血 涙 |
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「紀之助。お主のその命、儂にくれ」 そう、友は言った。 友の名は、石田治部少輔三成。 幼名を佐吉という。 幼き頃より、同じ主の旗のもと、同じ理想を掲げてきた。 互いの背中を預け合うようにして、共に戦場を駆けてきた。 その友が、己のすべてをさらけ出し、 泣かんばかりの表情で、私の前に頭を垂れている。 そうか。 それほどまでに、この私を欲してくれるのか。 それならば――。 我が命の捨て場所に、如何ほどの躊躇も懸念もない。 病に冒されたこの身は、いずれそう長くは生きられぬ。 ならば、この大谷刑部少輔吉継の命ひとつ、 お前の好きに使うがいい。 未だ恐れるものなど何もなかった、若き日。 たわむれに語り合ったのを覚えているか。 佐吉の才と、紀之助の智謀があれば、天下も夢ではない、と。 私は今でも、そう思っている。 まっすぐで、不器用なお前が好きだった。 言葉を取り繕ったり、己を粉飾したりせず、 どこまでも本音でぶつかっていくことしかできぬ、 そんなお前の純粋さに、私は憧れていた。 たとえ他人(ひと)から誤解され、 故なき非難を浴びようとも、 孤高の峰に凛と咲く花のような高潔な魂は、 決して傷つきはしない。 今、お前が挑もうとしている敵は、あまりに巨大で、狡猾だ。 勝てる保証などどこにもない。 それでも、お前は戦うのだな。 お前の戦に、この私が必要だと言ってくれるのだな。 佐吉よ。 もう、何も恐れるな。 お前はどこまでもまっすぐに、己の決めた道をゆくがいい。 私がその魁となろう。 お前の道を切り開くための礎(いしずえ)となろう。 だから。 私がどんなことになろうとも、決して取り乱してはならぬ。 私のために、戦の采配を誤ってはならぬ。 もとよりこの命は、お前のためのものなのだから。 ◇◆◇ やがて、天下分け目の戦が始まった。 石田三成率いる西軍十万と、徳川家康の東軍七万は、関ヶ原で激突。 数の上で優位に立っていた西軍だったが、小早川秀秋の裏切りによって窮地に陥る。 その小早川の大軍を防ごうと奮戦したのが、大谷吉継の部隊だった。 大谷隊は最後まで踏みとどまり、三成の本陣を守ろうとしたのだが――。 「伝令! 大谷刑部様の隊が全滅いたしました! 刑部様の生死は確認されておらぬ、とのこと」 (紀之助――!) 三成の叫びは声にならなかった。 (紀之助、死ぬな!) (すぐにも兵を率いて救いに行くのだ。こんなところで、お前を死なせてたまるものか!) 混乱する三成の耳に、友の叱咤が聞こえた。 ――私のために、軍を誤るな。 ――もういい、佐吉。もはや私のために、一兵たりとも動かしてはならんぞ。 すべてはもう遅いのか。 我らの夢は、うたかたの幻となって消えてしまうのか。 私は、どこで何を間違えたのだ……。 言葉もなく立ち尽くす三成の頬を、滂沱の涙がこぼれていく。 そのひとが流した血の涙は、地に落ちて、 咲いていた花を血の色に染めた。 そのひとの無念が、怒りが、悲しみが―― 曼珠沙華を真紅に染めたという。 |
◆◇「血涙」によせて◇◆ |
石田三成というと、どうしても曼珠沙華(彼岸花)のイメージになってしまいます。関ヶ原の戦いが起こった日が旧暦9月15日であるため、つい錯覚してしまうのですが、もちろん今の暦でいうと10月21日に当たるそうですから、彼岸花の咲く時期ではありません。 でも、やっぱり、殿には彼岸花がよく似合う気がします。ちょっと毒々しいというか、陰鬱な感じがするところなども。 この詩は、大谷吉継から見た三成という形で詠んでみました。 吉継は、ようやく「戦国無双」にも登場しましたが、実はあまりきちんとプレイしていないので、イマイチどんな風に描かれているのかよく分からないのです。 この詩の大谷さんは、大好きな「采配のゆくえ」のイメージで。美人で(笑)颯爽としていて、本当に素敵でしたね。彼が死ぬところは、今思い出しても号泣してしまいます。 曼珠沙華(彼岸花)の花言葉は、「悲しき思い出」「あきらめ」「情熱」だそう。 |
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