くんの作品や熱いエールをいただき、 とてもにぎやかなイベントになりました。本当にありがとうございました。 これからも、大好きな平助の生き様を追い続けていきたいと思っています。 |
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藤堂平助 (とうどう へいすけ) 1844〜1867年 マゴムギさんにいただいた 元気印な笑顔の平助くん。 ◆KONTENTU◆ (すべて別窓で開きます) 小説 ●平助くんと私の六十日間 (連載中) 1 ・ 2 ・ 3 ・ 4 ・ 5 ・ 6 ・ 7 … ●世界で一番幸せな私 ●帰郷・Episode1 ●帰郷・Episode2 お風呂ですよ! ●帰郷・Episode3 初詣に行こう! ●帰郷・Episode4 家族の風景 ●空が何処までも青いのは ●連理の桜 (ゆずたまさん) ●君がこんなにも愛しいのは マゴムギさんのイラストとのコラボ小説 エッセー ●【巻頭エッセー】 平助くんに恋して ●「薄桜鬼」 初乙女ゲーに萌えました! 泣きました! ●「新選組 藤堂平助」レビュー ●新選組つれづれ書き (ブログへ) ●平ちゃんが好きすぎる動画 (ブログへ) ●薄桜鬼バトン (ブログへ) 詩 ●二人静 ●魁の剣 (翠蓮さん) ●――だいじょうぶ ●六 花 (翠蓮さん) イラスト ●平助−浅葱の旋風−(マゴムギさん) ●平ちゃん、大好き! (柳葉すくもさん) ●おやつの時間 (柳葉すくもさん) ●ちび平助 (三つ葉さん) ●ちび羅刹平助 (三つ葉さん) ●吐息−朧月夜−(マゴムギさん) |
■当サイトでの設定 メイン作品である「平助くんと私の六十日間」は、現代にタイムスリップしてきた藤堂平助と、新選組が大好きな女子大生 花梨(かりん)の、ちょっぴり切ない恋のお話。あくまでも、基本オリジナル設定ですので、できるだけ史実寄りを心がけたつもりですが、ビジュアルとか性格とかしゃべり方とか、大好きな「薄桜鬼」の平助設定そのまんま!になってしまいました(笑)。 ■一応、うちの平助くんのサイト内限定設定を簡単にご紹介しますね。 弘化元年(1844)江戸に生まれる。藤堂藩主のご落胤で、母は彼が3歳のときに病死。その後は、母方の親戚の手によって育てられるが、折り合いが悪くほとんど家には寄り付かず。 千葉道場玄武館にて北辰一刀流を学ぶ。ここでは、落胤の噂のせいで仲間はずれになり、居辛くなった彼は、免許皆伝を受ける前に飛び出してしまう。その後、近藤勇の試衛館に出入りするようになり、ようやく自分の居場所を見つける。 新選組幹部として活躍した彼に、その後どのような心境の変化があったのか。 同門である伊東甲子太郎の加盟、そして山南敬助の脱走・切腹。それらが、どんな影響を及ぼしたのかは分からないが、その頃から新選組のあり方に少なからず疑問を抱くようになっていたのだろう。 伊東が暗殺され、その遺骸を収容するために油小路へと向いながら、なお彼は逡巡している。試衛館の仲間たちが憎いわけじゃない。憎しみあって別れたんじゃない。かつての仲間を、この手で斬れるのか。何のためらいもなく? 迷いつつ、走る――。慶応3年(1867)11月18日、深夜。 |
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■実際の藤堂平助ってどんな人? 武蔵国江戸出身。諱は宜虎(よしとら)。伊勢国津藩主・藤堂和泉守高猷の落胤であるという説もあるが、真偽のほどは不明。千葉道場玄武館で北辰一刀流を学び、目録を得たといわれているが、「伊東(甲子太郎)道場の寄り弟子だった」ともいう。 経緯はわからないが、その後、試衛館に出入りするようになった彼は、文久3年(1863)、近藤勇らとともに浪士組上洛に参加する。新選組では副長助勤、八番隊組長を務め、初期の浪士の中にあって珍しく、学問もあり、礼儀作法も身につけていたようだ。 藤堂は小柄で美男子ながら、勇猛果敢な男だった。沖田総司、永倉新八らとともに近藤四天王とも称され、市中見回りにおいては常に先頭を歩き、どんなときも真っ先に切り込むことから、「魁先生」の異名をとった。元治元年(1864)6月の池田屋事件では、近藤、沖田、永倉とともに、真っ先に斬り込み奮戦したが、眉間を割られる重傷を負った。このときの活躍を認められ、幕府から褒賞金を下賜されている。 同年10月、隊士募集のため近藤に先立って江戸に下り、伊東甲子太郎らの入隊を仲介する。しかしその後、しだいに佐幕色を強めていく近藤・土方に対して、伊東は勤王家としての立場を鮮明にし、両者の対立は激しくなっていった。 慶応3年(1867)3月、伊東は同士とともに御陵衛士を拝命、ついに新選組を離脱する。その中に藤堂平助の姿もあった。伊東、藤堂らは、東山高台寺の頭塔月真院を本拠とし、高台寺党と呼ばれた。 だが、新選組がそのまま高台寺党を見過ごすはずがない。11月18日、近藤の妾宅に呼ばれた伊東は、酔った帰り道、油小路で新選組に襲われ、大石鍬次郎に討たれてしまう。路上に放置された伊東の遺体を引き取るため、藤堂は、鈴木三木三郎、篠原泰之進らと共に、罠と知りつつ油小路に向かった。 そこで待ち伏せていた新選組と戦闘になる。試衛館以来の仲間である原田左之助らは、わざと藤堂を逃がそうとしたが、事情を知らない平隊士に斬り付けられ、全身に傷を負い絶命した。享年24。 |
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専用掲示板を設置 申し訳ありませんが、専用掲示 板は閉鎖しました。 →「平助くんの茶の間」 |
「平助LOVEバトン」 平助くんスキーな皆さまに、 愛をこめて(笑)絶賛配布中! →「平助LOVEバトン」 |
「薄桜鬼キャラ占い」 あなたの性格を「薄桜鬼」キャラ で占ってみよう! →「薄桜鬼キャラ占い」 |
◆皆さまの藤堂平助への熱い想いをお聞かせください!◆ |
イベントは終了しましたが、皆さんの平助への熱い想いを、ぜひお聞かせください。 掲示板に書き込んでくだされば、語り部がその想いをしっかと受け止めさせていただきます(笑)。「私も平助が好きです」の一言だけでもいただければ、とてもうれしいです。 語り部の平助イメージは、ほんとんど「薄桜鬼」が基本になっているのですが、ほかにも「こんなステキな平助がいるよ!」という<あなたの>平助像を教えてください。 専用掲示板(平助くんの茶の間)は閉鎖しましたが、本館の掲示板(TEA ROOM BBS)は稼働しておりますので、どうぞお気軽におしゃべりしていってくださいね。平助に限らず、新選組や幕末がお好きな皆さまの交流の場になればいいなと思います。 まっすぐで、ひたむきで、どこか儚げな彼が、たまらなく愛しくて――。 そんな思いに共感していただけるなら、ぜひ、平助くんへの熱い思いをともに語り合いましょう。 |