いにしえ夢語り千華繚乱の庭佐和山日和


として




「左近。花を見に行かぬか」
「花、ですか?」
それは風薫る五月のこと。
端午の節句を祝うために、朝から佐和山の城に詰めていた島左近は、目の前の主君 石田三成の突然の提案に面食らった。
「城下の寺で、花菖蒲が盛りだそうだ」
「はあ。ま、殿が供をせよとおっしゃるのなら」
常日頃、主家である豊臣家のことと書物以外には興味を示さない若い主の口から、花などという言葉が出たこと自体、不思議でならなかったが、ちょうどよい暇つぶしになるかと考えて、左近は三成とともに馬に乗った。


城門を出れば、すぐ目の前に琵琶湖の雄大な景色が広がっている。
二人は湖岸の松林の中をしばらく駆け、やがてくだんの寺の山門が見えてきたところで馬を下りた。寺のすぐ前に池があり、一面に花菖蒲が咲き競っている。
「これは見事だ」
左近は簡単の声をあげた。
「この景色を、左近と見たかったのだ」
心の高揚を隠そうとしない主の声に、左近は隣に立っている三成の顔をしげしげと見つめ直した。
「そなたが喜んでくれてよかった」
「殿?」
「今日は左近の誕生日であろう? 何か贈り物をしたいと思ったのだが、何がよいか分からぬ。ここの花菖蒲は、私が子どもの頃から大好きな景色なのだ」
左近の視線に気づくと、三成は恥ずかしそうに目をそらした。神経質そうな白い頬が薄く染まる。
その横顔を見ながら、何とかわいい人だろう、と左近はうれしくてたまらない。
主君が家臣の誕生日を覚えていることさえ珍奇なのに、その上にこの細やかな心遣いはどうだ。戦国の世に、十九万石の大名にまで上りつめた男にあるまじき初々しさといっていい。
(この方を主と見込んだ俺の目に、狂いはなかった)
三成とともに過ごす時間を重ねれば重ねるだけ、左近の確信は深くなる。
命を懸けて主君に仕えるのが武士の道とはいえ、実際には、己が命を棄てても、と思える主君にめぐりあうことは難しい。下克上が日常茶飯事だったこの時代で、左近は幸福だったといえるだろう。


薄紫、群青、白……。
とりどりの色を競う花の上を、清々しい風が渡っていく。
「殿、いい日和ですなあ」
左近の呼びかけには答えず、三成の目は遠く風の通る先を見ていた。
「左近は、生まれた日まで男らしいのだな」
「はは。まあ、端午の節句ですから、男らしいといえばそうですが」
冗談だと思って軽く笑い飛ばしたが、主の表情は真剣だった。何か違うことを言おうとしているらしい。
「私にそなたほどの戦の腕があれば……」
(ははあ。どうやら殿は、戦う決意をしたいらしいな。その背中を俺に押してくれ、というわけか)
三成が戦う相手。とうに決まっている。
左近は、三成を振り返ると、不敵な笑みを浮かべた。
「戦は将の強さだけではありませんよ、殿。すべての家臣が心をひとつにし、この主君のためならば命も惜しまぬと思うことができれば、その軍は強い。だから殿の兵は強い、ということです」
左近の言葉に、三成は力強くうなずいた。切れ長の眸子の奥に、意志の焔が燃えている。
「だが、敵はあまりにも強大だ」
「そうですな。そして、そのことを殿はよく知っておられる。それでも、戦うおつもりなのでしょう」
ならば、と左近は三成の肩に手を置いた。
「左近も最後まで、殿のお供をするまで」


「殿。この花の凛とした姿をご覧なさい。まっすぐに、己の意志を天に向けて、すっくと立っている。殿がこの花を好きだと言われるのは、ご自身の姿を重ねておられるからではありませんか?」
「左近……」
五月の風は花菖蒲の葉裏を返して吹き渡り、池の水面に波紋を投げていく。
「私もこの花のように、常に凛と立っていたいものだ」
「俺は、殿にお仕えできることを誇りに思います。どこまでも、ご一緒に参りますよ」
見交わす笑みに、温かいものがあふれる。主従は、風に揺れる花をしばし眺め、その風景を互いの胸にしまい込んだ。



2011/5/15




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