今月のお気に入り
2007年も、残すところ20日余りになりましたね。 この1年を振り返ってみて、私個人的に特筆することといえば、やはり後半「デスノート」にものすごくはまったことかな(笑)。 『DEATH NOTE』(デスノート)は、原作:大場つぐみ・作画:小畑健のサイコサスペンス漫画で、2003年12月から2006年5月まで、「週刊少年ジャンプ」に連載されました。連載当時から話題を呼び、テレビアニメや実写映画も製作され、来年2月には特に人気のあった作中人物 L(エル)を主人公にした『L change the WorLd』(エル チェンジ ザ ワールド)の公開も予定されています。 私が最初に見たのは、実写版の映画(前・後編)でした。これがなかなか面白くて、すっかりツボに入ってしまったんです。 そうして、現在アニメ版をレンタルで見ながら、ついに先日、原作のマンガもコミックス13巻を大人買いしてしまいました。こちらもじっくり楽しんでいるところ。 アニメは、特に前半のLの死までは、かなり原作に忠実に作られていますね。それ以降は、少々展開が速すぎて、話についていくのが大変な部分もあるんですけれど。 原作やアニメ版を見て、あらためて映画版との大きな違いに驚いています。というか、映画版は、あれはもうあれで立派な別作品と考えた方がよさそう。 最初にこの映画版を見たときは、マンガもアニメも全く知らなかったのですが、原作を知らなくてもそれなりに楽しめるように、分かりやすく作られていたことにまずは感激しました。話の構成も展開も、原作とはかなり違っていたようですが、映画は映画として、うまく作ってあったと思います。 アニメやマンガについては、また機会をあらためて語りたいと思っているのですが、まずは映画版の前編『デスノート』と後編『デスノート the Last name』を、2007年締めくくりの「お気に入り」として取り上げてみようと思います。 いや〜、ほんとに面白かったです。 といっても、私は劇場へ足を運んだわけでもなく、テレビで放送していた前編の特別編集版を見ただけなのですが、もうもう、続きが見たくて見たくて(笑)。 こんなに「続きが見たい!」と思わせられる作品なんて、「ロード・オブ・ザ・リング」以来かもしれません。しかも、後編の公開日前にあわせて前編を放映するなんて、なかなか芸が細かいぞ。(後で知ったのですが、DVD発売前の地上波放映は異例であり、このことに対して他のテレビ局などから抗議が寄せられたらしいですね) 結局それでも、私は映画館へは行かず、後編のDVDが出るまでじっとがまんして、前・後編あわせて一気に見たんですけど…。(^_^.) この劇場版の面白さは、何よりもストーリーの分解と再構築がすごくうまくできていたことでしょう。よく長〜い原作を映画にまとめる場合、消化不良を起こしてしまって、原作を知らないと話がよく分からないとか、あるいは単なるダイジェスト版みたいになってしまうなんてことがよくあるのですが、「デスノート」に関してはそんな心配はご無用、安心して映画の画面だけを追っていれば、たとえ原作を知らなくても十分に楽しめますよ。 とにもかくにも、長大な原作の後半部分をすっぱりと削り、デスノートを手にした主人公 夜神月(やがみ らいと)と、天才的な名探偵L(エル/竜崎)との対決に的を絞った構成が大成功でした。 しかし、そうすると必然的に、映画の中でライトとLの決着をつけねばなりません。ライトが勝ってLが死ぬ、という原作どおりに話を進めてしまえば、結局キラの天下になってお話が終わってしまい、それではあまりにもお粗末ですよね。 映画の中できちんとした結末を迎えるためには、やはりどうしても最後に、ライトが死ななくちゃならない。夜神パパや捜査本部の人たちやLが信じる『正義』がキラに勝たなければ、この作品の意味がないんですから。 その帰結が、あの衝撃のラストシーン! 原作を知っている人たちも度肝を抜かれたという、大どんでん返し。 あまり詳しく語ってはネタバレになってしまうし、こういう作品のネタばらしほど罪作りなものはないと思いますので、ラストシーンに関しては、ここでは多くを語らないでおきましょう。 でも、あれはすごい作戦だと思います。何よりも、躊躇せずにそんなことができる、Lというキャラクターあってこその作戦ではありますが。 (あああ〜〜、しゃべりたい、ネタばらししてしゃべってしまいたい〜〜) でも、ダメダメ。ここは我慢しなくちゃ。(>_<) てことで、気を取り直して、あらすじでも書こうかな(笑)。 「このノートに名前を書かれた人間は死ぬ」 司法試験初受験で合格という優秀な大学生 夜神月(やがみ ライト)は、ある日奇妙な黒いノートを拾う。それは、死神・リュークが落とした人間の名前を書き込むと書かれた人間が死ぬデスノートだった。 