いにしえ夢語り蜀錦の庭三国志を詠う




この(せかい)しいのは




建興十二年秋八月。
満天の星が降る、五丈原。
病に冒されたそのひとは、穏やかに語った。


◇◆◇


戦乱と、天災と、疫病と、貧窮と、飢えと。
この国の人々は、もうずっと長い間、
そんな責め苦に苛まれ続けてきた。

そんな世の中を変えたいと、
あの方は切に願っておられた。

誰もが等しく幸せに、生の歓びを謳歌できる。
それが、あの方の描く理想の王道楽土――。

だが、現実はどうだ。
戦っても戦っても、この世から争いはなくならぬ。
それどころか、泰平のために、という名目で戦が繰り返される。

戦乱の中で、いつも苦しむのは名もなき民草だ。
虐げられ、略奪され、虫のように殺されても、
声を上げることさえできぬ。

彼らの悲しみや怒りが、
声なき声が、
あの方の心には、いつも届いていた。

あの日、
玄徳さまが白帝城で最期を迎えられたとき。
あの方は、私の手を取っておっしゃられた。



孔明――。
そなたにも、怨嗟に満ちた民の声が聞こえるであろう。

だが、私には、それと同時に、
彼らの衷心からの願いが聞こえているのだ。

こんな悲惨な世の中で、それでも明日を諦めぬ。
自分を信じ、未来を願う、祈りの声が。

この世界がかけがえもなく美しいのは、
それでも、夢が満ちているからだ――。

その祈りに応えてやりたかった。
その願いを実現したかった。
だが、私にはもう時間がない……。



「この世界が美しいのは、夢が満ちているからだ」
玄徳さまのその言葉を、ひとときも忘れたことはない。

私が玄徳さまから受け取ったのは、夢。

あの方の夢、
戦場に散った多くの将士の夢、
この国に生きる幾千万の民草の夢、
そして、この諸葛孔明の夢。

その夢を、今度は私がそなたに託そう。
姜維よ――。


◇◆◇


五丈原の空に、私は誓う。

丞相の夢、しかと受け取りました。
姜伯約、夢の実現を目指して戦い抜きましょう。
この命尽きる最期のときまで。



そのひとの魂魄が静かに旅立った夜も、
五丈原の天地には、夢が満ちていた。






◆◇「この星が美しいのは」によせて◇◆

お題から無理やり考えた内容だったので、ちょっと苦しいかな…という展開になってしまいました。でも、拙サイトでの「蜀」という国の基本ラインは、劉備→諸葛亮→姜維と受け継がれた「志」ということで、その志に「夢」という名前をつけてみたのです。
諸葛亮の話を書く、というとどうも身構えてしまうのが私の悪い癖。それくらい、孔明さまは私にとって特別な存在であり、気軽には書けない人なのだということでしょうか。
孔明さまのイメージは「蓮」。泥の中からすっくと伸びて清純な花を咲かせる蓮は、清廉潔白で神聖な孔明の生き様に、そして彼の掲げた穢れなき世界の理想と重なります。
そんな蓮の花言葉は、「清らかな心」「神聖」そして「雄弁」。


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