今月のお気に入り


墨 攻
――我かく守り、戦えり

3月のお気に入りは、アンディ・ラウさま主演の映画「墨攻」です。めずらしく「旬」な話題ですね。
実は、他にいろいろと考えていたものもあったのですが、この映画を見たことですべて吹っ飛んでしまいました(笑)。
……かなりはまってます。おぼれてます。ぐちゃぐちゃです(爆)。
てなわけで、もう今月はこれっきゃない! 相当ハイテンションな「お気に入り」になってしまいそうですが、しばし我慢して語り部のたわ言に付き合ってやってくださいませ。




●久々の歴史大作!

お正月に「硫黄島からの手紙」を見に行ったとき、「墨攻」の予告をやっていた。
その時は、この映画について全く予備知識がなく、いったいどんな話なんだろう?と興味津々だったのだが、だんだんと話の内容だとかいろいろなことが分かってくるにつれ、見たいという思いは次第に強くなった。
とはいえ、予告編を見てあまりに期待しすぎると、結局期待はずれ…… (T_T) っていうことが多いので、なるべく冷静に見ようと、当日はうんと構えて行ったのだが。
ところがこの作品は、まさに期待通りというか、予想をはるかに上回る面白さで、久しぶりに心の底から楽しめる歴史娯楽大作を見ることができ、満足感でいっぱいである。
これまで、中国を舞台にした歴史もの、武侠もの、カンフーもの、いろいろ見てきたが、アクションシーンはいいのに話がもうひとつだったり、ワイヤーとCGの使いすぎで肝心のアクションが何だかなあだったり、どうも複雑すぎて釈然としないお話だったり、イマイチぴんとこないものが多かったのだ。
その点この「墨攻」は、けなすところが見つからないくらいよくできた作品だったと思う。
ストーリーも分かりやすくて納得できるものだったし、アクションシーンもリアリティにこだわりつつ映画ならではの派手さもあって見応え十分だ。また、登場人物も皆それなりに掘り下げられていて、脇役の人たちにさえ感情移入できるくらい、細かい部分まで作りこまれていた。
まあ、私としては、アンディ・ラウさまがかっこよかったから、もうそれだけですべて許せちゃう、みたいな感じがなきにしもあらず、なのだけれど(笑)。
本当に久々に見た、清々しいくらいに男臭くて熱い映画だった。

墨家(ぼくか)とは、中国戦国時代に墨子によって興った思想家集団である。
諸子百家の一つに数えられる墨家の思想は、「兼愛」と「非攻」に代表される。
「兼愛」とは「兼(ひろ)く愛する」の意で、全ての人を公平に隔たり無く愛せよという博愛思想であり、家族や長たる者のみを強調する儒家の愛は「偏愛」であるとして、これに対抗したもの。
また「非攻」は、戦争による社会の衰退や殺戮などの悲惨さを非難し、他国への侵攻を否定する教えである。ただし、防衛のための戦争は否定せず、ここが単なる理想論とは違うところだ。自分から戦いを仕掛けることは決してしないが、挑まれた戦いに屈することなく、徹底的に守り抜くのである。
ここから「墨守」という言葉が生まれた。絶対に守り抜く、という意味である。
広辞苑を引くと「墨子がよく城を守ったことから、古い習慣や自説を固く守り続けること」とある。融通がきかないというような意味で使われるようだが、この言葉の出典となった墨家の歴史的事実こそ、注目に値するものであろう。墨家は戦国期最大の思想的軍事集団だったといえるかもしれない。
なお、「墨攻」という単語は、酒見賢一が「墨守」から作り出した造語なのだそうだ。

◆「墨家」についてはこちらのページで詳しく解説しておられるので、興味のある方はどうぞ。


●原作は日本のコミック

紀元前370年頃の戦国時代。国境にある梁城は、大国・趙からの大軍に落城寸前となっていた。百戦錬磨の名将巷淹中率いる10万の趙軍に対して、全住民がわずか4千人の梁城の頼みの綱は、“非攻”を掲げる戦闘集団、墨家の救援部隊のみ。王が降伏を決意したその直後、粗末な身なりの男が現れる。その男こそ、墨家の天才戦術家、革離だった。1ヶ月持ちこたえれば趙軍は撤退するはずだと王に説明し、兵に関する全権を与えられた彼は、早速城を守る準備に取り掛かる。
ついに趙軍の猛攻撃が始まった。はたして革離は、たったひとりで城と民を守り抜くことができるのか。未だかつてない、知略に富んだ戦いの幕が開ける――。

原作は、日本の漫画(作画:森秀樹/脚本:久保田千太郎)だが、その元ネタは酒見賢一さんの小説なのだとか。
もう10年くらい前に「ビッグコミック」に連載されていたものを、監督のジェイコブ・チャン氏が惚れこんで映画化する権利を獲得されたのだという。主役のラウさまも、この漫画の愛読者だったそうで、彼は漫画の主人公のビジュアルどおり頭を剃って、スキンヘッドで出演する覚悟を決めていたらしい。結局実現しなかったが、ちょっと見てみたかった気もする>ラウさまのスキンヘッド(笑)。
もしかすると続編が作られるかもしれないということなので、その時には見られるかもしれない。