司法によって犯罪者を裁くことに限界を感じていたライトは、犯罪者が存在しない理想の新世界を作るため、世界中の犯罪者名を次々とノートに書き込んで葬っていく。やがて犯罪者を葬る者の存在に気付いた大衆は、その存在を「キラ (KIRA)」と呼んで恐れつつも、キラに賛同し「神」と崇拝する者まで現れ始めた。 一方、キラの存在を察したICPO(インターポール)は、手がけた事件を必ず解決に導き、全世界の警察を意のままに動かせるといわれる謎の探偵L(エル)にキラ事件の調査を依頼。 キラを悪と見なすLは、正確な分析と綿密な方法でキラが日本の関東地区にいることを証明し、日本に捜査本部を設け、キラに挑む。 Lの捜査の手が自分の身辺に伸びたことを知ったライトは、自分を尾行していたFBI捜査官、その婚約者、さらには自分の恋人までをデスノートによって抹殺、それを利用して自分の潔白を証明し、Lが指揮をとるキラ対策本部に加入することに成功する。 こうして、ライトとLの2人が直接対峙し、壮絶な頭脳戦が始まった。 一方、ライトもリュークも知らないところで、もう一匹の死神レムによりデスノートを手に入れた弥海砂(あまね ミサ)は、自身を「第2のキラ」と称して、キラを否定する者を殺していく。 ミサは、顔を見るだけで相手の名前と寿命が見える「死神の目」を持っていた…。 とにかく何が面白いって、デスノートを手にした夜神月(藤原竜也)と、天才的な名探偵L(松山ケンイチ)との頭脳戦・心理戦が、ものすごい緊迫感と手に汗握る展開で、これが一番の見所。 さらに、周りの人々の心理や行動も丁寧に描かれていて、存在感があります。こうした細かい部分にも手を抜かないことで、現実にはありえない設定でありながら、物語に破綻がなく不自然に感じさせないところがすごいですね。 現実にはありえないといえば、映画のLって絶対にありえない人物設定だと思うのですが、私にはなかなかツボなキャラクターでした(笑)。 最初は、あまり人間性の感じられない奇人(よく天才と○○は紙一重とかいうじゃないですか)というだけのキャラなのかと思っていましたが…。なかなかどうして、最後の最後まですごいヤツでしたね。 ゲーム感覚で探偵ごっこをしているだけなのかと思いきや、心の中には熱い正義感があふれているということが、ラストのライトとの対決ではっきり分かりましたし。 何気ないしぐさもかわいいのだけど、推理しているときの何ともいえない真剣な目つきがたまりません。特に、実写版オリジナルの「ひょっとこのお面」は我が家で大ウケでしたよ。 Lを演じていた松山ケンイチくん。他の作品を見ると、ごく普通の青年なのに、Lに関してはまさにドンピシャ♪ まさしくL! 原作から抜け出たような、鬼気迫る怪演でした。 ライトに関しては、原作が、最初からかなりの「いっちゃってる極悪ぶり」全開な主人公なのに対して、映画では、非常に正義感の強いまじめな青年として描かれています。 ごく普通の人間が、デスノートという強大な力を手にしたとき、どのように変わっていくのか、というのが、この映画の主題のひとつでもあるのでしょう。 最初は純粋に「正義」を実行しているという感覚しかなかったライト。しかし、彼は次第に自分を「神」だと思い込み、自分の力で世界を変えられると考え始めます。目的のために、悪人ではない人たちや、自分を愛している女性までも犠牲にしていく彼の傲慢は、すでに狂気でしかありません。 やはり、この力は「神の領域」。人間が触れてはいけない世界だったのですね。 確かに、法律には限界があります。悪事を犯しながら、法では裁かれずにのうのうと生きている犯罪者が大勢います。そういった犯罪の犠牲者や遺族にすれば、キラは救世主に思えたことでしょう。キラのような存在が、一定の抑止力になることも事実かと思います。 ライトは、あまりにも強大な力を手にしたことで、結局自滅してしまいましたが、こういった力を「天罰」と呼び、人知を超えたものを畏れることによって、一種の倫理規範としてきた私たちの人間社会の在りようが根底から崩壊してしまっているという現実に目を向ける必要があるのではないでしょうか。 「必殺仕掛人」に快哉を叫ぶのと、どこか似通った心境なのかもしれませんね。「デスノート」では、こうした無責任で退廃的で、一時のムードに安易に流されてしまい勝ちな一般大衆の姿も、きっちりと描かれています。 だからこそ、最後まで己の「正義」を貫き通したLやライトの父 夜神総一郎の潔さが際立つのでしょう。 「法律は、良くありたい、正しくありたいと願ってきた人類の正義の集大成なんだ」と言う夜神総一郎の信念を、私たちもまた信じたい。人間の自浄能力に、最後まで希望を抱きたい。そう思ったラストシーンでした。 |
2007/12/9 |
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