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Web拍手お礼用





左近、
頼りにしている――。


何度この言葉をつぶやいたことだろう。

そして 本当に
いつもお前は側に居てくれた。

軍師として
友として
何よりも同志として

俺にとってかけがえのない
唯一無二の存在だった。


わがままで 傲慢で
人の心を掴むことの下手な俺は
お前の目には
ずいぶんと情けない主君に見えていたことだろう。

それでも 最後までついて来てくれた。
勝てぬ戦と分かっていて
こんな俺に 俺のために……。


許せ、左近――。

あの言葉は お前にとって呪縛だったのか。
俺に仕えなければ お前には
もっと輝かしい未来が待っていたのかもしれぬのに。

「三成に過ぎたるものが二つあり 島左近と佐和山の城」
とは、よく言ったものだ。

まったく、世評は驚くほどに正直で残酷だ、な……。






先にアップした「左近から殿へ」と対をなす「殿から左近へ」の詩です。
どちらも、「三成に過ぎたるものが二つあり 島左近と佐和山の城」という当時巷間で謳われた戯れ歌がモチーフになっていますが、受け止め方はそれぞれ大きく違うんですね。
四万石の大名だった三成が、自分の石高の半分である二万石(一万五千石ともいう)もの高禄で左近を召抱えたという逸話が残るほど、島左近は当時名の知れた軍略家であり、三成のような小大名には不相応な高嶺の花だったのです。
それでも、左近が三成に仕えたということは、(彼ほどの男ですもの)決して高禄に目がくらんだのではなく、きっと三成に惹かれるものがあったからではないでしょうか。もちろん、自分をそれほどまでに高く買ってくれている、という感激もあったでしょう。
――士は、己を知るもののために死す。
これ以降、島左近は、関ヶ原の激闘に斃れるまで、よき師として、同志として、友として、常に三成の傍らにあり続けます。

◆加筆したページ→「散花」