さて、日本映画でも、近頃漫画の実写化が多くて、なんでこれを実写でやる必要があるのか?と製作者の神経を疑ってしまうようなものも多いのだが、この作品は、実写にして成功した例だといえるのではないだろうか。
もっとも私は原作を読んでいないので、何の先入観も持たずに映画を見ることができたけれど、実際に原作のファンの人たちは、この映画をどのように受け止めておられるのか、ちょっと気になるところではある。
原作を読まれた方の中には、漫画の主人公革離は、戦闘や守城戦においてもっと非情に徹することができる人で、映画の革離はあまりにも人間的すぎる、という意見もあったようだ。
けれど私としては、目の前で死んでいく大勢の敵味方の姿に戦の残酷さを痛感し、墨家としての信念に迷いを生じて思い悩む革離の姿は、かなり共感できるものだった。戦いのない世界を理想としながら、しかしその世界を実現させるためには戦いは避けて通れないし、そこには多くの犠牲が伴うわけだから。これが理想と現実のギャップであり、理想の限界といえるかもしれない。
革離の迷いは、人間の歴史の中で延々と繰り返されてきた真理であり、今を生きる我々に突きつけられた問いであるともいえるのではないだろうか。

映画の中では、ほんのさらっとしか触れられていなかったので、当時の墨家のお家事情とかがもうひとつよく分からなかったのだけれど、墨家が断った梁国の援軍依頼を、なぜ革離が集団の意志に背いてまで、自分ひとりで引き受ける気になったのか?というあたりがちょっと謎だった。もう少しこの辺りを掘り下げて、革離の内面に迫って欲しかったような気もする。
また、ヒロイン逸悦は、映画にのみ登場する人物らしい。私としては、彼女の存在が革離にとって単なるラブロマンスに留まらず、墨家の思想「兼愛」を見つめ直すための役割を持っていたことに、映画制作者の力量を感じたのだけれど、原作ファンの方たちには、逸悦の存在はおおむね不評のようだ。二人の恋がプラトニックなまま、っていうのも非常にツボだったのだが、できることなら牢獄から救い出してハッピーエンドで終わってほしかったんだけど……。


●あれこれ

それにしても墨子って、高校の世界史だか倫社だかで習ったような記憶はあるのだが、当時の感覚では、この時代に「兼愛」を説くなんて、古代中国にもキリストみたいな人がいたんやなあ〜〜なんて思った程度だった。
その墨家が、実はこんなすごい戦闘技術をもった集団だったなんて(幾分フィクションも入っているのだろうが)、本当にオドロキ。しかも、一時は儒家と並ぶ最大勢力となって隆盛したにもかかわらず、秦が中国統一した後、忽然と歴史上から消えてしまったというのも謎に満ちている。
資料的にも極めて少ない墨家を、これほど面白く魅力的な話に仕立て上げた酒見賢一氏の手腕はさすがというべきだろう。

近頃、アジアのスター達が国籍を超えて競演している作品がたくさんあるが、本作もそのひとつといえるだろう。
革離役のアンディ・ラウは、もちろん香港を代表する大スターだし、巷淹中を演じたのは韓国の名優アン・ソンギである。他にも中国、韓国、台湾、日本と、アジアの映画人が結集して作り上げた傑作だ。
私は、ラウさまとアン・ソンギ以外はあまりなじみがなかったが、弓隊の隊長子団を演じていた台湾のウー・チーロンはなかなかステキだった。アイドルグループ出身らしい甘いマスクだが、役柄は実にきりりとしていて男らしい。
とか何とか言いながら、やっぱりラウさまはかっこいいなあ! ←もう、全篇これに尽きる(笑)。
「LOVEAS」にせよ「インファナル・アフェア」にせよ、どうも近頃は、感情移入しにくいちょっと屈折した役柄が多かったので、今回の革離は、久々に気持ちよく惚れ込めるヒーローだった。
ああ、夢に見そう……(大笑)。
やっぱりこの人には武侠派の二枚目が似合う。ぜひ、荊軻の役とかやらせてみたいものだ。三国志なら徐庶なんか似合いそうだし(趙雲でも可)。

重苦しいだけの歴史超大作でもなく、リアリティの感じられない単なる娯楽作品でもなく……とってもバランスのとれたエンターティメントだったと思う。
そうそう、川井憲次さんの音楽のすばらしさも特筆もの!
もう一度映画館で見たいと思える作品にはなかなかめぐり会えないものだが、「墨攻」はもう一度でも二度でも、劇場に足を運びたいと思える傑作である。
最後に、ジェイコブ・チャン監督の言葉を引用して、このエッセーを締めくくりたい。

「よくある時代劇とは違って、この作品にはひとりとして英雄が登場しません。主人公の革離でさえ、いうなれば戦乱の犠牲者なのです。勝利というものが、常に成功を意味するとは限りません。この物語は、そうした教訓を現代に生きる我々に与えてくれます。平和の実現という目的が戦いの口実となり、無力な人々を守るための戦いが彼らの故国を荒廃させている現実。課せられた使命をまっとうすることが、調和に満ちた世界を崩壊に至らしめることにもなるのです。このジレンマは、古代から現代に至るまで解決されていません。そして、今なお数々の悲劇が世界中で生み出されているのです。」

◆映画「墨攻」の公式サイトはこちら


2007/3/1




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